9 lucky?
鳥のさえずりで目が覚めた。ゆっくりとまぶたを開けると、木々の隙間から朝日がキラキラと入り込む。メルヘンだ。
起き上がると、私の身体から大きな三人分のマントがずり落ちた。あと一枚は綺麗に畳まれ枕になっている。火はとっくに消えていて、周りの草は夜露で濡れている。皆さんありがとう。
「エム、起きたのか?」
ガサガサと薮をかき分けながら、ランス様がリングを引いてやってきた。
「出発ですか?」
「いや、リングを水浴びさせてきただけだ。慌てなくていい」
よく見るとリングもランス様もツヤツヤしている。次々と三人と三頭もスッキリした顔で戻ってきた。
「では私も水浴びしてまいりますね!」
「「「「ダメだ(です)!!!」」」」
四人とも、ドケチ!!!
◇◇◇
森を抜けると美しい草原地帯になり、少し肌寒くなる。身震いする私をランス様が引き寄せて、自分の熱を移してくれる。立派な筋肉をお持ちのせいか、ランス様は常に熱い。
「もう我が領土に入った。あと二時間も走れば到着する。我慢してくれ」
「あの、ランス様?」
「なんだ?」
「私はランス様の領土で、何をして過ごせばいいでしょう」
ランス様は正面を向いて馬を走らせながら、少し考えて、
「……好きにしていい。これまで出来なかったことを、自由に」
「森で散歩しても?」
ランス様は小さく頷く。
「クッキーを焼いても?」
頷く。
「買い物に行っても?」
頷く。
「大声で歌っても?」
「是非聞かせろ」
「ではご一緒に」
新しい土地で、自由に、少しずつ、やってみたかったこと始めてみよう。下を向いてそっと笑った。
私にも、ようやく〈運〉が回ってきたのかもしれない。
「ああ、でもエムの役は何だ?」
ランス様が耳元で囁く。私はマントの中から右手を出して、人差し指を立てた!
「領主の妻!」
「それを演じるのを忘れないように」
「はい!」
私は女優、私は女優……
「あと……夜は俺のためだけに空けておくこと。いいね?」
そうね。夜はお互い役を降りて労わりあわなくちゃ!
「了解です!」
「……きっと、伝わってないな……」
◇◇◇
真っ黒な横広い城塞が見えてきた。先を走っていたワイアット様はとっくにその中なのだろう。
「何で黒いのかしら」
「煤です。何度も火を放たれたそうなので」
隣に並んだダグラス様が教えてくれた。
焼き討ち?……えらいところに来てしまった。やはり私の〈運〉は凶運なのかもしれない。
後方にいたロニー様が私たちに一礼して、軽く馬を蹴り、スピードを上げてそこに向かっていく。
「ロニーはランス様と奥様を迎える準備が滞りないか、確認に行きました。おそらく大勢の出迎えが並んでおります」
出迎え?しまった。領民の前に出るまでに、少しの暇をもらえるものだと思い込んでいた!
「ランス様!私を下ろしてくださいませ。英雄にしがみついている妻などみっともないです!男のなりをしておりますし……そうです!リングの轡を持って入場して、馬まわりの小姓のように……リング、お願いできる?グエッ!」
ランス様にみぞおちをグッと押さえ込まれた!さすが英雄……
「エムの居場所はここだ。ココにいれば、エムは俺の妻だと一目でわかり、子供服も見つからない」
このまま?馬に乗れないからランス様にご迷惑かけてますって醜態晒しながら入るの?
私は助けを求めて、ダグラス様をプルプルと見つめる。ダグラス様が息をのむ。
「ダグラス様、お願いです!ランス様がご入場のあと、ダグラス様の背でナンシーに乗って、こっそり裏口から後を追い……」
「「却下!!!」」
何なのこの仲良し主従!何?上からすごい殺気が降り注いでる気がするんだけど……
「奥様、諦めてください。ランス様、今は愛想を振りまく必要はありません。奥様のために城まで手早く駆け抜けてくださいませ?」
「わかった」
私は全くわかっていなかったけれど、何の変更もなく、ランス様は城塞の門目掛けて突っ込んでいった。
◇◇◇
「開門!!!」
城塞の中はテーマパークのようだった。石畳の道が碁盤に広がり、その道沿いに商店や民家が立ち並ぶ。畑は見えないけれど、家畜の鳴き声はするので、畜産?は中で営まれているみたい。丘の上のガッチリとした飾り気のない建物が領主館だろうか?
「この辺りの人々は、王都に行ったことなどないので、領主の屋敷を城と呼び、街を城下町と表します」
と、ダグラス様。確かに遠目にみても堂々とした大きな建物だ。
その丘の上の城に続くと見られる道沿いに大勢の人々が押し寄せていた。
「新しき東の辺境、キアラリー領の領主、キアラリー伯のご入城です!」
うわああああああ!!!
あまりの歓声に地鳴りがする。
「英雄、英雄!!!」
「ランスロットさまー!!!」
「将軍閣下ー!!!」
「こえー!!!」
スッとランス様が手をあげる。途端に場が静まる。ランス様場慣れしてらっしゃる。
「皆、歓迎ありがとう。これまでの経歴はさておき、私は領主としては新米だ。これからよろしく頼む。ではまたな」
そう言うと、ランス様はリングに合図し、坂道を駆け上がった!
沿道はしばらく英雄コールが響きわたる。
急に道が狭くなり、大きなリングでは一頭しか走れない幅しかない。
ダグラス様が後ろに移る。
「何故晴れがましい城への道がこれほど狭いのでしょう?」
「敵が押し寄せられないように、だろうな」
思った以上に実利重視の館みたいだ。貴族の屋敷はきっと派手派手だろうと思っていたけれど。
ちなみにバルト伯爵家は客間以外は質素なものだった。私に金をかけなければいけなかったから。王子殿下は我が家の暮らしぶりを貧相だと鼻で笑ってた。
リングは力強く丘を登りきった。上に切り立つ槍が等間隔で並んでいる頑丈な塀の真ん中に、黒い観音開きの入り口が開いている。ゆっくりとランス様は中に入った。
思っていたどの想像とも違う光景がそこにあった。
誰も待ち構えてなどおらず、革製の甲冑や胸当てを纏った兵士達が慌ただしく走り回り……おそらく準備をしている。
「キアラリー伯!」
ワイアットが駆けてきて、馬上のランス様に何事か話す。ランス様は数秒眼を閉じた後、何か指示を出した。若い兵士が走り寄り、ダグラス様がひらりと降りるとダグラス様の愛馬ナンシーを受け取り、厩舎に?連れて行った。
「皆、集まれ!!!」
ダグラス様が良く響く声で叫ぶと、皆手を止めて、ランス様の前に整列した。
「ランス様!お待ちしていました!」
「閣下!領地の拝領!おめでとうございます!」
「英雄様、いつまでもついていきますぜ!」
「あーあ、閣下、変な女もらうはめになったんだって?かわいそー!」
「でもいないってことは、こんな田舎付いて行きたくない!ってとこですか?邪魔されるよりその方がいいってもんですよねー!」
「ランス様ー!この領、いい女いますぜー」
……随分な言われようだ。
「あまり、部下の皆様と垣根がないのですね」
「……今、猛烈に後悔しているところだ」
頭上でランス様が息を吸う音がした。ザワッ……空気が変わる。
ランス様が私の上にかかるマントを取る。どうやら私の黒髪はマントの黒と同化して、ここまで誰も私の存在に気がつかなかったようだ。まるで虫の『擬態』。
ランス様に抱かれた私が現れた。ランス様は慣れた風に片手で私をホールドし、馬から降りる。マントをダグラス様に手渡す。
「キアラリー領主夫人、エメリーン・キアラリー伯爵夫人です」
ダグラス様が紹介してくれる。
ランス様は、私を地面に下ろす気配が無くて、私はしょうがなく、縦抱きされたまま、頭を下げた。
顔を上げて、正面に並ぶ兵士の皆さんの顔を見ると、呆気にとられていて……やがてその表情は嫌悪に変わった。
早速、嫌われているとは……笑えない。