3 unlucky?
大の大人が四人もいるというのに、応接室はしばらく無音だった。
ここで言わなければ、発言する機会などない!私は深呼吸した。
「おそれながら、私の〈祝福〉などあてにならないと王子殿下がおっしゃられたのを、覚えてらっしゃるでしょうか。私自身、そう思います。私などが将軍閣下に〈祝福〉を与えられるわけがないのです。今や英雄と呼ばれる閣下に私のようなキズモノで華のない女を押し付けては、陛下の御名も閣下の御名も汚すことにしかなりません。英雄には、もっと麗しい方が相応しいかと」
私が王子の言葉を引用すると、父が苦痛に顔を歪める。
「エメリーン嬢……お前は決してキズモノなどではない」
あの祝賀会、国内のほぼ全ての貴族と有力な民が揃っていたことを忘れたのだろうか?
私はつい、いい加減にしろ!という思いを顔に出してしまったのかもしれない。
王は私に向け一瞬憐れみの表情を向け……、すぐに表情を、王のものに変えた。
「伯爵令嬢エメリーン、これは王命だ。騎士ランスロットを良く支えよ」
王命……
父が、静かに頭を下げた。
私もならった。
「私と伯爵は席を外す。二人、とりあえず少し話すように」
王が私の方を見ることなく退出する。父は私の手をギュッと握りしめて、王の後に続いた。
◇◇◇
私と将軍閣下、二人、残された。
王宮の、ロボットみたいなメイドが無駄のない動きで温かい紅茶を入れ、二人の目の前に給仕し下がる。
「顔を上げてほしい」
低く、かすれた声がした。私は自分の指先に視線を落としていた。不快にさせてしまったらしい。
ゆっくりと顔を起こし、英雄の顔を見る。軍人らしくあまり感情を外に出さないお方のようだ。美しく、燃えるような紅蓮の瞳。
「申し訳、ありません」
「いや、怒っているのではない」
閣下は慌てたようにそう言った。案外お優しい?そりゃそうだ、これほど若くして人の上に立つ立場ということは、よほどの人格者なのだろう。ますます気の毒だ。
「いえ、私のような不良債権を押し付けられたこと、に対してです」
「フリョウサイケン?」
ああ、こちらの言葉ではなかったか。
「ええと、厄介な、捨てられない借金、燃えないゴミ?というような意味です」
「ゴホゴホゴホッ……」
お茶を飲まれていた将軍が思いっきり咽せた。
「ゴミなどと……なんてことを。君がゴミだとしたら、私はゴミのために命がけで戦ったことになる。そのようなこと、二度と言うな!」
ホントに怒らせてしまった。閣下は国民のために刀を取り戦ってきたのだ。私も国民の一人。深く考えもせず口にした私が悪い。閣下は生真面目でもあるらしい。
「申し訳ございません」
私は深々と頭を下げた。
「おい……ああ、くそっ!もういい!頭をあげてくれ!」
顔をあげると、閣下が目を瞑り、天井を見上げている。
……困らせている。いっそ、もう出奔してしまおうか。準備しているトランクを持って。両親も尊敬する将軍閣下が私と結婚することで不幸になるよりはバルト領を潰されたほうがマシだと思うだろう。対私には最悪ヤロウの王だけど、賢王と名高い。きっと素晴らしい領主があてがわれて領民には迷惑かからないはず。一番被害を被るのは……、
「キースか……」
「キース?」
「あ、申し訳ありません」
口に出していたようだ。
「キースとは?」
「弟です。今学校で勉強しております」
「そうか」
閣下がふうーっと息を吐いた。
「エメリーン嬢」
「どうぞ、呼び捨ててください」
「ご、ごほん、では、エメリーン、君は、その、私が恐ろしくないのか?」
「え?あの、尊敬しておりますが」
英雄だもの。
「恐ろしくはないのか?」
「……すいません、あの、恐ろしいことが起こるのでしょうか?」
「わ、私の見てくれがだ!!」
見てくれ?容姿ってこと?
そう言われてしまえば、まじまじ見てしまうのはしょうがない。
おっきい筋骨隆々と思われる体は、うちの学校のハンマー投げの選手だった体育の同僚みたい。頰や首筋の傷はヤンチャな教え子を思い出す。真っ赤な髪は炎のようで、紅蓮の瞳はさっきも思ったけど美しいし、誠実さを表しているようだ。
閣下がいつのまにか、少し赤くなっている。少し窓を開けたほうがいいのかしら。
「閣下のご様子は、大変お強そうだなあ、と思います。でも恐ろしくはありません。だって、その大きな手で私たちを守ってくださってきたのですもの」
「そ、そうか……私は長いこと、軍にいるから、怒鳴ってばかりで……しかめっ面だからか周囲に煙たがれている。か弱い女性にかける言葉などわからない。これからも、期待しないでくれ」
「わかりました。では、私のことも出来の悪い部下と思ってくだされば結構です。どうぞ気楽にお話しください」
本当に閣下と結婚するのなら、閣下にご飯を食べさせてもらうということで、やはり部下みたいなものだ。部下と違って役に立ちそうにないけれど。
「そうだな……どう取り繕おうと……では単刀直入に言う。君は……私が君を国王陛下から押し付けられたと思っているんだろうが……実際は逆だ」
言ってる意味がさっぱりわからない。私は頭を横に傾けた。
「君の……〈祝福〉について、悪いのだが国王陛下に聞いている」
予想はついていたけれど、やっぱりあてにしてるの?ダメだ!閣下は軍人!戦争の勝運など求めらたらたまったもんじゃない!負けたら最後、切腹ものだ!責任取れない。私は頭を横にふる。
「閣下、私の〈祝福〉については本当に期待してはなりません。閣下もあの場におられたはず!私の〈運〉は結局何ももたらさないのです!」
「もたらさないのであれば、それでいい!それだけでもいい!」
「であれば、ますます私である必要はない!閣下、悪いこと言いません、この縁組お断りなさいませ!閣下から言い出せば、陛下も恐らく……」
「私が、国王陛下にエメリーンの話を伺って、是非にも!と願い出たのだ!今回の戦果の褒賞として、是非エメリーン嬢を!と」
「……どうして?」
英雄が褒賞として願えば、王子の姉の、あの見目麗しい王女殿下でも手に入ったはず。
「私の〈祝福〉は〈死〉だ」
私は言葉を出せず……唾を飲み込んだ。
〈死〉の〈祝福〉?そんな〈祝福〉ありなの?
呆然とする私に、閣下が寂しげに笑った。
「私は……死神なんだよ。私の本当の両親は〈祝福〉の儀のその日に私を捨てた。粗末に扱うのも恐ろしいと教会から国に報告され、国王陛下のとりなしで豪気な軍の将軍も務める公爵閣下の養子となり、軍人になるべく、育てられた」
側にいるだけで〈死〉を招くと怖れられた?〈死〉を持ってるから〈死〉を恐れないとでも思われた?それとも相手に〈死〉をもたらす働きをすることが〈祝福〉だとか思わされた?何もわかってない幼い子供に?
こんな、わけわからん〈祝福〉、ありえない。私といい勝負、いやそれ以上だ。
閣下が押し付けられた〈祝福〉に翻弄され、利用され、飼い殺されていたことが、易く想像できる。私と一緒だから。私よりも年上の分長く。
「戦争に出れば、どんなに大怪我をしようと、何とか生還する。どうせ死ぬのだと捨て身のためなのか、死神とは自分は死なぬものなのか。まあそのせいで顔も体も傷だらけで……部下はこの人相に震え上がる」
死神は死なない?そんなバカなこと言う人がいるの?死ぬほどの大怪我?前世刺されたあの痛みをこの人は何度も負って耐えているの?信じられない……。
「流石に結婚する相手に、己の〈祝福〉を隠すわけにはいかないだろう?誰が死神を夫に持ちたいと思う?私は君ならば、醜聞のせいで逃げ出すこともできず、私と結婚せざるをえず、そして、君の〈運〉が王子の言うように何ももたらさない……私の〈死〉の影響も受けないのなら逆に素晴らしいと。そして、もしかして君の〈運〉が働いて、私の〈死〉が中和されれば……最善だと……」
この、国一番強く、大きな男は、私を利用しようとしている。
でも、誰よりも、確かに必要としている……切実に。
「浅ましいだろう?だが、もう王命が下った。君は私から逃れられない。二週間後私は退役し、東の守護のため辺境伯となるべく旅立つ。君も帯同だ。準備しておくように」
ぶっきらぼうに言い放つ閣下。そうせざるをえない不器用な方。
閣下の気持ちが、痛いほどわかってしまう。
心を落ち着け、前世でしていたように、目の前の苦しんでいる人にかける言葉を、経験の中から慎重に探り当てる。
「閣下、ご存知ですか?」
「……なんだ」
俯いていた閣下が無表情に顔を上げた。
「〈死〉だけが、男も女も、王も奴隷も、金持ちも貧乏も、差別なく訪れる、平等なのです」
前世、祖父の葬儀で僧侶がそう言っていた。
「…………」
「ゆえに、閣下の〈祝福〉は至って平凡です」
閣下の目が大きく見開いた。
そして目を閉じて、眉間を指先で押さえ……再び私を見たとき、閣下の紅い瞳はギラリと光った。
先程までの『死んだ魚のような目』とは大違い。閣下は死神ではない。〈生きて〉いる。
「私……いや、俺のことはランスと呼んでくれ」
「では私のことはエム、と」
ランス様が私に手を差し出した。私は自らの意思でその手を取り、握手した。