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29 lucky?

 起きたら、昼だった。物心ついて、お妃教育が始まって以来、ずっと五時起きだったのに、こんなことって……。


 ヨロヨロと起きて、バスルームに向かう。ランス様がいないので、スタンさんに教わった手順でお湯を沸かす。湯船に浸かり、紅い印の残る肌を見て昨夜を思い出し、恥ずかしくて湯に潜る。


『なーに照れてんの?前世でちゃんと知識あったでしょ?』

「ラック!まさか見てたの⁉︎」

『そんなヤボなことするかっ!夫婦のラブラブ見てたって面白くもなんともないやい!』

「あう……」

『まあ、ヤキモキしたけどランスがヘタレなりに頑張ったね』

 ヘタレ……戦鬼将軍と呼ばれてたランス様にヘタレ……。


『私的には信頼しあえたほうが高得点!……なかなか、ありそでないのよ?』

「私の両親は信頼しあってるけど?」

『……そだね。精霊の好物よ。きっと報われるわ』

 ラックの言葉は足りなくて、今ひとつ分からない。


 そういえばランス様は既に出発したのだと思い当たって、見送りもしなかった自分に凹む。




 後で敷地内だけでも馬に乗ろうと少年姿に着替えて、こっそり部屋を出て厨房に行くと無人。お湯を沸かし、お茶と戸棚……いつのまにか私専用……にあった黒砂糖パンを一つかじる。ほんのり甘くて美味しい。


 ランス様は今頃、どの辺りを走っているのかしら。


「奥様、昼食それでは少ないですよ」

「ひゃっ!」


 スタンさんがニコニコと笑い、オレンジをカットして私に差し出してくれた。私はお礼を言って受け取り食べる。すっぱい。


「旦那様は予定通り出立いたしました」

「おかわりなく?」

「まあ、奥様のお見送りがなかったので、皆、空気の抜けたような出立でしたね」

「……ダメね、私」


「くくくっ、ランス様は少し?浮かれてらっしゃったかな?」

「嘘よ」

 口をへの字にしてジトーっとスタンさんを見る。

「私はランス様が赤子の頃よりお側にいるのです。間違いないですよ」


 そうだ、スタンさんは私よりもランス様をご存知で、ランス様を愛している。

「スタンさん」

「はい?」

「私と、ランス様は王命で結婚したの」

「はい」

「でも、ランス様、昨日、私のことあの……好きだって言ってくださって……」

「はい、ようやくですね、あのヘタレ」

 ヘタレ?

「私、ここにずっと居てもいいんですって。どう思いますか?」


「エム様、ランス様は器用なウソをつけるお方ではありません」

 私は頷いた。

「言葉通りです。ずっとこの荒っぽい土地で、ランス様と我々と楽しく逞しく過ごしましょう」

 スタンさんが私の肩に手を置いて、ニッコリ笑ってくれた。

「……はい」

 スタンさんも、受け入れてくれた。




 ◇◇◇




 事務室に行くと、ロニー様に変わり、ワイアット様がキビキビと書類を片付けていた。私の気配に顔を上げる。


「奥様、いかがされましたか?」

「また、セルに乗せて欲しくて。でも敷地を出ないから、一人で大丈夫よ?」


「そうですね……ちょっとこちらの仕事が押してまして……窓から見える範囲でよろしいですか?私が駆けつけられるように」

「ありがとう。乗り降りを反復するだけだから」

「エム様、そう言わず歩かせてあげてください。セルも退屈しています」


 私は厩舎に行き、セルに挨拶し、事務室から見渡せる庭に来て、ワイアット様に手を振る。ワイアット様が窓を開け、セルに声をかけると、セルが嬉しそうにいなないた。仲良しカップルだ。


 セルに乗ったり降りたりを繰り返し、ゆっくりゆっくり歩かせる。馬上だと、はるか城塞の向こうが少し見える。麦の芽が随分と伸びた。風が冷たくない。季節は春に移った。


「どこか、花の咲いてる野原に行きたいね」

「ヒヒーン」

 女同士、セルとは気があう。


「あの、私がお連れしましょうか?」

 突然後ろから声をかけられ振り向くと、クレアが、気まずそうに、でも覚悟を決めた表情で立っていた。


 まだ日は高い。

「遠いの?」

「セルであれば、30分ほどです」


 クレアが歯を食いしばって、私を下から見上げている。まるで刑を言い渡されるのを待つ罪人のように。

 はあ、私に声をかけるのも勇気がいったことだろう。


「行きたいわ。でも、ワイアット様の許可をもらってきてくれる?」

「私が、ですか?」

 そこは譲れない。私が勝手をしたと思われたくない。と、思っていたら、クレアの顔がジワジワと赤くなる。

「聞いて……まいります」



 クレアは事務室に走ってむかい、やがてワイアット様を引き連れて戻ってきた。

「エム様、花畑に行きたいと?」

「はい、クレアが連れて行ってくれるって」

「クレア……ああ、あの丘の上か、夕刻、明るいうちに戻ってこれるか?」

「はい」

「一人、兵士をつける」

「ワイアット様、そんな仰々しい!」

 私に二人も割くなんて。それにクレアを信用できないと言ってるようなものだ。

「エム様、慣れてください。あなたの身はこの領の命運を左右します」

 そうだった。

「わかったわ」

「確か、レンゲがたくさん咲いていますよ。セル、いっぱい食べておいで?」

「ヒヒーン!」

 セルとワイアット様、ラブラブだ。



 クレアが私の後ろに乗る。そして私に手を出さず、私にセルを操縦させる。クレアは背中の鞍を片手で握り、器用にバランスを取っている。


「上達されましたね」

「そう?嬉しい!」


 中堅どころの顔見知りの兵士は少し距離を置いて、のんびり後ろを付いてくる。

 城塞を出て、少し走らせてみると、身体が後ろに倒れ、クレアにぶつかる。


「お、奥様!重心を前にかけて!」

「ごめん!わかった!」

 前に向かって踏ん張って、なんとかスピードを保つ。

 小さな丘を駆け上がると……一面の花畑だった。


「うわあ」

 レンゲに、シロツメクサ、野菊にポピー?芝桜?色取り取りの花が、主張なく譲り合って、優しく咲き誇っていた。

 いそいそとセルから降りて、しゃがみこむ。ミツバチがブンと飛んできて、つい慌てて尻餅をつく。


「奥様!」

「大丈夫よ。きれいねえ……こんな綺麗な光景、生まれて初めてみたわ。クレア、連れて来てくれてありがとう!」


「いえ……」


 本当に外はどこまでも広く、空は高い。


 私はそのまま座り込み、花の絨毯を満喫した。小さなスミレを見つけ、ランス様が昨夜私の目をスミレに例えてくれたことを思い出し、軽く悶える。


  クレアはそばに控え、もう一人の兵士がセルと自分の馬の世話をする。


 前世の記憶を思い出し、レンゲたちの茎を長めに摘んで、花かんむりを作る。3個目は随分カッコよく出来た。

「クレア、髪を解いて?」

「は?」

 訝しげにうなじで結んでいた紐を解く。私の命令に逆らえない。サラリと黒い直毛の髪が腰まで広がり、落ちる。


 私はクレアの頭にかんむりを載せた。黒髪に、ピンクと白と緑が映える。アクセントに紫。

「クレア、可愛い」


 私はそのまま馬に向かい、

「はーい!こっちのお姫様たちにもー!」

 セルと、兵士の馬であるジェスの耳の上にかんむりを引っ掛けようとしたら、二頭とも、首を回してそれをパクッと咥えてしまった!


「ぎゃー!食べちゃったあ!」

「好物ですので」


 兵士がはははっと笑った。


 元の場所に戻ると、赤い顔のクレアが花かんむりをつけたまま、花を無意識に摘んでいる。

「小さな花束を作ってお土産にしましょうか?私はタルサさんに作るから、クレアはワイアット様ね!」

 クレアの顔がますますぼっとトマトのように赤くなった。

「ワイアット様は……私の花など、受け取ってくれません」


 なるほど……。

「クレアはワイアット様が好きなんだ」

 クレアは顔を強張らせ、下を向いた。


 はあ……、私に意地悪をしたクレアを今のところワイアット様は良く思ってないだろう。クレアの恋は前途多難だ。

「ねえクレア?あなたいくつ?」

「十六です」


 私より大きいし、社会人経験長いから大人びて見えたけど、そうか年下だったか。あの幼い言動に納得する。

 夢がいっぱいの、女の子が一番輝く年頃。精一杯大人ぶって、空回りして、泣いて……私の可愛い教え子たちと似たり寄ったり。


「とりあえず、クレアが私の恋敵じゃなくて安心したわ」

「恋敵⁉︎閣下の?そんな恐れ多い!」

「え、でもランス様のことが好きだから、私のことを追い出そうとしたんでしょ?」

「閣下のことは、尊敬の対象です!閣下は見捨てられた私の村に駆けつけて助けてくれた!一生ご恩は忘れない。けれど恋愛対象ではありません!あなたはきっと戦場の閣下を見ていないから恐ろしくないのだ!私は最近、閣下を転がす奥様を尊敬すらしている!はっ!私ってば何てことを!申し訳ありません!」


 なんか……色々聞けました。ランス様気の毒……。


「ま、まあまだ若いんだから、リカバリーきくって!今からドンドンいいとこ見せて、ワイアット様攻略、頑張って!応援してる!」


「奥様……案外軽い……」




「そろそろ、戻りますよ?」

 兵士が優しい笑みを浮かべ、馬を引き連れやってきた。

「クレア……似合うぞ」

「…………」




 屋敷に戻り、クレアと私二人からだと言って、ワイアット様とタルサさんに花束を渡した。二人ともびっくりした顔をして、ありがとうと受け取った。

 伯爵家の豪華な花瓶に私たちの野花は似合わなくて、タルサさんが小ぶりの酒瓶にリボンをつけて、事務室と厨房に飾ってくれた。









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