22 lucky?
「おかえりなさいませ、ランス様」
熱も下がり、咳もおさまり体力もほぼ戻り、部屋でニルスさんの美味しい昼食を食べていた私は、突然のランス様の帰宅にびっくりしながらも駆け寄りキスをした。ランス様も慣れたのか、条件反射で屈んで私に頰を出してくださるものの……表情がとても険しい。今日は城下で一日中仕事と言ってたはずだけど?
「エム、城塞の外の小川で水浴びしていたってのは本当か?」
ランス様の紅い瞳から光線が出た!気がした。
「「「ひっ!」」」
私とともに悲鳴を上げたダグラス様とタルサはドアまでダッシュし、おざなりのお辞儀をしてバタンと戸を閉めて出ていった。
「本当……のようだな」
「…………」
「ストレスもあっただろうが……それも寝込んだ原因なんだな?」
「ど、どうしてご存知なのですか?」
「城塞の衛兵のガンズが、初心者の少年を心配して後をつけたら……なんと少年じゃなくて長い黒髪の可愛らしい妖精だったらしい」
あの、強面だけど実は心配症で優しいおじさん……そこまで優秀だったとは!それに妖精に例えて誤魔化そうとしてくれるなんて、大人だ!
『エム、おまえそんなことしたのか?』
『わー!ランス怒ってるねー。私もあの時ビックリしたよ?エムの謎の行動力に!』
私たちの守護精霊であるラックとレッドは私とランス様二人のときに、ぴょこんと現れる。
私一人だったらラックだけ現れるのかもしれないけれど、ここのところ全く一人にされないのでわからない。
「勝手に、城塞を出て、水浴びして、すみませんでした」
私はきちんと頭を下げた。
「そこじゃない!」
「は?」
「いや、そこも十分問題だ!襲われ攫われたらどうする!そのうえ一人で、冷たい川に入る……裸で!危機意識が無さすぎる!」
十分に周りに気を配り、誰もいないのを確認した!って言いたいけれど、実際つけられて目撃されている。何も言えない。
「申し訳ありません。どうしても、身体を洗いたくて……」
「ここの風呂よりも、川の方が安心できたのか?……今もそうなのか?俺がいると入れないか?」
「いいえ、あの時は、得体の知れない敵意に怯えてて、判断力が低下してて……今はそんなことありません。むしろ早くスタンさんの許可をもらってここのお部屋のお風呂使ってみたいです。ランス様のことは当然信頼しているので、例えば裸見られても全然平気です!」
私は誤解のないように親指をビッと上げた。
執事長であるスタンさんは医療に詳しいおじいさんで、私の体調をきっちり管理する。誰もがスタンさんの言うことを聞き、私の入浴を許してくれない。逆らったら年配のスタンさんが倒れてしまうと思って、遠慮しているようで……みんなお優しい。
「信頼されているのは嬉しいが……なんなんだ、この敗北感は。ここまで意識されていないとなると……」
「ランス様?」
「とにかく!二度と、川で水浴びするな!エムが風呂に入るのはここだけだ。わかったか!」
「はい!」
ランス様は入ってきたときの意気込みと対照的にヨロヨロと出ていった。
『ランス……』
『ランス気の毒ねー!』
ランス様と入れ替わりにスタンさんが入室してきた。ラックとレッドは途端に消える。
「スタンさん、今夜こそは入浴してもいいですか?」
「ダメです。深夜発熱する傾向があるでしょう?今夜の様子をみて、大丈夫であれば明日の温かい時間に入りましょうね。…………しかし、まさか抜け出して、小川に浸かっていたとは……令嬢という常識に囚われて気がつかなかった。私もまだまだですね……ふふふ」
食事の皿を下げようとするスタンさんを慌てて止めた。階段で転びでもしたら大変だ。私がトレーを取り上げると、スタンさんは目を見張った後ニコニコとありがとうございますと言った。
私は久々に一階に降りて厨房に行った。ドアを開けるとニルスさんが黙々と夕食の準備をしていた。
「エム!」
ニルスさんは手にしていた包丁を置き、私のそばに駆け寄り、私の手からトレーを取り上げた。
「起きて大丈夫か?なんで自分で持ってきた?タルサは何をしている?」
「タルサさん、忙しいんです。たった一人のメイドになっちゃったから……」
「ああ……」
二人で遠い目をした。
「だがな、慣れない仕事に悪戦苦闘しているが、辛くはないってよ。皆が頼りにしてくれてこれまでの何倍も仕事が楽しいってさ」
「でも厨房はニルスさんにしわ寄せがきているのでは?」
「そう思うのなら、早く元気になって、手伝ってくれ」
「そのじゃがいも、私が剥きます!」
「今日はダメだ」
ニルスさんが火のそばに椅子を置き、私を腰掛けさせる。作業台にはたくさんの野菜。
「あ、私、キノコたくさん摘んだのに、どうなったかしら?」
「……どこにあるのですか?」
いつの間にかスタンさんが現れて声をかけてきた。
「あの、グレーの保存袋です。あの日リネン室に持ち込んでたかも……」
しばらくすると、スタンさんが私の保存袋をどこからか持ってきた。
私はいそいそと中を開けて、作業台に乗せる。一週間ほど経ち、ハーブはクシャッとしおれていたけれど、キノコはまだ食べられそうだ。
「これは……立派なの見つけたな。このヤマガミダケ、肉厚で美味そうだ」
「料理に使えますか?よかった!」
「奥様、これは例の小川のほとりで採取したのですか?」
「はい……」
思わず縮こまる。
「ふふふ、もう旦那様に怒られたのですから私は何も申しませんよ。でも今度から誰か連れて行かなければなりません!」
「はいはいはい!」
なんだろう、このスタンさんの威圧感……おじいさんなのに……。
「そうだな、日が経ってるから念のため煮込むか。エムは何が食べたい?」
「ニルスさんのスープに入れて欲しいです」
「わかった。あったまるようにとろみをつけて……せっかくだからそのハーブも使おう」
「ありがとう!楽しみです!」
「エムの食いしん坊が戻ってきた……全快までもうちょいだな、よかった……」
「さあ、奥様、薬を飲んで、部屋で一休みしましょうね」
私はゆっくりと先だって部屋に戻った。
「執事長」
「何でしょう?」
「あの、俺たち、本当に奥様のこと、エムなんて呼び捨てのままでいいんですかい?」
「今更奥様などと、あなた方が呼んだら、奥様泣いてしまわれますよ?あなた方はただのエメリーンと出会い、その人柄を気に入った。ここの奥方という先入観無しに。それが理不尽な仕打ちを受けていた奥様にとっては救いだったでしょう。あなた方はエメリーン様が王都で悪名高い奥様とわかって……態度を変えますか?」
「まさか!エムは食いしん坊で、健気なエムのままだ!」
「ならばこのままでいいではありませんか」
◇◇◇
私が採ったキノコは出汁が出る類のものであったらしく、いつものスープがとても味わい深いものになっていた。ランス様もおかわりをしている。
「ああ、美味しかった。ご馳走さまでした」
「どういたしまして。ふふふ、そんなに美味しかったのかい?私も後で食べるのが楽しみだ」
タルサさんはそう言いながら食器を下げてくれた。
スタンさんに苦い薬を握らせられて、飲む。するとスタンさんもおやすみなさいませと出ていった。
私が椅子から立ち上がると、ランス様がサッと抱き上げベッドに向かおうとする。
「待って、あの、バスルームで身体を拭こうと思ってます」
それを聞くとランス様はクルッと方向を変え、連れていってくれた。扉を開け、私を浴槽の縁に座らせると、大きな洗面器に水を入れ、そこに手を浸した。しばらくすると、洗面器から湯気が立ち上る。
「すごい……」
どうやら水の中で火魔法を発動したようだ。
『ランスの反則技だ』
ランス様の頭の上で、レッドがボヤいている。
「具合悪くなったらすぐ呼べよ?」
私の頭をポンポンと叩きながらそう言うとレッドをプカプカ引き連れ出ていった。
私はありがたくお湯を使わせてもらい身体を拭く。
『随分やせたねえ』
「そう?」
ラックに言われて鏡を見る。やつれた地味な女が映っている。でも顔に赤みがさしてきた。
下着やナイトドレスを着替え、髪を解く。
「ねえ、私臭い?」
もう一週間身体も髪も洗っていない。川の行水の件がバレて、急に気になるようになった。
『まだ大丈夫じゃない?』
「まだってなに?」
「エム!」
「はいー!」
ランス様が心配しているので慌てて扉を開けた。再び抱き上げられ、ベッドに向かう。
「待って、今日はソファーで寝ます!」
「……どうして?」
「ランス様と寝たくないのです」
『オイーーーー!』
何故かレッドが絶叫した!
「……俺がいよいよ憎くなったか?」
「憎いです!だって、ランス様はいっつも石鹸の良い匂いをプンプンさせて、私は多分すんごく汗臭くて……次にお風呂に入るまで、ベッドで寝ないと決めました!」
「却下!!!」
あっという間にベッドに転がされ、ランス様の身体に覆われた。ランス様がパチンと指を鳴らすと、ランプの炎が小さくなった。すごい!
『またランスの反則技……』
「くだらないこと言ってないで、さっさと寝ろ!」
「もう、ランス様!私臭いのに……」
私が涙目で見上げると、睨み返された。
「いいか?エムは臭くない!エムはキャンディーの匂いしかしない!夫婦はこうして寝るって決まってるんだ!おやすみっ!」
私は目の前の大きな胸に鼻を寄せクンクンと匂いを嗅ぐ。
「自分ばっかりいい匂いさせてズルイ……」
私は恨み節を言いながら、ランス様の爽やかな香りに包まれて、いつのまにか寝た。
「顔を胸に押し付けて寝るとか……拷問か?勘弁してくれ……」
『エムは煽るのが上手だねー!』
『おまえら二人とも本当にたち悪い。ランス、気の毒に……』
「……森で水浴びなど……そんな苦労二度とさせないから……」