21 lucky?
私の病状が軽くなり、微熱になると、ランス様はベッドの横のテーブルで書類仕事をするようになった。しかし、当然大人数での会議やすり合わせのようなことが日々必要なわけで、
「ランス様、私のせいで仕事が捗っていないとなれば、私責任を感じてしまいます」
そう言うと渋々ダグラス様に引きずられ、出ていった。
そんな時も過保護にロニー様かワイアット様、ダグラス様を側につけて決して私を一人にしない。
そして、
「エム、スープだけでも飲みなさい。そうしないと体力が戻らないってさ」
「タルサさん」
厨房からタルサさんが病人食を運んで、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
「タルサさん、お忙しいのにごめんなさい。もうすぐ夕食の仕込みの時間でしょう?」
「あーー、大丈夫よ、ニルス一人で。作る相手の人数減ったからね……」
「えーっと、どうして?」
タルサさんがチラリと……更に進化し共用の仕事机と化している夫婦の寝室のテーブルで……書面に目を通しているロニー様を見た。ロニー様は顔をあげ、私たちの視線に気がつくと、ベッド横に椅子を運んで座り私と視点を合わせてくれた。あら?貴公子然としたロニー様の頰が青い?転んだのかしら?
「奥様、この屋敷、使えない使用人ばかりだったでしょう?ですので切りました。私たちはじめ奥様も大抵のことはご自分でお出来になるし、信用できない人間がウロウロしてるよりその方が気が楽でしょう?」
「ええええ!、リストラしたのー⁉︎」
「「りすとら?」」
「い、いえ、大量解雇したってことですか?大丈夫?余計な火種になりませんか?皆様、食べられなくなって困りませんか?」
「エムってばなんてお人好しな……」
タルサさんがロニー様を見上げる。二人して肩をすくめた。いつのまにか仲良くなってらっしゃる?
「そこがエムちゃんのいいところさ。エムちゃん、心配しなくて大丈夫だよ。ランス様が戻られて、ランス様とお言葉を交わし、あまりの恐ろしさにこんな職場はお断りだと、皆進んで出ていったんだ。依願退職だね。ランス様は気前よくちゃんと退職金は渡したし、頼まれれば次の仕事の斡旋もした」
皆、ランス様の容貌や覇気に怯えたってこと?はあ……恩人たる英雄に向かってなんてことを……
ランス様……
「ランス様、落ち込んでらっしゃいませんか?」
「まさか!スッキリしてるよ。そもそもランス様と目も合わせられないほど怯えるようじゃ、仕事なんてできない。なんとしてでも、ランス様の元で働きたい!ってぐらいのやつでちょうどいいんだ。そもそもここは優しい土地じゃない。有事、自分で考える頭を持つ人間でなければ」
「タルサさんも、ランス様のこと怖い?出ていきたい?ランス様、とってもお優しいのよ?とっても素晴らしい方なのよ?とっても……」
「はいはいはいはい、わかってるって。そりゃあ、旦那様の最初の怒りを当てられたときは気絶しちまったけど、その後エムを大事に大事に看病する姿を見れば、情に厚い素晴らしいお方だって、私もニルスももうすーっかりわかってるよ!」
気絶?え、気絶してたのは私だよね。きっと言い間違いか聞き間違い。まだボーっとしてるもの。
「タルサさん、出ていかない?」
「いかないよ」
「よかった……」
「と、言うことで、タルサがこの屋敷の唯一のメイドで奥様付きのメイドで、自動的にメイド長になりました」
「「はあ?」」
「ちょ、ちょ、ロニー様!聞いてません!私はしがないコックで……」
「コックはニルス一人で回るそうだ。そして奥様が信頼している女はお前ただ一人。自動的に繰り上げだ」
「わ、私はメイドの仕事など何も!!!」
「奥様はご病気さえ治れば自分のことは何でもご自分でできる。洗濯すら自分でやってしまうお方だ。メイド長の仕事は、そんな自由な奥様の管理だ。楽だろう?」
この土地に来てから私がしてきたこと、とっくにバレてしまってるのだ。
恥ずかしいことをしたわけでもないし、自分の行動を後悔もしていない。でも……
「……ロニー様、申し訳ありませんでした」
「エムちゃん?」
「私がロニー様に相談しなかったために、事が大きくなってしまったのでしょう?」
「…………」
「言い訳をさせてもらいますと、私、ここでの立ち位置がわからなくて、どこまで私が口を出していいものなのかどうか。皆様が私をどう認識しているかわかってから判断しようと思って。でも、どんどん手に負えなくなり、ロニー様にご相談をと思ったけれど、順序的にランス様にまずお伺いしないといけないと……私が他に移る予定があるのなら騒ぎたてても……。結局、体調を崩してご迷惑ばかりおかけして、何と申し上げればいいか……」
ロニー様が首を振る。
「奥様、奥様の環境と不安に気がつくことが出来ず申し訳ありませんでした。私も結局お坊ちゃん育ちで、人があんなに悪意を持って接する……それも自分の仕える方の奥方に辛く当たるなんてことがあるなんて思ってもいなかった。私がきちんと使用人にどれほど奥様が大事なお方か伝えていなかったことが原因です。私しか奥様の味方はいなかったのに」
「ロニー様が謝ることなどないわ。だってロニー様は私などよりもやるべきお仕事が……」
「奥様!ロニーは旦那様に奥様のことを任されていたのです。せめて私にだけでも奥様について話してくれていればこのような事態にはならんかった。いや、やはり私の責任ですな。この屋敷が機能せず、新しい土地に来たばかりの奥様を病に追い込み苦しめたのは、屋敷を管理する執事長である私に一番の非がある」
突然私の言葉が遮られ、驚いて声のほうを見ると、執事長であるスタンおじいさんがお盆に何かを乗せて立っていた。
「スタンさん!二階になんて上がって大丈夫なのですか?ああ、ロニー様、何かわからないけれど受け取って」
「エムちゃん、このじいさん元気だから心配しないでいい。そして驚くほど黒いから」
黒い?
私が首を傾げると、スタンさんはギロリとロニー様を睨みつけて驚くほどしっかりとした足取りで私のもとに来た。
「さあ、奥様、お薬ですよ」
「スタンさん、ありがとう」
とりあえず飲む。やはり苦い。
「奥様、この度の不始末、大変申し訳ありませんでした。これからは私めが奥様をしっかりお守りし、穏やかに過ごせるよう差配いたしますからね」
「え……ありがとうございます。でも、無理しないでくださいね」
「はい」
この城に残ったのはランス様と私の他は執事長のスタンさん、ニルスタルサ夫妻、ロニー様ダグラス様ワイアット様、それだけだった。門番の兵士や警備、掃除など家事の手伝いは通いの人々で、それすらランス様の面接をくぐり抜けた、精鋭?揃い。
私が寝ている間に、メイド長はじめ、私を気に食わなかった人々は消えていた。どう話し合えばいいのかとくよくよしていたので拍子抜けした。
「奥様が使用人にかくも心を砕く状態などありえないのですよ?全く本末転倒です」
スタンさんが優美なカップに人数分お茶を淹れてくれた。ロニー様がためらいなくゴクリと飲む。勝手に開けられた私の食料袋を思い出し、一瞬怯んだけれど、私もそっと口を寄せる。それは……私がこの街で買ったものではなくて、実家の、バルト伯爵家のブレンドだった。
「いかがですか?」
「……ありがとう……スタンさん」
取り寄せて、くださったのだ。私のために。この城に残ってくれた誰かが。お茶の温もりと共にジワリと沁みる。
「これからエメリーン様のお好みを、一つ一つ覚えていくのが一番の私の楽しい仕事になりますな」
ロニー様が辛そうな顔をして、
「少しずつでいいから、俺たちを、もう一度、信頼してくれ」
「違います!ロニー様!信じています。私ロニー様のこと大好きでっ!信じているのに……私がっ器用に動けなくてっ私が……ごめんなさい……」
私は頭をブンブン振りながら、ロニー様の手を掴み詫びる。ロニー様はいっつもお忙しい中、私を優しく気にかけてくださった。一番年が近くて……そう、兄のように。涙が溢れる。唇を噛みしめる。
ロニー様が眼鏡の向こうの黒い瞳に温かい光を宿して、私の頭をそっと撫でた。
「大丈夫だよ。……大好きだよ、エムちゃん。泣かないで」
私はロニー様とスタンさんとタルサさんに甘やかされて、子供のように泣いた。