2 unlucky?
いつのまにかもう一度眠っていて、次に目を覚ますと夜が明けていた。
千春の記憶はまだ残っていた。もう忘れることはなさそうだ。
17歳のただの、世間知らずのエメリーンだったなら、これからの人生、耐えがたいものだったかもしれない。別の世界ではあるが、あれこれ経験済の千春が混ざったことで、何とかやっていけそうだ。
これも運なのかしら。
ドアがノックされ、はい、と返事をすると、メイドのカノンが慌てて入ってきた。
「エメリーン様!お加減は?」
「頭痛はあるけれど、まあ起き上がれるわ。私が帰宅してからどれくらい経ってるの?」
「二日です。お目覚めになったこと、旦那様にご連絡してまいります!」
カノンがパタパタと去って行くと、しばらくしてバタバタと足音をたてて父と母がやってきた。
「エム!」
母が私をかき抱く。そして私のカールした黒髪に指を通し、頭を撫でる。
「なんて事かしら、あなたがこんな目に遭うなんて……」
母の私と同じ紫の瞳から涙が溢れる。
「……お母様、申し訳ありません」
「エムが謝ることなど何もない」
父親が拳を握りしめている。父は美しいグリーンの瞳なのだが、今は怒りなのか、疲れなのか、赤い。髪は私と同じ漆黒だったのだが、とうに真っ白だ。
「体調は……どうだ」
「あまりに緊張しすぎたんだと思います。でももう、そんな心配ありませんでしょ?直に治るかと」
「あなた、すごい熱だったのよ?」
知恵熱だろうか?この頭痛は発熱のせい?
父が手を額に当てる。ひんやりして気持ちいい。
「私が不甲斐ないせいで、お父様とお母様とキースにご迷惑をおかけします」
キースは二つ下の弟。我が家の跡取りだ。今は貴族学校で寄宿舎生活をしている。私は貴族学校すら通えなかった。
父が黙って首を振る。
「王子の発言で、私の〈祝福〉は露見してしまったと考えていいのでしょうか?」
「いや、あまりに突然のことで驚きが先に立ち、皆、最初聞き取れなかったようだ。王子が運がない不運だと喚いていたからか、その〈運〉が〈祝福〉とは皆聞き逃している。そもそもそんな〈祝福〉聞いたことないから、思いも至らぬのだろう」
最悪な事態は避けられたようだ。しかし貴族として致命傷を負ったことに変わりない。
「お父様、私、昨夜、色々と考えましたの。私は国を出られない。この家の負担にもなりたくない。適齢期の男性は皆既に婚約されている。かといって妾や後妻は考えられない。こんなに偏った教育しか受けていない身では、商売もできない。私、領地に戻って修道女になろうと思うのです」
「ひっ……」
母が息を飲む。
「それが、我が家にとっても、私にとっても、唯一の幸せ……」
「修道女なんて!まだ……まだ十七なのよ!」
母が私の肩を掴み、揺さぶる。
「お母様、ごめんなさい。私……疲れました。修道女になり、のんびり、領地のお手伝いをして生きていきたいなと」
「エム……」
「私の〈運〉は、今後神に捧げますわ」
「国王陛下に……そう願い出てみよう」
これが妥当だとわかっている父は、そう言ってくれた。声が震えていた。
◇◇◇
一週間もすると、私の体調は元に戻った。たまに前世の記憶がぶり返し、懐かしくてぼーっとしてしまう。そんな様を見て、カノンはじめメイドたちは物思いに沈んでいると勘違いしている。そうじゃないと否定しても信じてくれない。
私の元に王家から派遣されていた家庭教師もパタリと来なくなり、私はこれまでの教材やノートを全て燃やした。前世教員の千春から言わせれば、あまり必要な知識と思えなかったから。社交のマナーや妃のルール、どれもお腹が膨れることに繋がらない。ダンスやピアノは人に教えるレベルではなく、生きる糧とはなり得ない。
第二王子の瞳の色に合わせて作られたブルーのドレスや小物は全部、出入りの商人に売り払い、お金を父に返した。王子妃としての品格とかなんとかで、自分に不相応なほど上質なものを仕立ててもらっていた。本当に申し訳ない。父はただ、ありがとう、と受け取った。現実的な父を私は尊敬する。
修道院に持っていけるものは限られている。確かトランクケース一つ分だとか?私は数枚の下着と控えめなこげ茶のドレス、洗面用具や裁縫道具と家族の肖像画を入れてみた。修道服は支給されるし、後はいざという時のためのお金をこっそり持てば、これで十分だと思う。
私の部屋がどんどんガランとしていくのを見て母がハラハラと泣く。母も痩せた。
「私が普通の〈祝福〉で生んであげればよかったのに……」
それは違う。
「私はお母様とお父様の元に生まれただけで、ラッキーでした」
父も母も生意気なキースも私を愛してくれている。それはこの世界では実はかなりのラッキーなのだ。
◇◇◇
数日後、王家からお呼び出しがかかった。いよいよだ。ようやくだ。
私が婚約破棄されるのか、婚約解消されるのか、それで今後が大きく変わる。
婚約破棄ならば貴族としての生命を断たれ、我が家も一気に貴族社会から爪弾きにされるだろう。
婚約解消であれば、ある程度の面目が保たれ、これまで拘束してきた時間に対する慰労金が支払われ、我が家の体裁も保たれる。
私の行き先は修道院一択なので、どちらでも変わらないけれど、愛する家族のために願わくば解消であってほしい。
父と二人、登城する。私は首まで襟の詰まった、グレーの飾り気のないドレス姿。コソコソと陰口を叩かれる。父がギュっと手を握ってくれる。
「お父様、このような仕打ちも今日限りですわ。清々しますわね」
「ああ……本当だな」
父が苦笑いして相槌をうった。
小さな、王の私的な応接間に通される。椅子を勧められても二人して座らず、しばらく待っていると、ガチャリとドアが開き、早速王がやってきた。
私と父は優雅に王に挨拶する。
「バルト伯爵、エム、今日ばかりは……堅苦しい挨拶などいらぬ。座ってくれ」
私は父が座ったのを確認して、隣に腰を下ろした。
「エム、バルト伯爵には既に話したのだが……この度のバカ息子の件、悪かった。私は今でもエムを娘にしたいと思っている。だが、流石に……もう心が離れてしまっただろう?」
「…………」
なんと答えろと?
「婚約解消としよう。これまでの忠義、感謝する」
解消だ……ホッとする。王と目が合う。発言を促されている。
「……国王陛下の御温情、誠にありがとうございます。今後は領地バルトのカビルナ修道院に身を寄せ、国王陛下の御代の永久の平安を、私の〈祝福〉全てをもって祈って生きてまいります」
国を出ないで、〈運〉を最大限に使って祈ってやると言ってやった。これで文句は言えないはずだ。
「エム、いや、エメリーン嬢…………その方を修道院にやることは賛成できん」
「は?」
思わずおかしな声が飛び出してしまった。婚約解消されたのだ。私がどこに向かうかは家長たる父が決める事。王に口を挟まれるいわれはない。散々譲歩もしてやったのに何故そんなこと言うの?
「陛下、おそれながら娘は余生を我が領の小さな僧院で、身寄りのない子供たちとただ静かに過ごしたいと願っているだけでございます。先日はご納得頂いたと思いますが」
「その案は却下だ。聡明なエメリーン嬢には我が騎士と結婚してもらいたい」
「「結婚?」」
想像もしなかった言葉に私は開いた口が塞がらない。何故修道女決定じゃないの?こんな傷物欲しがる人がいると?どんな思惑があるの?王子にコケにされた私をこれ以上どうするというの?
隣を見ると、父も唖然としている。
「入れ」
王が入室を許可し、衛兵がドアを開けた。
そこには、ドアよりも大きな、肩までの紅き髪を無造作に後ろに流した男が立っていて、頭を下げてドア枠をくぐるように入ってきた。
「「!!!」」
……どんなに世事に疎い生活を送っていた私でも知っている、目が合った敵を燃やすと言われる紅い瞳、頰にバッサリと入った刀傷。先日のあの私に醜聞を残したパーティーの本物の主役。今日の平和を作った立役者。
「ランスロット・アラバスター将軍閣下……」
「エメリーン嬢、我が国の英雄に、そのほうの〈祝福〉を授けてやってくれ」
絶望が、じわじわと、押し寄せた。