18 Douglas ④
スタンの後をついていくと、小さな物置のような扉にたどりついた。
「まさか、ここに?」
ロニーの顔はずっと青いままだ。
「ここは?」
ワイアットが尋ねる。
「リネン室でございます」
リネン室だと?何故?
「どけ」
ランスがドアノブを掴み回す。様子がおかしい。開かないのか?
「どうやら扉の向こうに何か重しを置いているようですね」
スタンじいが顔をしかめる。
エムちゃん……
「どれだけの信用を俺たちは失ったんだ……守るべき、人なのに……」
ワイアットがため息をついた。
ランスが弾みをつけ、バンッと肩でドアにぶつかった!ズズッと音がして隙間が開く。そこに手を入れ押し開いた。
真っ暗な闇の中、月灯りで白いリネンが青白く光る。奥のほうから何かくぐもった音がする。
「エム?」
驚かさないように、そっと静かに進む。一番奥の布団の間から小さな黒い頭が見えた。ランスが恐る恐るかかっている布団を引き下ろす。
弓を抱きしめナイフを握りこみ、荒い息を吐くエメリーンが……見るからに様子がおかしい!
「エム!!!」
「いけない!まさか!」
スタンが慌てて飛び込んできた。額に手を当てる。
「ランスロット様、急いでお部屋にお運びください!かなりの高熱です。ああ、私としたことが、読み間違えてしまった!!!」
ランスが布団を剥ぐとエメリーンがブルブルと震える。ゴホゴホと咳き込む!弓を引っ張ると力なく手を離す。ナイフがカシャンと床に落ちる。改めて布団でグルグル巻きにして、ランスがようやく抱き上げた。
急いで冷えた部屋を出る。灯りのある場所に出ると、エメリーンの顔は真っ赤だった。スタンが小走りになり、ランスがその後に続く。
ランスの部屋に着くが、ランスの部屋も寒い。ロニーが暖炉に火をつけようとすると、
「その暖炉は飾りです!ストーブを急いで運んでください。食堂のものを!」
ロニーとワイアットが走って出ていった。
「私は薬を作ってまいります」
ベッドカバーを剥ぐとスタンも走りさる。
ベッドに触れると冷たかったのか、ランスはエメリーンを抱きしめたまま、ソファーに座り、妻の身体を必死にさする。
既に旅で見慣れている、ランスが小さなエムちゃんを抱く光景。
「エム、エメリーン……エム……」
ランスがかすれた声で彼女の耳元で囁く。体を揺さぶられ、うっすらと目を開けた。
「らんす……さま?」
「エム!!!」
「おかえり……なさいませ」
エメリーンは、熱に浮かされた、トロンとした瞳をしてゆっくり顔を持ち上げ、ランスの頰に、ちゅっとキスをして、微笑んだ。
ランスの目尻が……下がる。
彼女は自分がどれだけランスに影響を与えてるかわかって……ないだろう。
人々に忌み嫌われる、引き攣れた傷にキスされることが、どれだけ稀有で、どれだけランスの心を軽くしているか。
「なぜ、リネン室にいた?」
「あそこしか……おふとんなかった……から……」
朦朧としたエメリーンに、ランスが静かに尋問する。今のエメリーンに嘘はつけない。この隙を一国の将であったランスが逃すはずがない。知りたいことを続けざまに聞く。
「どうして、扉を塞いだ?」
「だって……怖かった……剥き出しの敵意で……でもどうすることもできない……ぜんぶほんとだもの……王子にすてられたことも……わたしが……うつくしくないことも……」
ランスが目を閉じ、天井を見上げる。再び顔を戻し、エメリーンの黒髪を梳く。
「なぜ、ここのベッドで……寝なかった?」
「ここ?ああ……だって……ほんとのおくさまを……むかえたとき……こまるでしょ……」
ランスの顔が強張る。
あのクソメイド長の言葉を、真に受けたのだろうか?
「間違うな。俺のベッドで眠る女は、〈死〉が訪れるまで、エメリーンだけだ。わかったか?」
エムちゃんはランスの胸の、いつもの場所に収まって、紫の瞳を閉じていた。彼女の耳にランスの言葉は届いただろうか?コンコンッと、咳の音が響く。
「エム……本当にすまん……俺が……すまないエム……」
ランスが苦しそうに顔を歪め、そっと、エメリーンの頰にキスをした。
ロニーたちが重そうなストーブを下から抱えて戻り、点火する。スタンも何やら不味そうな緑の薬をコップに入れて持ってきた。
「エム、エム!」
だるそうに瞳を再び開けた彼女の口にランスがコップを押し当てる。エムちゃんは逆らわずそっと口を開け、流し込まれるとゴクッと飲み、ゴホゴホと咳き込んだ。ランスが抱きしめて、背中を叩く。そのままランスの胸に沈み込む。
そんなエメリーンにスタンが深刻な顔つきで近づき、額に触れ脈を測り、瞳や喉を覗き込む。
「ランスロット様、奥様は命に関わる症状ではありませんが、初期の肺炎を起こしています。睡眠中も何度も咳込み、むせるでしょう……絶対安静です。そろそろ奥様をベッドで休ませましょう」
「……部屋が暖まったらそうする」
ひとまずエムちゃんにしてやれることは終わった。必要なのは心休まる安全な環境でのひたすらの休養。
「ランス、今夜エムちゃんは高熱で震えるだろう。ランスは抱いて寝るといい」
ランスが俺に顔を向け片眉をあげた。
「だから、今すぐ風呂に入ってこい。その埃だらけの体で一緒にベッドに入ったら、エムちゃんが別の病気になる」
「……しかしまだ」
「しかしじゃない。俺たちがついてる。不安なら急げ!」
ランスは渋々、エメリーンをベッドに寝かせ、彼女の顔をそっと撫でて大股でバスルームに行った。彼女は相変わらず子供服姿で……そういえばエムちゃんの洗濯物がバスルームには掛かっていたと思ったが、ランスがそれらを俺たちに見せるわけがない。畳むにしろ、うっかり濡らしてしまうにしろ、俺たちにはどうにもできん。
「なんとまあ……本物のようですね」
スタンがバスルームの扉を見つめて呟いた。
「ああ、ランスはエムちゃんに惚れ込んでる。ランスの思いも本物だし、エムちゃんの善良さも本物だ」
スタンが目を細め、微笑んだ。それすら俺には恐い。
「ダグラスがそう言うならば……安心したわい」
「スタンじい、このままここで働くのか?すぐに公爵様の元に戻るのか?」
「この城を正常にするまで、私がきっちりみかじめよう。もちろん領主様もお前も再教育じゃ。懐かしいな!はっは!」
恐怖しかない。
「あの、執事長は一体……」
スタンとこれまで面識のなかったロニーとワイアットにスタンの出自の説明をする。ロニーは苦い顔をする。スタンがメイド長やその他の者の態度を知りながら、自分に教えなかったことに腹がたつのだろう。
「ロニー様、誠に申し訳ありませんでした。奥様を追い詰め、病に至らせたこと、全て執事長である私の責任です」
スタンが直角に頭を下げる。そうされるとロニーもそれ以上何も言えない。
ランスがバスルームから出てきた。石鹸の匂いをさせ、清潔なシャツに着替えて、濡れた紅い髪を後ろにかきあげる。
「ここは俺だけでいい。もう下がれ」
「明朝八時、薬を持ってまいります」
俺たちは全員、ランスに頭を下げて部屋を出る。
扉が閉まる瞬間見たランスは、ベッドに入り、エメリーンをしっかりと抱き寄せていた。
◇◇◇
「ロニー、覚悟はいいか?」
ロニーが黙って歯を食いしばった。
ガツッ!
俺は力いっぱいロニーをぶん殴った。ランスの名代で。ランスの頭は病気の妻でいっぱいだ。
決してロニー一人のせいではない。しかし留守をランスに託された以上責任者はロニー。けじめがなければ、ロニーが前を向けない。
ロニーはよろけたものの、踏みとどまった。綺麗な顔の頰がみるみる赤く腫れ、口の端から少量の血が流れる。
「申し訳ありませんでした」
「二度とこんな間違い起こすな」
「はい」
偉そうなことを言う自分を心の内で笑う。
エムちゃん……早く良くなって……旅で見せたふんわりした笑顔を見せて……
俺たちの、戦後のランスの凱旋に始まった、怒涛の日々がようやく終わった。