12 unlucky?
『領主夫人』二日目の朝は、風邪の引き始めのような体調で、まずいなあと思いながらのスタートになった。今倒れるのは敵?に弱みを見せるのと同じ。何とか対策を取ろう。
やはりソファーで寝るのは寒かった。リネン室で毛布か何か見つけようと思い、部屋を出る。
今度は朝早すぎたらしく、食堂には誰もいない。私はスタスタと厨房に行くと二人は短い休憩中なのか不在だった。昨日の戸棚を開けてみると、小さな新聞包みがちょこんと乗っていて、にまーっと笑ってしまった。私は棚の隅にメモ用紙を見つけて、ありがとうございます、と書き、包みの代わりに置いて扉を閉めた。
お湯を沸かしながら、自分用のティーポットとカップを買おうと決めた。とりあえず昨日使ったカップを借りて、お茶を入れて、部屋に戻る。
食事の後、正面玄関の隣の詰め所のような部屋にロニー様を訪ねた。ロニー様の周りには甲斐甲斐しくメイドが二人もついて世話をしていた。
「奥様、昨夜はゆっくり眠れましたか?」
「どう思いますか?」
答えられない質問には質問で返す。これは幾多の三者面談を経験した上でかつての私が手に入れたスキルだ。私の切り返しに、ロニー様はへ?っという顔になり、同室しているロニー様の部下はポカーンとして、メイドの二人は顔を真っ青にし、バタバタと退室した。
「……どういうことですか?」
ロニー様に聞かれたが、私は肩をすくめてみせるに留める。まだ自分の中で方針が決まっていないのに、ロニー様にあれこれ言っても、敵を逆上させるだけだ。
「討伐の進展状況は何か連絡ありましたか?」
「それが、途中かなりの悪路のようで、昨日は三日と言いましたが、完了まで一週間はかかりそうです」
一週間!一週間も私、この状態、もつかしら?……もたないわね。とりあえず保身のために備蓄しないと。
「特に私にやるべきことがないのなら、街に降りようと思います。ランス様の許可はもらっています。いいかしら?」
「あー、奥様にしていただくことは今ないのですが、ただ護衛の手配がつきません」
「一人で行けるわ。城塞の中は安全でしょう?街に早く馴染みたいのです」
「まあそうですね……。では……」
ロニー様は上質な紙を取り出して、サラサラと何か書く。覗いてみると、『この者の身上の保証はロニー・ラドグリフが責任を持つ』と癖のない教科書のような字で書いてあった。ひょっとしてロニー様は代々宰相様を輩出するラドグリフ侯爵家の方なのかしら?お妃教育では確か男子が二人……。そんなロニー様が私の保護者になってくださった。綺麗に畳み、封筒の表に通行許可と書き、封緘された。
「この紙は商売の許可証などで使う、この領ではこの部屋にしかない紙。見る者が見ればわかります。何か困ったときはこれを見せれば領主館に連絡が来ますのでご安心ください」
「ありがとうございます!はあ……ロニー様、達筆ですね。読む人のことを考えた美しい文字……私、寝る前に毎日この文章をお手本に練習することを日課にします!」
「あ、え……もう、エムちゃんってば……」
◇◇◇
ランス様の部屋に備え付けのバスルームは私の洗濯物がところ狭しと並んでいる。乾燥しているからか、昨夜洗った少年服はもう乾いていた。私はいそいそとそれに着替えた。
早速出掛けたいところだが、その前にやるべきことがある。退路の確保。
これほど大きな屋敷であれば、絶対に隠し通路が数本ある。バルト伯爵家にすら、両親の寝室から外につながるルートがあった。お妃教育でも結婚し、妃の間に入ったらまずそこを確認するように言われていた。王家の女は人質に取られると、始末が悪いから。
ここは常に他国の脅威に晒されている土地。すぐに脱出できるように、あまり複雑な仕掛けはしていないはず。バスルームから、クローゼットまで全ての引き出しを開け、弱そうな壁をコンコンと叩いていく。
壁の音を聞き、本棚を調べ、少しだけ入っていた本のページをパラパラとめくる。ベッド周りを調べ、床に潜る。
「ない……デスクの下かしら。でもさすがに動かせない。ランス様なら動かせるの?」
ひょっとして、ここではなくて、書斎にあるのだろうか?と思いながら、大きな暖炉を見る。
ススがない。領主が変わって掃除したとしてもキレイすぎる。
私は膝をつき、組んである薪を退けた。空になった炉の中に入ると、右の側面に窪みがある。躊躇なく手を入れて、押してみる。引いてみる。開いた!
それは鉄板のドアだった。中を覗き込むと身を潜められる小さな空間があり、その奥に真下に向かってハシゴが降りている。真っ直ぐ一階に降りるようだ。その後どう続いているのか……。頭上に小さな明かりとりがあり真っ暗ではない。夜はランプが必要だろうけれど。
私は改めて身支度を整えて、マジックバッグを服の下に斜めがけする。そして、私が通れる隙間を残して薪を改めて組んだ。不自然に見られないように。髪は後ろで一つに結び、シャツの中に入れる。
「行きますか?」
私は四つん這いになり、暖炉の奥の扉を潜った。
蜘蛛の巣を払いながらハシゴを降り、人の話し声を聞きながら壁の中を音を立てず通り、100メートルほどで行き止まる。正面の壁を触ると入り口と同じ窪みがあり、そこを引くと、一気に明かりが射した。
出口は屋敷の裏手にある、薪置き場だった。湿気らないように簡単な屋根があり、入り口同様薪でカムフラージュされている。すぐ目の前に屋敷の塀があり、きっとこの塀のどこかにも外部への出口があると思われる。
私はそっと隠し通路から這い出た。戻るときはこの鉄板を押すだけ。通したくないときは中につっかえ棒ならぬつっかえ薪をすればいいみたい。壊した薪を改めて組み直し、人気のないのを確認して、薪置き場を出た。
「うーん、眩しい……」
「そうですかな?」
「キャッ!」
背後から声を掛けられた。恐る恐る振り向くと、スタンさんだった。
「す、スタンさん、散歩ですか?」
「ほっほっほ」
見られた?わからない。……まあでも見られても問題ないか。私はここの領主夫人で、スタンさんは執事長。ここを十中八九ご存知だ。
私はスタンさんに自然な風を装ってお辞儀をして、正門に向かった。
◇◇◇
門の若い兵士は私が領主夫人だと知らないようで、ロニー様の封筒を見せるとさっと脇に退いた。
「すいません、新参者なのですが、街の靴屋はどう行けばいいですか?」
15分ほど坂道を下ると商店の立ち並ぶ地域に出た。キョロキョロしながら、さっき紹介された店を探す。人々に聞くとすぐにその雑貨屋にたどり着いて、歩きやすいぺったんこの靴と帽子、そして肌寒いので羽織る上着を買った。帽子と靴とともにその場で身につける。
そういえばランス様が靴を買ってくれると言っていたけれど、時間切れだ。
そのお店に聞いて次次と目的の店に行く。ティーポット、カップを瀬戸物屋で買い、お茶とキャンディと、ごはんを食べ損なったときのための非常食を食料品店で買い、薬屋で、風邪薬を買う。どの店も品揃え豊富で繁盛している。いい街だ。
薬はおばあさん薬師が私の症状を問診し、その場で薬草や木の実をゴリゴリと砕いて潰して作ってくれた。生薬、効きそうだ。薬草採取すれば、私も病気の領民に、ランス様の領地に貢献できるだろうか?
通り道に本屋があり、薬草の本があったのでそれも買う。すっかり荷物が重くなったので、買い物はこれで終わり。
疲れたので、食堂に入ってみる。前世の経験を参考に、通りから店内が見通せて、清潔そうで、お客さんでそこそこ賑わい、お高くなさそうな店。お店の名前はブラウンズ、でいいのかな?
夕べからさっぱりしたものばかり食べているので若いキビキビ働くウエイトレスに魚料理を注文する。ほっかほかの見るからに美味しそうなお皿が出てくるや否やガツガツ食べていると、カウンターから出てきた中年のお腹の出たコックに、
「坊主、よっぽど腹減ってたんだな!」
と帽子の上から頭を撫でられてしまった。ニルスタルサ夫妻といいコックさんと言うのは職業柄、お腹を空かせた子供を放っておけないのかもしれない。
「とっても美味しかったです!どういう味付けなのですか?」
「なんてことない、その辺の森のハーブと塩とみかんで漬け込んだだけだ」
私はいそいそとさっき買った本を取り出し、ペンを渡してどのハーブかチェックしてもらう。
「坊主、勉強家だなあ!」
坊主……まあいいかしら?
ハーブと岩塩とみかん汁の配分を教えてもらい、ハーブのページに書き込む。
「わざわざワシの料理を書き留めるなんて、そのうち領主様のお抱えコックにでもなれるかも知んねえなあ」
領主様のお抱えコックどころかお抱え妻なんだけれど……。つい苦笑いする。
このコックさんが店主のブラウンさんで、常連の方々はマスターと呼んでいることがわかった。
隣の酔っ払いが体を乗り出し話に加わってきた。
「我らの新しい領主様、見たか?おっそろしかったなあ。あの赤い目で睨まれたらちびっちまうぜ」
「でも味方なんだから百人力だろうが!」
「英雄万歳!」
「「「我らの新しい領主様万歳!!!」」」
ランス様、早速領民に慕われていらっしゃる。嬉しい。
「それにしても、王子に捨てられたわがまま貴族女、まだ来ねえのか?普通結婚したなら一緒に来るんじゃないのかよ!こんな片田舎、来たくねえってことか?」
え?私、到着していないことになっているの?
……こんな食堂でまで、ヤイヤイ悪口言われてるなんて……捨てられた女……その通りだけに情けない。
「それがな、ここだけの話その女、実は黒髪に紫の眼の魔女でな、王子も魔法で惹きつけてたけど王子じゃ満足できなくなって、体力底なしの将軍閣下に狙いを変えて、ぶちゅーっとこう、かまして、堕としたって噂だぜ!」
ブーーーーッ!!!
わ、私は淑女だというのに人生初めてお茶を吹き出した!!!
「はっは、坊主にはチコーっと刺激が強い話だったか!」
後ろに座っていたヒゲもじゃのおじさんがガハハと笑い、首に巻いていたタオルでゴシゴシと顔を拭われ、背中をバンバンと叩かれる。
「マジか?魔女って言ったらすごい魔力持ちで、ご多聞に漏れず、すごいべっぴんなんだろうな……くー!俺も堕とされてみたいぜ!」
「妖艶な悪い女に堕とされる……男のロマンだ!」
「きっとボインでお色気ムンムンムン……ヒャー!!!」
「チクショー!羨ましいぜ!領主様!!!」
「さっすが英雄!!!」
「領主様!かっこいー!」
「英雄バンザーイ!」
醜聞……これって醜聞に違いないけど……ハードルが確実に上がった気がするのは、何故???