11 unlucky?
書斎を出て、歩いているメイドを捕まえる。
「すいません、私のお部屋どこか教えてくださる?」
「ひっ!どこでも、よろしいんじゃ、ないかと?」
バタバタと若いメイドは逃げていった。
しょうがない。自由にしていいらしいのだから、自由にしよう。
私は片っ端から鍵のかかっていない部屋を開けて行く。広い屋敷は大勢のお客様を泊める想定のようで十数部屋の客間や家族用の個室があった。しかしそのどれも、ベッドや調度品に白い布がかけられており、その布は埃かぶっていて……使われる状態にセッティングされていないのは一目瞭然。
そして、唯一整えられていたのは、二階の最も広く、大きな窓からバルコニーに出れば眼下の城下町が一望できる……おそらく領主の、ランス様の部屋。ベッドも赤いジャガード織のようなベッドカバーが掛かっており、まだ寒いこの地方にありそうもない花が生けてある。
「ランス様、お部屋お借りします」
そう呟いて、扉を閉めた。
私はトランクを開けて持ってきた簡素なドレスに着替え、ソファーにバタっと倒れた。ピンと張ったキングサイズのベッドに主人ではない私が最初に転がるのは気が引けた。
そもそもランス様にとって、私は本当の意味で妻ではない。私を手に入れる方法が結婚であっただけ。このベッドに私が寝ることなど、今後もないだろう。
「疲れた……色々」
私は腕を目の上に乗せて、瞼を閉じた。
◇◇◇
お腹がすいて目が覚めると、外はもう暗くなっている。カーテンを閉めランプを点け、時計を見るともう夜もふけていた。
部屋を出て、さっき下見をした食堂に行くと、数人の兵士がガヤガヤと酒を飲んでいる。私が入るとパタリと音が消えた。皆不思議そうに私の顔を見る。
「あの、お食事はここでいただけるのかしら?」
手前の兵士が席を空けてくれようとしたときに、奥に座っていたクレアが声をあげる。
「まー!奥様はいいご身分ですこと!みんな食事が済んだ頃にやってきて、二度手間かけさせるなんて!使用人のことなんて何とも思ってない!」
「「「お、奥様?」」」
皆、私が何者か、今わかったようで、一斉に立ち上がる。
「あーあ、みんな一日の仕事が終わってようやく寛いでいるのに、このタイミングで現れるとか、空気も読めない」
「お、おい、クレア!止めろ!!!」
私ははあ、と息をはいた。
「皆様、お寛ぎのところ申し訳ありません。クレアさん、あなたも聞いていたでしょう?私は食事の時間を聞いたのに、教えてもらえなかったのよ?」
「あー嫌な気持ちになった!部屋で飲み直そー!」
クレアは私に返事をせずに立ち去る。
私は呆気に取られてそれを見つめていた。
これは、何?いかに思うところがあっても、雇い主の妻にこんな態度で彼女はこれから生きていけるの?ランス様はお許しになってるの?
ランス様のお考えがわからない以上、どういう態度で臨めばいいか判断できない。
「奥様、あの、クレアは若くってその……すいません。食事は厨房に行けば、何かあるかと……」
先程席を空けようとした兵士がおずおずと右手のドアを指差した。あちらが厨房みたい。
ちょっとした優しさが身に染みる。
「ありがとうございます」
私はホッと笑って、厨房に向かった。
厨房にそっと入ると、男女の料理人がせかせかと働いていた。明日の仕込みのようだ。
「あの、お邪魔して申し訳ありません」
二人が顔を上げる。
「新入りか?」
「どうしたんだい?こんな時間に」
「あの、何か食べ物を……」
「ああ、食いっぱぐれたんだね。かわいそうに。あのメイド長、昔から働いてたやつに甘くて、新入りばかり働かせるからねえ。ほら、座んな!」
女性に顎で作業台の隅を示される。小さな丸い椅子に言われるまま腰掛けた。
黒髪に白髪の交じった短髪に目の細い男性が、私の前にスープをドンと置いてくれ、ふくよかな茶色の髪に黒い目の女性が小さなパンを一つ手渡してくれた。
ようやく食事を口にできた。スープは根菜たっぷりで温かく、薄味だけれどホッとした。でも薄い。
「あの、塩とコショウ頂いても?」
男性が眉間に皺を寄せながらも二つの瓶を私の前に滑らせた。私はお辞儀をして、少しずつかけては味見し、納得いって、ずずっと飲んだ。
「あ、あんた!」
「はい?」
「何で茹で汁飲んでるんだい?具は皿に出して食べればいいだろう?」
え……何か間違えたらしい。
「す、すいません。ここでは飲まないのですね。私の地方では茹で汁もスープとして飲むので勘違いしました」
「あんた一体どんな遠くから……味付けに文句があったわけじゃなくて、茹で汁を飲みたかったってこと?」
「玉ねぎの良いお出汁が出てますし、寒かったので……」
「……それで、『スープ』とやらはうまくなったのか?」
男性が目をさらに細めて聞いてきた。
「はい。美味しいです。ありがとうございます」
男性がスプーンを持ってきて私の器から汁だけ掬い、味見する。
「……なるほど。大味だが飲める」
「ちょ、ちょっと、あんたばっかりズルイ!私も味見させて!」
女性も同様に私の汁を飲む。
「なるほどねえ。これなら飲めるね」
「ご気分を害されたのならすいません。私の地方では、卓上で自分で味付けする習慣があるのです」
ウソだけど。
私はパンをかじり、もぐもぐと野菜を食べて、ゴクゴクとスープを飲んだ。あっという間になくなった。
「あー美味しかった。ご馳走様でした」
手を合わせて、そう言った。
「あんた……気持ちいいくらい綺麗に食べるね」
女性は私のスープ一滴残ってない皿を見て、苦笑した。
「今手を合わせたのは……何だ?」
私に関心を払っていなさそうだった男性に声をかけられた。
「ああ……私の地方の感謝です」
「感謝?」
「はい、料理を作ってくださった、お二人への感謝と、食べ物への感謝」
「そうか……あたしらに、感謝か。あんた、名前は?」
「エムです」
「エム、私はタルサ、あっちはダンナのニルス。明日からもこの遅い時間になるんだろ?いつでもおいで。エムの分、用意しといてやる。この屋敷でわかんないことがあれば何でも聞きなよ?」
「タルサさん……、ニルスさん!よろしくお願いします!」
私はペコリと頭を下げた。タルサさんは笑って、ニルスさんは頷いた。
私は前世の記憶を思い出しつつお皿を洗って、ついでに朝ごはんの時間を聞き、洗濯場を教えてもらう。ここのメイドはあのメイド長の息がかかっていて、誰もアテにできない。
「洗濯は、屋敷の裏の井戸で暇を見つけて洗うんだ。タライや石鹸は勝手に使っていい。でも干すのは取られたくなかったら自分の部屋がいいかもね。朝食は……エムは朝も早いのかい?」
早めに活動しないと文句言われそうだ。私はこくんと頷く。
「じゃあ、パンと卵を茹でて、新聞に包んで置いておくよ。足りるかい?
「はい!本当にありがとうございます!お弁当みたい!」
「いっぱい食べて、もうちょっと大きくならないとね」
タルサさんにこちらの世界のコンロの使い方を教えてもらった。そんなことも知らない世間知らずさが情けなかったけれど、自分の地方と様式が違うと言って押し切った。これでお湯も沸かせる。朝から温かいものが飲める。
ああ、とりあえず、食事を確保した。
ホッとして、お茶を飲んでいると、二人は仕込み作業に戻っている。知らない土地で初めて受けた飾り気のない好意。何かお礼したいけど、私には何もない。ポケットにはハチミツ味のキャンディーだけ。
「タルサさん、ニルスさん、アーン?」
「アーン?」
二人が口を開けた瞬間、ポイポイとキャンディを放り込んだ。
「これは……ふふ、飴なんて久しぶりだ、ね、あんた!」
「…………」
「このくらいしかお礼できなくて、すいません!ではおやすみなさい!」
「エム、おやすみ」
「……おやすみ」
私は言われた通り、屋敷の裏に旅の間に溜まった少年服や下着を抱えてやってきた。言われた通り洗濯セットが置いてあり、夜中にそこを使う人は誰もいなかった。
井戸のハンドルをコキコキと上下させて、水を汲む。
「私、前世の記憶が戻ってなかったら、どうなってたかしら?」
のたれ死んでた?
私は満天の星空の下、今世初の洗濯をした。
◇◇◇
「ポケットに飴かあ、新しい執事長も随分とちっちゃな子を雇ったもんだ。こき使われて痩せ細らないように気をつけてあげなきゃね」
「ああ」
「感謝なんて初めて言われたねえ」
「ああ」
「この屋敷は昔から、この辺境を守るお貴族様と兵士がいっちばん偉くて、コックなんか見下されてるからね……」
「……今更だ」
「嬉しかったくせに、ふふふ」