1 unlucky?
よろしくお願い致します。
ようやく雪も溶け、冬の厳しい寒さが緩んできた。
この日この場は、この二年の間続いた戦争が我がガルバン王国の勝利によって終止符が打たれ、地獄のような戦場で戦ってくれた兵士たちをねぎらうために城で開かれた華々しい戦勝祝賀会であった。
久々に皆明るい顔をして、自分達のために戦ってくれた兵士達に口々にお礼を言っている。兵士たちも怪我を負いながらも、国王の手ずから勲章をつけてもらい、感激している。
ひな壇の上には敗北目前で起死回生の突撃を決行し、戦の盤面をひっくり返した、紅き髪と瞳の若き将軍が王の盃を受け、王太子はじめ王族の賛辞を受けている。
「エメリーン・バルト伯爵令嬢、今この時をもってお前との婚約は破棄だ!」
エスコートもなく、ひっそりと一人、柱の陰で衛兵に守られつつ会場の様子を眺めていた私エメリーンは、ツカツカと目の前にやってきた婚約者、金髪碧眼のコンラッド第二王子が突然そう声を張り上げたことに……呆然とした。
「お前とこれまで婚約していてもいいことなんか何一つなかった。何が〈運〉だ!そんな不確かな〈祝福〉など私には不要だ!その華のない容貌で幸運の女神だと?鏡を見ろ!私はここにいるセルビア・マルベリー侯爵令嬢と結ばれて、自分の力で幸福になるさ!」
……運?luck?unluck?
頭の左側に鋭い痛みが走る。座り込んでしまいたいのを何とか我慢して私は周りを見渡す。ようやく見つけたバルト伯爵である父は全身をプルプルと震わせ、母は真っ青で今にも倒れそうだ。視線を上げて玉座を見ると、金の顎ヒゲをたくわえた、これまで何度も何度も対面してきた威厳ある王と……目が合ってしまった。
この光景どこかで……頭痛は激しくなる一方。
久しぶりに聞く、王の声が響いた。
「エメリーン・バルト伯爵令嬢、退出を許す。追って連絡する。そして王子コンラッド、お前のたった今の行いは今宵の主旨に泥を塗った。許しが出るまで部屋から出るな」
「お言葉ですが、こうでもしなければ、話を聞き入れてくださらないじゃないですか‼︎」
王子が声を張り上げる!大声が頭に響く。王子の後ろから美しいサラサラとした水色の髪の毛の、まつげの恐ろしく長い愛らしい女性が見えた。一瞬だけ、彼女と目が合った。彼女はあどけない表情のまま、口の端を持ち上げた。
「まさか……」
私は襲い来る記憶の波と頭痛による吐き気を堪え、王と王子による応酬に、もはや私など誰も気に留めていなかったけれど王に向かって一礼をし、足早に城を後にした。
◇◇◇
一人帰宅し、自室に入るや否や、トイレで激しく嘔吐し、そのまま力尽きて倒れた。
目が覚めると、青い寝間着にかえられて、ベッドで横になっていた。部屋は暗い。あれからどれくらい経ったのかしら。
そして………………私、千春は死んだのかしら?……きっとそうね。
私は千春であったことを思い出した。何故今まで忘れていたのか不思議なくらい。
千春であった私は、一生懸命勉強して、大学に行って教師になって、情熱を持って教育に挑んだけれどなかなか思うように生徒が動いてくれなくてヤキモキして、でも体育祭で優勝して生徒が胴上げしてくれて……経験を積みながら成長し、教員四年目で出会った、派手ではないけど優しい同僚のプロポーズを受けて……
生徒の一人が頰にアザを作って学校に来て、虐待を疑い彼女を家に返さないと自宅に電話したら、父親が逆上してやってきて、包丁で刺された……
目を閉じる瞬間、彼の泣き顔が見えた。
『ユージ先生……ごめんね』
日本語で呟く。あんなことになるなんて、思わなかった。
目を閉じて……深呼吸して気持ちを落ち着かせる。やるせないけれど、終わってしまったことだ。
それよりも、考えなければいけないことがある。
今、私の生きているこの世界は〈本当の祝福はキミ〉の世界なんじゃないだろうか?もしくはとてもよく似た世界。
『授業中、オタクのヨシオカちゃんから没収したら、『先生も読んでみて!絶対面白いから!』って言われて生物準備室でこっそり読んで、つい二巻を買いに行ってしまったマンガ……』
この世界には〈祝福〉がある。生まれて十日目に神殿に行き、小さな紙を浸した水鏡に赤子の持ち物(大抵は髪の毛)を入れると文字が浮かびあがる。そこに書かれている言葉が、その子供のたった一つの〈祝福〉。
喜ばれるのは〈健康〉や〈無病〉などの身体の〈祝福〉、〈外国語〉〈商売〉〈剣術〉など一芸に秀でる約束の〈祝福〉も数多くある。
私、エメリーンの〈祝福〉は〈運〉だった。記録にある限りで、〈運〉という〈祝福〉は初めての出現で、神官は大いに慌て、大神官に報告し、すぐに王城に話が伝わった。
〈運〉という〈祝福〉は幸運を指すものだと結論づけられ、あっという間に王家に囲い込まれた。生まれて一カ月で一つ年上の第二王子の婚約者に納まった。王太子ではないのは彼が既に隣国の王族と婚約していたから。私の家族……バルト伯爵家に否ということなど出来なかった。
幼少のころから王子と、恐れ多くも王にまで度々招聘され、何度も握手をさせられてきた。
コミックの主人公の名はセルビア。前侯爵の隠し子で、年の離れた兄である現侯爵に十五歳で発見され引き取られた。彼女の〈祝福〉は〈天真爛漫〉。持ち前の朗らかさでまわりをドタバタと振り回しながら温かく包みこみ、屈折した王子の心をも溶かす。
確か王子は憧れの将軍のように剣によって名声を得たいと思ってるけど、彼の祝福は〈牧畜〉、故に屈折しているという設定だった。いつも苦虫を噛み潰したような表情をしていたコンラッド王子を思い浮かべ当てはめる。王族の〈祝福〉なんて当然秘密扱いで知らなかったけど、いいじゃないの〈牧畜〉!それでこの国が栄える未来も十分あるっていうのに何腐ってるんだか。
そういえばコミックではこの〈祝福〉、この世界の人間に一人必ず付いている守護精霊の気質を表す言葉が紙に記されるという裏設定だった。ヒロインセルビアにはその自分の精霊が見えてビックリ!という展開もあったっけ。〈天真爛漫〉な精霊と天真爛漫なセルビアさんがおしゃべりする姿って……どうなのかしら。
そして件の王子には既に生まれながらの婚約者がいて、その女の〈祝福〉は〈運〉。運だけでのし上がっていく忌々しい伯爵令嬢の名はエメリーン。セルビアはどうやって強運の持ち主エメリーンと戦うのか⁉︎……3巻に続く……。確かヨシオカちゃんは最新刊は12巻と言ってたような。
「はあ……忙しくて続き買う暇なんかなかったし」
この世界がコミックの通りだと仮定すると、とっくに私の知る二巻までのストーリーは通り過ぎている。だってもうセルビアとエメリーンの決着はついてしまった。もう最終巻かも。
でも私はセルビアと今日が初対面。存在すら知らなかった。戦っていない。戦いようがない。やはり〈本当の祝福はキミ〉と全く同じ世界ではないようだ。
〈運だけでのし上がっていく伯爵令嬢エメリーン〉という登場人物紹介を思い出し、苦笑した。
王子と婚約したことが運だったのだろうか?そのせいで苦労した覚えしかない。
王子の婚約者としては伯爵家は地位が低い。そのせいで何度私も両親も嫌がらせを受けたことか。私の〈運〉という〈祝福〉は厳重に秘匿された。万が一本当に幸運を呼び込む体質だったとして、国外にでも誘拐されたら困るので。事情を知らない大貴族の皆様からしたら私の王族への輿入れは、納得できるものではなかったのだ。
物心ついた時から外部と隔離され、自由は制限され、友達も作れず、ひたすら勉強とお妃教育の毎日。学習系の〈祝福〉持ちと比べられると凡庸としか言いようのない成績。美貌系の〈祝福〉持ちと比べるとこれまた凡庸としか言えない容姿。世間知らずなため面白い話題も持たず、王子は早々に私への興味を失い、逆に私と結婚する自分の不運を嘆いていた。
そんな王子に、私はそれでも盲目的に恋をしていた。彼しか、同世代で会える人がいなかったのだ。自我が芽生えた途端に彼の妃になると刷り込まれてきたのだ。それが目的で、私の人生だった。
千春の記憶が戻った今、急速に諦めが育っていく。
私はこれからどうなるのだろう。今後のストーリーを知らない以上、なるようにしかならないけれど。
今回のこの世界は女性が自力で出来ることなど悲しいほどにない。
王子に婚約破棄された以上、私はとんでもないキズもの。どこかの後妻に押し込まれるのだろうか?それとも修道院?
「うちの領の修道院で、また子供たちを教えるのもいいかもね」
前世の生徒たちを思い出す、教卓から見下ろした笑顔笑顔笑顔。あの子たちは無事卒業したのかしら。刺されたときは放課後だったから、そんなに生徒は残っていなかったはずだけど……現場、あの子たち見てしまった?私のことがトラウマになんてなってないといいけれど。
「私ってば、婚約しといて二度とも、結婚できなかったわね」
気づけば頰に涙が伝っていた。
二度とも、燃えるような恋ではなかった。
それでも、好きだった。
好きだったの……。