クロの回想 続きの2
ふわりと鼻先を撫でる柔らかくも芳しいもの。
もっと触れたくて鼻をヒクヒクさせて、私は起きた。
「しろ……」
目を開けて最初に飛び込んできたのは一面の白銀。
ふわりふわりと揺れている。
『起きたか。手当てはしたが、大事ないか』
白銀が大きく揺れて、声がする。
あの、涼やかな声だ。
「貴女だったのにゃ」
『うむ。我が声を掛けた故、主には怖い思いをさせたな。すまぬ。猫獣人の子よ』
白銀が動き、私はそれに包まれて寝ていたと気付く。
体勢が崩れない様に揺れる白銀に手を着けば、それはとても暖かい。
驚いていると、ペロンと耳を舐められた。
目をパチクリさせて見上げると、黄金の輝きと目が合った。優しく凪ぎ、黄金色に輝く綺麗な瞳と。
『して、大事ないかえ?猫獣人の子よ』
同じ事を2度聞かれてハッとする。
そういえば神気に切り刻まれて海に落ちそうだったんだ。
パタパタと体中を確認すると、傷付いたであろう場所が全て薬を塗られ、深い傷の所は包帯が巻かれていた。
「貴女が手当てしてくれたのですにゃね。ありがとうございますにゃ」
お礼を言ったら何故か目を眇められた。
『主は我らに巻き込まれたのじゃ。すまぬな、巻き込むつもりは無かったのじゃが』
「いいえ、いいえ神様。私が貴女に一目お会いしたかったのですにゃ」
我ながら目に熱が篭っているのを感じる。
神様もそれに気付いたのか瞠目した。
『……今、島のが主を返せと喚いて煩い。じゃが、主の人生。決めるのは主ぞ』
返す?
はてと思い改めて周囲を見回し、その景色に目を見開いた。
「島じゃないにゃ!?」
『クックック。今かえ?そう、主は今一番近くの別の大陸におる』
「にゃ!?島神様のお外にゃ!?出れたのかにゃ!?」
『……今まで出れなかったのか』
「にゃ~……。漁には出るけど、一定の範囲を超えると島神様に戻されるにゃん」
『彼奴……。ほんに済まぬのう。そういう風に地上の者達を翻弄せぬ様、神界にて深く関わらぬと総意になったのじゃが……』
「皆は疑問にも思って無いにゃ。……寧ろ島神様の外に行きたがると嫌われるにゃ……」
そう。島神様のお顔の上にあって、私だけがその外に興味を持っていた。
初めは早くに亡くなった父を思ってだったと思う。
当時幼かった私はその意味がわからず、島神様の所にいないという事は、それ以外の所にいるんだと、島神様の外に行きたいと言ってしまった。
それからは皆に白い目で見られる様になって、それがいけない事なんだと幼心に理解した。
それでも一度思った外の世界は、年を重ねる毎に、父がこの世の何処にも居ないという理解と共に、次第にただの憧れとなって心に積もっていった。
尤も、それを自ら口に出す愚行は起こさなかったけれど。けれども多分皆気付いていた。だからずっと私は村八分だったのだと理解している。
『何と嘆かわしい。完全に飼い猫ではないか』
猫……。
外のひとにそう言われてそうだなと思い、思わずクスリと笑ってしまった。
確かに外に出る事を極端に怖がるペットはいる。島を家と例えるなら確かに私達は家猫なのだろう。たまたま私だけが外を怖がらなかっただけの家猫。
けれども飼われる猫は主人に大切にされる。そして私達猫獣人族も、ずっと島神様に守られて平穏に暮らしてきた。
「帰った方が良いのかにゃぁ……」
でも帰っても皆白い目で見そうだ。こんな私をそれでも友と呼んで親しくしてくれていたアッシュ達も、今度こそ離れて行くかもしれない。
それでも。
「離れ難いにゃぁ……」
無意識に白銀の毛並みを撫でて呟いていた。
ピクリと毛並みが揺れて、見上げて見た黄金の瞳に、漏れ出た事を悟る。
ポポポッと私の黒い毛並みが赤くなった錯覚がする。
ドキドキとする鼓動に初めて出逢った、それも神様に不敬にも恋焦がれていると自覚する。いや、そもそも声を聞くより前からこのひとに逢いたい気がして気が急っていた。
『……そうさの。我とてよもや我に運命など有るとは思わなんだ』
優しい声で、私はふわふわの大きな尻尾に包まれた。
「出逢いは運命かもしれないにゃ。けれども貴女を求めるているのは運命では無く、私の心なのにゃ。定められた訳では無く、私が貴女に惹かれているのにゃ」
運命は切っ掛けに過ぎない。そこから心がどう求めるかは自分次第。そう思い、黄金の瞳を見つめてそう言えば、黄金の輝きが見開かれた。そしてゆるりと細められる。
『そうか。そうであるの。我とて我が意志は我のものじゃ』
そして鼻先をペロンと舐められた。
嬉しくなって大きな口に鼻を擦り付ける。本当は鼻にしたかったけれど、高い所にあって出来そうにない。
『魂が惹かれ合うたのじゃ』
そう言われて体がポッと熱くなる。
私の片想いではないのだと、そうその優しく揺れる黄金の瞳が伝えてくれる。
「私は貴女を想っていても良いのでしょうかにゃ」
逸る鼓動を抑えて聞けば、しかし黄金の瞳は諭す様に眇められた。
『我と番うは世の理りより離れる事になる。その覚悟が必要じゃ』
神族は悠久の時を生きると聞く。
実際に島神様も我等の遠い遠い祖先からお見守りくださっている。
この方と共に行くならば、母さんや、アッシュ達とは違う時の流れを生きる事になるのだろう。
それがどういう事か、今の私にはわからない。
わからないがお側にいたい。
けれども中途半端な気持ちで応えたくはない。
大事に想いたい。
私は白銀の毛並みに顔を埋めて瞑目した。
ポカポカと伝わる温もりが心地良い。
「……貴女との事を簡単に考えたくは無いのですにゃ。暫くの猶予を頂けませんかにゃ」
不敬だと思いながらも黄金の瞳を見つめて問えば、それは優しく細められた。
『勿論だとも。猫獣人の子。我との事を大切に思うてくれるのは嬉しいものよのぅ』
鼻と鼻を擦り合わせて、私はその温もりにしばし身を委ねた。




