ばっちゃ(前世)とばっちゃ(現世)
ぼたぼた。ぼたぼた。とめどなく涙が溢れては零れ落ちていきます。
「三巳?」
心配してハンカチで涙を拭ってくれるクロにも反応出来ずに、歪む視界で畳を、居間を見ています。
(何で……)
ここは日本ではありません。
勿論田舎の祖母の家ではありません。もっと言えば田舎の祖母の家は、祖母のお葬式の後、誰か知らない人に売られました。なので日本であったとしてももう何処にも無い筈です。
(だって……)
それなのに。
三巳は確かにその懐かしい匂いを嗅ぎ取りました。
(ばっちゃ……)
日本の。
田舎の。
祖母の匂い。
『成る程の。三巳とて他所からの生まれ変わりじゃ。他におっても不思議はないのう』
まあ記憶は無かった様じゃがの。と続けられた言葉は三巳の耳を通って消えていきました。
前世で一番大好きだった祖母。
祖母の家に行く度にニコニコと迎えてくれて、優しくしてくれた。
都会にはない田舎料理を教えてくれて、山の遊びや川の遊びをいっぱい教えてくれた。
疲れたら縁側で膝枕で頭を撫でてくれて、そのまま寝るのが大好きだった。
祖母が亡くなったのはまだ社会人成り立ての時。勿論金銭的余裕なんて無く、初めての喪う悲しみに明ける間も無く、失いたく無かった祖母の家も無くしてしまった。
思い出を絶たれたその先で、それでも生きていかねばならない現実に、いつしか笑う事で自分を保っていた気がする。
それでも、やっぱり寂しかった。
また会いたかった。
また、「よく来たね」とニコニコとした優しい顔で、頭を撫でて欲しかった。
「三巳……。もう一度会いたかったんだ。ばっちゃ」
三巳はすんと鼻を啜り、匂いの元を探してのろりと歩き出します。
(大丈夫。今世の鼻は良く利く)
耳を限界まで垂れ下げ、尻尾も匂いを掻き混ぜないように地面に付かない位置で固定して、鼻を研ぎ澄まします。
ぽてぽてと歩く姿をクロは見守ります。
母獣もそんなクロに寄り添い見守ります。
後ろからの視線なんて気付かずに、ただ真っ直ぐ匂いの元へと向かいます。
心地良い畳の上を歩き、壁際に据えてある茶箪笥の前で止まります。匂いはそこが一番強く感じました。
なじみ深い茶箪笥の沢山ある引き出しの一つに迷いなく手を伸ばします。引き出しには編み紐で出来た取っ手があり、それを摘まんでカタリと開けました。
すると匂いは余計に香り鼻を擽りました。
「ばっちゃのお手玉だー……」
中には慣れ親しんだお手玉が三つ入っていました。
手に取って鼻に近付けすんすんと嗅ぎます。
「ばっちゃの匂い」
匂いの元であると確認して、今度は手を広げて良く見てみます。
「縁側でお歌うたいながらやってたのと同じだ。座布団型で上下に髭が垂れてるの。中身はお米じゃなくて麦になってるけど」
スンスン匂いを嗅げば香るのはお米では無く麦でした。田んぼは見た範囲では無かったので麦を入れていたのだろうと中りを付け、重みや握り心地を確かめてみました。どうやら違和感は無く、中身が違っても祖母のお手玉で間違いないと断言出来ました。
「おや。よく知っているね。三巳のおばあちゃんは良くそこの縁側で歌いながらお手玉をしていたよ」
いつの間にか側に来ていたクロは、頭を撫でてくれながら懐古の笑みを浮かべます。そして縁側を見てその時の情景を思い浮かべ、その懐かしい歌を口遊みました。
「!?」
それを聞いて三巳の目は大きく見開かれます。
所々違ったり、音程はずれているようですが、それは確かに聞き馴染みのある歌だったのです。
祖母の思い出を忘れないように、祖母の命日には必ず墓石の前でお手玉と一緒に歌っていた。生まれ変わって別の神生になって歌わなくなっていたけれど、それでも聞けば今も鮮明に思い出す。その歌だったのです。
「なんで……」
『記憶は無くとも、想いは残っておったのだろう』
稀にある事だと何てこと無い風に言う母獣です。
『我も何故聞き取れぬ言葉で歌うのだと聞いたことがあったの。
そうしたら何と言うたと思う?』
「?何なんだ?」
『“良くわからないけれど聞かせてあげたい子がいるような気がするのよ。”』
聞かれた祖母でもわからないという。なのに出てくる知らない言語。
『三巳のことであったか』
慈愛の笑みで三巳を真っ直ぐ見つめる母獣に、三巳は息を呑みました。
バッ!という勢いでもう一度クロを見ます。
首を傾げたクロは直ぐに三巳の言いたい事を理解して頷くと、微笑みを浮かべてもう一度歌い始めました。
日本語で紡がれた、田舎の歌を。




