序章 赤毛の少女
「ねぇ、お兄様みて!魚が沢山いるわ!」
交易所を見て、赤毛の少女が楽しそうに少年の手を引く。
「こらフィリア。あまりはしゃがないの」
そこは海で周りが囲まれた小さな王国。盛んな漁のお陰で、小国ながらも沢山の人々で港は賑わっていた。
「はーいっ。外に出たのは久しぶりだから、少し興奮してしまったわ」
赤毛の少女は、その見た目にはそぐわない口調で言葉を返した。
「もうベッドはこりごりよ」
「ん?何か言った?」
「いいえ、何でもないわっ♪」
そう言って、少女は楽しそうに少年の手を引いた。
少女に手を引かれる少年もまた笑顔だった。
※ ※ ※ ※ ① ※ ※ ※ ※
「らっしゃい!うちの魚はどこよりも活きがいいぜ!」
背の高い筋肉質の男が、大きな声で話しかけてきた。
そして二人の姿を、その"髪の色"を見て、男はすぐさま姿勢を正した。
「れ、レイス様とフィリア様でしたか。こんな生臭い所に何の御用で?」
男の声を聞きつけ、交易所の人々が集まって二人を囲んだ。辺りは一気に静まり返った。
それも当然だ。この国の王子と姫がわざわざ交易所に赴いているのだから。
生臭い魚と、逞しい男共が集まる場所で、王族や貴族は疎か、子供や主婦すらやってこない。来るとしても、観光客か他国の商人だけである。
「ああ、妹がやっと外出の許…」いいかけてレイスは口篭った。
「…い、妹が交易所を見てみたいと言ってな。連れてきたんだ」
誤魔化すようにそう言って、フィリアに目を向ける。
「えへへ、いつも賑やかなので気になっていたの!」
フィリアが楽しそうに続けると、男が、
「ま、まぁ確かに賑わってますけど…見てて面白いとこじゃねぇっすよ?」と返した。
「いいえ、とても面白いわ!見た事ない量の魚と、初めて見る魚。それにみんな凄く楽しそうだし、仲良しで羨ましいわ!」
「まぁ、仲良しってのはあながち間違っちゃいねぇっすけど…」
男の話によると、ここは元々国のはみ出しものが喧嘩をする場だったらしい。しかし喧嘩をやめ、どういうわけか釣りで競い合うようになり、その後人数が増え続け、他国からの観光客がその魚に目をつけて、やがて他国と貿易を行う程の交易所になったという訳らしい。
「だから国はここに関与してないのか」
「はい…ただ、最近では餌や道具の材料が枯渇してきやして…ここでの取引は硬貨や紙幣なんで、材料を入手する方法がないんでさぁ」
そういいながら、男はちらちらとレイスの方に視線を送る。
「言いたい事があるならはっきり言ったらどうだ?」
「なら、単刀直入に言わせていただきやす。俺達と交易してくれやしねぇですか!」
今のこの国の漁師はロクなものがおらず、魚も小物ばかりだ。扱いも酷く杜撰で、売られているものはあまり良い状態とは言えない物が殆どである。
「…わかった。お父様に伝えておこう。また後日改めてくるよ」
「おお!そいつぁありがとうございやす!」
正直屋敷で出る魚は小物ばかりで嫌気がさしていた所だし、ここの魚は鮮度もいい。この交易はこちら側にとってもメリットなはずだ。
「お兄様…そろそろ…」
フィリアがレイスの耳元でそう囁いた。
「わかった。歩けるか?」
レイスが訊ねると、フィリアは小さく頷いた。
「じゃあ、俺達はこれで」
「はい〜」
男は満足そうな顔で二人を見ていた。他のものも手を振って見送ってくれた。が──
不意に体制を崩したフィリアが、大きな音をたてて倒れた。
「フィリア!?」
「…お兄…様…」
フィリアは薄れていく意識の中で、必死に自分の名を呼ぶ兄の姿を見ていた。
※ ※ ※ ※ ② ※ ※ ※ ※
「……」
気が付くと、見慣れた病室の天井がそこにあった。
「大丈夫か?どこか痛くはないか?」
声の方に視線を向けると、そこには心配そうな目でこちらを見ているレイスの姿があった。
「お兄様…ずっと看病して下さってたの?」
フィリアが聞くと、
「当たり前だろ?俺が責任取るって言ったんだから」と答えた。
レイスは交易所に行く前に、父親、すなわち国王と話をしていたのだ。
『ほう…フィリアを交易所に連れて行ってやりたいとな』
『はい。フィリアは小さい頃からずっと憧れを抱いていたので、どうしても連れて行ってやりたくて』
『…レイスよ。お前も知っているはずだ。フィリアの容体を』
フィリアは原因不明の不治の病にかかり、一日の殆どをベッドで過ごしている。もう、先も長くはないと医師も言っていた。
『それはわかってます…でも、だからこそ連れて行ってやりたいんです!』
兄として今までロクな事をしてやれなかったレイスは、残り少ない時間、少しでも妹のフィリアに何かをしてやりたかった。
『しかしだな…』
『責任は、俺が取ります』
強い意志を持った声で、レイスは言った。
『…』
『お願いします…お父様』
『わかった。お前がそこまで言うのなら…フィリアを連れてくといい』
『!ありがとうございます!!』
レイスは深々と頭を下げた。
『だが、くれぐれも無理はさせるな。相手は病人だ』
『はい。わかってます』
そんな話を思い出していると、不意にフィリアが声を出した。
「責任、って何の話かしら?」
しまった、とレイスは思わず口を抑える。
「い、いや、それは…その…ほ、ほら!俺は兄貴だから!妹の面倒見るのは兄の役目だろ?」
とっさに言い訳をするも、時既に遅し。フィリアは疑うような目でレイスを見つめた。
「…はぁ」
そして呆れたようにため息を吐くと、フィリアは続けた。
「先が長くないのは知っているわ」
「!?」
レイスは驚きのあまり声を失ってしまった。
「お医者様が話しているの、偶然聞いてしまったの」
「そう…だったのか…」
「お兄様が今日連れ出してくれたのも、最後の思い出作りでしょう?」
「ちが、いや…」
レイスは何を言ったらいいのか分からず、言葉にならない単語をただ発しただけだった。
「私のために思ってくれるだけで、充分だわ」
「フィリア…」
ベッドに横になったままのフィリアは、窓の外の夕日を見ながら話を続ける。
「今日はとっても楽しかったわ。また連れて行ってくれるかしら?」
「勿論だ」
「よかった…」
夕日に照らされたフィリアの横顔は、何だか少し寂しさを感じた。
※ ※ ※ ※ ③ ※ ※ ※ ※
「…ろ……ス」
「……」
誰かの声が聴こえる。
「…きろ、……ス」
この声は…お父様…?
「起きろ!レイス!」
「!?」
聞き慣れない国王の大声で目を覚ました。何か嫌な予感がした。そしてその予感は的中した。
「どうしました、お父様」
「フィリアが!」
その一言だけで十分だった。
レイスは事の全てを理解し、フィリアの眠る病室へ駆けた。
「フィリア!」
ガタン、と勢いよく病室の扉を開けると、沢山の医者と看護師が集まり、一つのベッドを取り囲んでいた。
「レイス様!国王陛下!」
「フィリアの容体は!」
「それが…大変衰弱しておりまして…呼吸も…殆どしてないんです」
「そんな…」
肌もかなり青ざめており、体温も低下しているのが見て取れる。
「ここらが、限界かと…」
そう医師が悔しそうし下を向いた。
「何とかならないのかよ!おい!お前医者なんだろ!」
医師の白衣の胸ぐらを両手で掴み、引き寄せるようにして怒鳴った。
「やめろレイス!」
国王に静止され、レイスは力が抜けて膝から崩れ落ちた。
「嘘だろ…なぁ、フィリア…」
するとレイスが呼ぶ声に応答するように、蚊の鳴くような声でフィリアが応えた。
「お兄様…」
「フィリア!?」
「もう…お別れ…なのね…」
「嫌だ、こんな最期なんて…俺は!」
「今日は…とっても楽しかった…また……いつか………」
「……」
辺りは静まり返った。
誰一人声を出さず、物音を立てず、ただ静寂だけがその場を支配していた。
「…フィリア」
レイスは小さな声でそう呟いた後、ベッドに横たわる少女の頭を撫でた。
「ちゃんとお別れ、言えてないよ…」
フィリアは沢山の人が見守る中、静かに息を引き取った。




