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北摂賛歌  作者: ENO
最終話 GHOST IN ひらかたパーク
21/25

3

 雄介は笑いを堪え切れない。夕の横顔を見るたびに、にやにやと下卑な笑いが出てきてしまう。夕は隣で雄介が笑っているのをわかっていて、時折雄介を横目で睨みつける。

 雄介たちはお化け屋敷に入ろうとする順番の列に並んでいた。並ぶといっても、待ち時間は十分もなかった。が、そのわずか十分の間で、夕の表情はくるくると変化する。怖さに対して意地を張って強がる様、その強がりがふと崩れ、怯えが現れる様、怯えを必死に隠そうとして、結局はひどく強張った顔をする様。雄介は刻一刻と変化する夕の表情を笑いとともに見守った。

 普段はどうしようもないくらいに無鉄砲な女が、お化け屋敷が苦手だという。そして、それを目の前にしてこの様子なのだ。笑いを浮かべずには、可愛さを感じずにはいられなかった。もっと怖がればいいのに、と雄介は思っている。

「雄介、なに笑ってるんよ」

「…いいや、なんもないよ」

 そういいつつも、雄介は込み上げる笑いを抑えられない。

 夕の目つきがさらに鋭くなる。が、その数秒後には、その目が恐怖の色に染まるのを、雄介はわかっている。

 千里は二人を見上げていうのだった。

「夕は、お化け屋敷が怖いん?」

「んなわけない。この私に怖いものなんてない。…ただ、ちょっと苦手なだけや」

 言葉の最後が尻すぼみになったのをきいて、雄介は声を出して笑った。直後、雄介の脇腹に衝撃が走る。夕に肘打ちをされた。

「まあ、千里、それはお化け屋敷に入ってから確かめてくれよ」

 痛みで脇腹を押さえながらも、雄介は陽気な顔をしていった。

 すでに雄介たちの前に並ぶ人はいなかった。次は雄介たちの番だった。案内員に促され、三人はお化け屋敷の中に入っていった。

 二十分後、お化け屋敷から出てきたとき、夕はひどくげっそりとした顔になっていた。

 千里は虚脱状態にある夕を見て、不思議そうな顔をしていた。それまで底抜けに明るかった女が、いきなりこうも脱力した状態になると、不思議がるのも無理はなかった。

 お化け屋敷から少し離れた場所で、三人は休憩を取った。そのころには夕もお化け屋敷の恐怖から解放されていた。

「ほら、お前も面白がって、人が怖いといってるもんに何回も連れてくのやめろよ」

 ここぞとばかりに雄介はいった。『メテオ』に二回も乗せられた恨みを、忘れてはいなかった。

「むむむ…」

 夕は反省をしているのか、もしくは悔しがっているのか、唇を噛んで唸る。

「で、次はどこに? ジェットコースター? それともレッサーパンダでも見にいきますか?」

 結局、お化け屋敷にきたところで、千里の母親は見つからない。皮肉めいた口調で、雄介はいう。

 夕はその口調に一瞬むっとしたが、なにもいわず、千里を見た。

「…お母さんは、あそこ。観覧車のところ」

「それ、ほんとなん?」

夕がきいても、千里は無言だった。

「…とりあえずいきますか」

 雄介はいった。

「とりあえずいってみて、それで母親がおらんかったら、今度はもう案内所や。そういうことにしよう」

 雄介は二人より先に、観覧車の方向に向かって歩き出した。


 衰えた陽射し。二時間後には訪れるだろう夕暮れの幻像が脳裏に浮かぶ。明るい空に、切なさが漂う。

 時刻は昼の三時を過ぎている。八月のこの時間帯の陽射しとは違い、陽射しは目に見えて勢いがない。振り返れば、力なき陽光を浴びる高槻の景色が見えた。

 観覧車は、丘に建設された園内の、ちょうど丘の上にある。観覧車に至る園内の階段を三人は上っていた。穏やかな風が吹いて、夕の髪がかすかに靡いた。

 観覧車の前に着いたが、そこに千里の母親らしい人は見つからない。目に映るどの女性も、自分の子ども、もしくは夫や彼氏と手を繋いでいる。誰かを探している人はいなかった。

「せっかくやし、先観覧車乗ってみようよ」

 夕が提案した。雄介も千里も反対しなかった。三人はゴンドラに乗り込み、景色を眺めた。円をなぞりながら、ゴンドラは高みに昇ってゆく。自分たちの街だけでなく、隣接する街も見渡せた。景色の東から西を一文字に流れる淀川。丘や小高い山が連なり、複雑な起伏を見せる枚方や高槻の景色。高みから眺めることで、雄介たちは、自分たちが緑の丘と穏やかな河川に恵まれた土地に暮らしているのだと知る。二人は目を凝らし、景色の中で点にしか見えないだろう自分たちの家や学校を探した。まるでなにか自分たちの根源を探るかのように。

 どうしてこの街を離れられよう。なにをどうしようと、結局のところ、人は生まれたところを捨てることはできない。そんな思いが、不意に夕の中に生まれた。目の前のどうしようもなく美しい故郷を見て、夕はこの街を離れて別の場所で生きる想像がつかない。故郷には、自分が自分であるための、なにもかもが存在する。

 夕と雄介の間に座っていた千里も、ゴンドラが上昇するにつれ、歓声を上げて、景色に見入っていた。千里の住む街は、枚方市の、しかも思っていたよりひらかたパークに近い場所だった。ゴンドラからの景色に興奮し、疲れてしまったのか、ゴンドラが頂上にくるころには、千里はうとうととして、ついには夕の膝の上で寝てしまった。思わず夕は苦笑いを浮かべた。雄介は不覚にも、千里の姿に愛らしさを感じた。これまで千里を批判的に見ていた目が、柔らかくなった。

「…なんか、家族ができると、こういう感じなんかなあ」

 夕が、なんとなしにいった。膝の上で眠る千里の頭を、夕は撫でている。

「子どもの面倒見るって、わりかし大変よな」

「ふふ、今日の雄介を見てると、そうかもね。でも、なんかええなあ」

 学校では決して見ることのできない、優しく柔らかい顔を夕はした。まるで母親のような顔をする、と雄介は思った。千里に向けられるその顔が、一瞬雄介を向く。雄介は思わずどぎまぎとしてしまう。母性めいたものを夕から感じるなど、思いもよらなかった。

 ゴンドラの中を漂う、暖かく、綿菓子のようにふわふわと甘い空気にむず痒くなって、雄介は口を開いた。

「なあ、この子の親、結局見つからんかったけど、どうする?」

「…うーん、さすがに案内所にいくべきかな。でも、ちょっと引っかかるんよね」

「引っかかるって、なにが?」

「いや、本当にこの子に親がいるんかなって…。それがちょっと引っかかってる」

 夕の言葉に、雄介は眉根を寄せた。

「…親がいない? なんでそう思うんや? 案内所にいっても親はこない、この子がそういったからか?」

「…お母さんに会わせてくれ。この子が最初にそういったの、憶えてる?」

「ああ、憶えてる。でも、それがどうしたっていうんや?」

「探すでも、見つけるでもなしに、会わせてくれ。これって、自分ではもう探すことも、見つけることもできへんから、会わせてくれってことなのかなって思ってん」

「…なんともいえへんな。勘繰り過ぎとちゃうか?」

「そうかも。でも、普通は親を探してか、見つけてっていうと思うんよね。会わせてくれっていい方が、すごい引っかかってる。もういなくなってしもた親に会わせてくれ、そういう意味ちゃうかなって。もちろん、他にも引っかかりはあるよ。普通、迷子になった子どもって、みんな必死な顔で、それこそ泣いて喚いて親を探すけど、この子にはそれがなかった。それどころか、あちこちを探し回ったようでいて、その実、この子は親を探す素振りをあまり見せなかった」

「まさか、この子に今日一日ずっとつきあったのも、それを確かめたかったから?」

「ちょっとはあったかも。好奇心と、引っかかり、それから…」

 夕は一度そこで言葉を切った。わずかな間を置いて、こういうのだった。

「でも、本当は、昔の自分を見るようで、放っておけなかったのが一番の理由かもね」

「昔の自分?」

 雄介がきくと、夕はやや恥ずかしげに微笑んだ。

「そう。私も昔、ひらパーで迷子になったことがあるねん」

「へえ、そうやったんや」

「うん。お母さんを探してって、周囲の人に散々泣きついて、騒いで。…人込みの中に取り残される心細さ、親に捨てられたかもしれへん寂しさ、もしかしたら家に帰れなくなる怖さ。それを考えたら、なんか千里を放っておけへんかってんわ」

 夕はしみじみとした口調で、そういった。その言葉をきいてようやく、雄介は千里の母親を探そうとする夕の頑なさの理由がわかった気がした。

「そうか。なら、しゃあないな。…でも、せっかくのデートやったのになあ」

「ふふ、ごめんって。また今度、二人でどっかいこうよ」

「夕とほんとの意味で二人きりになれるなんて、これまであった試しがないわ」

 雄介はどこか諦めたような、あるいは、拗ねたようないい方をした。夕はそんな雄介を笑いながら見ていた。

 ゴンドラがゆっくりと時間をかけて下ってゆく。陽射しに、夕暮れの色が混じり始めた。あちらこちらの影は濃くなっていく。光と影が静寂を保ちつつ、哀愁をこの地上に沁み渡らせる。生温い風が吹き抜けて、木々を揺らすのが見えた。ゴンドラが静止し、扉が開く。眠りに落ちた千里を起こして、雄介たちはゴンドラを降りた。

 夕は千里の手を繋いで歩いた。雄介はその横を歩いた。もう探す場所はないように思えた。夕は、そのまま千里を園内の案内所に連れていくつもりだった。

 観覧車前の広場を歩いていると、目の前に若い男性が現れた。

 千里の足が止まり、雄介たちの足も止まった。

 男性は雄介たちを見るなり、深々と頭を下げたのだった。


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