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北摂賛歌  作者: ENO
第4話 塚本ウォーターフロント
14/25

1

 恋は、命がけでするもんなんや。

 岡田千里は、そんな風変りな信念を持つ十六歳の女の子である。十六歳のわりには顔立ちは小学生のようで、性格の面でもまだ幼さが目立った。恋は命がけだと思いながらも、本人はまだ恋をしたことがない。

 千里が恋について奇妙な、場合によっては勘違いともいえなくもない信念を持つに至ったのには、理由があった。両親の恋愛を伝えきいたからである。両親や親戚の話を総合すると、千里の両親は、大恋愛の末に結ばれたのだという。そして、千里の母は、幼い千里を残してこの世を去った。もともと体は虚弱だったらしい。母の人生は、父との出会い、千里の誕生に集約されていて、いってみれば、母は父を愛し、千里を産むことに命をかけた。そんな出来事に思いを馳せると、恋とは一身を燃やし尽くすほど重大なことのように千里には思えたのである。

 そしていま、千里の信念はさらに確たるものとなっていく。いままさに電車内で流れているニュースのためだった。音声はなく、文字と映像だけが、車内の掲示板に表示されている。

 先週金曜日、京都市四条で、二十代の男女二名が殺害される事件が発生。殺害されたのは、大阪府茨木市に住む会社員佐野由美子さん二十八歳、同じく会社員伊藤周平さん二十八歳。警察は二人を殺害した容疑で伊藤さんの交際相手の女を逮捕した。男女関係の縺れが、事件の原因と考えられている。

 電車内でニュースを見ていた他の人たちがいいあう。

 恋人が浮気相手とデートしているところを、包丁で襲ったらしい。浮気相手は一突きで死んだけど、恋人のほうはめった刺しやったんやて。

 犯人の出身は、次の塚本駅近くらしい。

 三角関係って怖いなあ。女怒らせると、なにあるかわからへんわ。

 みなが掲示板を見上げながら、そんな言葉を零す。女の嫉妬は怖い。浮気はするものではない。そんな言葉が飛び交う中、千里は思う。

 やはり、恋とは命をかけるもんなんや。

 恋のために死んだ三人を見て、千里は自分の信念をより確かなものとしていく。

 満員電車の窮屈さをなんとも感じていないのか、千里は掲示板に流れる殺人事件の映像をずっと見ていた。一事に集中して周囲が見えていないあたりが、千里の幼さを表している。

 十六歳といえば、思春期に入って多少の分別がわかるようになり、大人らしく振舞おうと始める時期である。だが、千里にはそういった大人らしさを得ようとする気はなかったし、思春期特有の悩みもいまのところまったく抱いていなかった。千里には、反抗期に入った同級生の心理がわからない。性欲や性徴や色恋に戸惑い、悩む心理がわからない。親が心配してもおかしくないほど、千里は幼い。

 その思春期に乗り遅れた千里の隣には、思春期まっただ中の少年がいる。名は森下健太という。千里の同級生だった。掲示板から目を離さない千里を、健太はその無骨な顔で見守っていた。健太は角張った顔に、やや大きな目を持つ、いかにも体育会系を思わせる少年だった。事実、野球部に所属してはいたが、野球部の人間にありがちな騒がしさや粗野な面はなく、性格はいたって大人しく、そして無口だった。

 二人は、JR神戸線の車中にいた。大阪駅で環状線を降り、神戸線に乗り換えた。目的地は、大阪駅からたった一駅先の、塚本駅である。

 電車内は、異様なまでの窮屈さと人が生む熱気、そして汗や香水が混じった臭気が横溢している。普段の神戸線ではあり得ない状況である。だが、八月第二週の土曜日だけは、例外だった。

 掲示板の映像が凄惨なニュースから切り替わる。淀川花火大会の案内が、映像として流れ始めた。今日は、淀川花火大会の開催日だ。電車内の異様な満員ぶりも、花火大会があるためだった。他の乗客同様、千里と健太も花火大会の会場に向かおうとしている。

 千里はもともと一人でこの花火大会にいくつもりだった。花火を友達と楽しむとか、そういう目的でいくわけではなかったし、なにより会場に入るチケット代が、高校生からしても少し高かった。ましてや千里の住む街は、会場がある塚本や十三から遠く離れた枚方市である。千里と一緒にきてくれる友達はいないだろうと思っていた。ところが、たまたま健太に花火大会の話をしたところ、急遽一緒にきてくれることになったのだ。

 なんで健太はついてきてくれるんやろ。

 そのあたりの理由を実のところ千里はよくわかっていない。二人は友人同士でそれなりに会話もするが、千里の中ではわざわざ花火大会に誘うほどの友人と見てはいない。高校生からしてもそれなりに高い値段のチケットを親に頼み込んで急いで買ってもらった健太の気持ちを、千里はなにもわかっていないのだ。とにかく健太は花火を見たくて仕方がなかった、もしくは夏休み中も続く野球部の練習の息抜きがしたくて仕方がなかったのだ、と千里は思っていた。健太はいつものように無口で、落ち着いている。その裏では、花火を心待ちにする気持ちや興奮が隠れているのだろうな、と千里は考えている。もちろん健太の中にはそういう気持ちもあるだろうが、いま彼の仏頂面の裏側を支配しているのは、千里と一緒にいることへの極度の緊張以外の何ものでもなかった。

 健太の緊張を一向に知らず、千里は塚本駅に着くのをいまかいまかと待っている。

 電車は淀川を渡り始めた。千里の立つ側からは、淀川の景色は見えない。電車と並行に高速道路が走っており、立ち上がった防音用の柵が、景色を遮っている。無機質な柵を見続けて二十三秒、電車は淀川を渡り切った。そして二十秒もしないうちに減速し、塚本駅のホームに滑り込んだ。

 電車の扉が開くと、どっと人が外へ溢れ出した。強烈な熱気が顔をむわりと包む。人々はとにかく外へ外へと急いて出ようとする。誰かに脅されてでもいるかのように、千里たちは慌てて電車を降りた。

 人ごみの勢いが、千里には少し怖かった。誰もが他人を押しのけ、我先に出口を求めて躍起になるその生々しさが鼻につく。

 隣に健太がいて、よかった。一人でこの混雑を切り抜けるのは、大変なことのように思えた。この人ごみの中でも落ち着いている健太は、この上なく頼もしい。

 改札を潜り抜けた。駅前の景色が視界に飛び込んでくる。同時に、花火大会のけたたましいアナウンスが、耳につんざく。

 時刻は午後三時過ぎ。花火大会までの時間はまだまだあった。


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