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七月の雨は、不愉快だ。そうだというのに、彼女の顔は、歓喜に満ちていた。
夕方六時を過ぎた阪急京都線の車内は、学校帰りの大学生や高校生で混雑している。電車はいま十三駅を出て、終点の梅田へ向かっている。雨で水嵩を増した淀川の景色が目に飛び込んでくる。それまで続いた街の景色がいったん途切れ、視界には淀川が広がる。
原田夕は電車の扉に寄りかかり、外の景色を眺めていた。外は豪雨である。車内は空調こそきいているが湿気が充満し、快適な環境ではなかった。しかし、夕の顔は穏やかで、微笑みすら湛えているようだった。事実、夕は不愉快さなど微塵も感じていなかった。
小さなころから、この阪急京都線から見る淀川の景色が夕は好きだった。雑多な街並みが途絶えたかと思うと、目の前にさっと淀川が広がる景色。遠くには、阪急線と同じく淀川に架かるJR京都線や新淀川大橋が見える。そして、電車は進み、やがて梅田というビルの群れに吸い込まれていく。なぜこの景色が好きなのか、理由ははっきりとわからなかった。ただ、夕にとっては、この景色こそが、大阪という街の規格の大きさを象徴するように思えたし、なによりこれから梅田へ向かうのだという昂揚感を齎してくれた。
電車の窓に、雨が激しく降り注ぐ。水滴が時速百キロを超える速度に揺さぶられ、窓の下へ際限なく落ちていく。淀川の水面は茶色く濁り、橋梁に波がぶつかり、砕け散る。迫りくる夕闇と雨が、景色を怜悧な群青色に染めていく。
電車は淀川を渡り終え、中津駅で停車する神戸線や宝塚線の電車を置いてきぼりにして、梅田駅のホームへ進入していく。眼下に、茶屋町を歩く人々と彼らを店に呼び込もうとする客引きたちの姿が見えた。大阪を離れてしばらくたったが、なにも変わっていないと夕は感じた。そしてそれが、無性に嬉しい。
電車が止まり、片側の扉が開く。ぞろぞろと人が吐き出されていく。梅田駅のホームに降り立つ。ホームに設けられた階段を下りたところの改札を抜ける。ビッグマン広場に向かう。定番の待ちあわせ場所だ。相も変わらず、ビッグマン広場には、待ちあわせをする若者たちで溢れている。
夕は広場の端に立ち、周囲を見渡し、その風景を懐かしむ。夕が大阪にいたころと同じ風景が広がっていた。若者たちが人を待つために集まり、その横を老け込んだ面をしたサラリーマンたちが通り過ぎてゆく。待ちあわせをする人と飲みにいくのか、それとも大切なデートがあるのか、若者たちの顔はみな輝いている。
懐かしい風景は、愛おしさを呼び起こす。かつてはありふれた風景も、大阪を離れたいまとなっては、指先で触れる恋人の頬のように愛おしい。
結局のところ、人は生まれたところを捨てられへん。
そんなことを、友人の諒がいっていた。一昨日の夜のことだ。新幹線で東京から大阪へ戻ってきた夕は、地元の阪急高槻駅で諒と軽く酒を飲んだ。どういう話でその言葉が出てきたのか忘れたが、いまになって諒の言葉が不思議な重みを持ち始め、夕の意識に張りついた。確かに梅田の風景を眺めていると、自分が生まれ育った大阪という街の記憶をどうやって捨てられよう。生まれ育った街の思い出、記憶、愛着は、一生その人から離れはしないのだ。
屋内にいても、雨の音がきこえ、雨の匂いが染み渡る。じわじわとした暑さと湿気が肌にまとわりつく。梅雨の季節のただ中で、誰もがこの降りしきる雨への不快感を隠そうとしない。雨など降らなければいいのに、そんな声がどこかできこえた。
夕は親友の佐野由美子を待っている。由美子とは食事をする約束をしていた。高校時代の友人で、夕が大学を卒業して東京に出てからは、ほとんど会っていなかった。由美子は元気にしているのだろうか。あのころと変わらないでいるだろうか。あと三十分もしないうちに由美子に会えるというのに、歓喜と不安が夕の胸をかき乱す。
由美子は夕の数少ない親友の一人だった。友人は多くいても、親友とまで呼べるほどの存在は少なかった。由美子は切れ長の目と冷たい雰囲気を持つ美人で、性格もどこか他人を寄せつけない捻くれたところがあった。快活さと無鉄砲さを持つ夕とはまるで正反対の性格だったが、二人はなぜか馬があった。性格の正反対具合が、二人にはちょうどよかったのかもしれない。
高校時代の記憶が蘇る。あのころを思い出すと、浮かんでくるのは常に二つの光景だった。恋人の雄介、友人の諒と北摂を駆け巡った夜。由美子とはしゃいで回った、雨の日の梅田。部活や学園祭、授業や登下校の出来事など、楽しい思い出や印象深い思い出はいくつもあるはずなのに、この二つの光景と記憶は不思議と真っ先に浮かぶのだ。無意識のうちに脳が、それだけ印象深いものと認識したのだろうか。
雨の日の梅田。由美子と二人で出かけて遊んだ日。高校一年生のちょうどいまごろの季節だった。由美子から声をかけられなければ、そこまで印象に残る日にはならなかったのではないか。その前日の学校帰りに、由美子から唐突にいわれた。
一緒に映画を観にいかないか。
夕は断る理由が見つからず、頷いてしまった。次の日、二人して梅田の映画館にいった。夕も由美子も、梅田に出るのは初めてだった。
いまこうして梅田に降り立つと、あのころの記憶が必然のように蘇る。マドレーヌの味で記憶が蘇るように、梅田と雨が、心の奥底の記憶を立ち上らせる。
雨の匂いを夕は嗅いだ。特別不快でもなければ、快くもない。雨が齎す湿気はどんよりじめじめと粘着質なくせして、雨の匂いは研ぎ澄まされた鉄のように冷ややかな匂いがする。
暇つぶしに、広場に設けられた電光掲示板を見た。関西のローカルニュースが流れている。生まれ育った高槻の街並みが、特集で映し出されていた。
なぜだかわからないが、涙が出そうなほどの感慨に夕は見舞われた。
【注釈】
マドレーヌの味で記憶が蘇るように:プルースト『失われた時を求めて』冒頭の非常に有名な場面。あるものの味や匂いにより記憶が呼び起こされる現象は、のちにマドレーヌ効果やプルースト効果と呼ばれることになる。




