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大気圏の背中 -the bottom of the atmosphere-  作者: 鈴山浩美
第二章 研修スペースにて
7/17

放課後

 今日は金曜日だったので、渡瀬と相田は飲みに行くことになっていた。二人とも用事や体調不良がなかったらという条件付きの取り決めで、先週までは相田に用事があるということで中止になっていた。昼前に部長から来たメールに「今日は開催」と書いてあって、ずっと断られると思っていた渡瀬はうれしかったが、すぐに複雑な気持ちになった。


 演習と一日のまとめが終わり、次回の予定を確認して解散となった後、KとAは足早にこのスペースから出ていった。彼らは毎週末、いろいろなグループの集まりに参加していた。今日は他社の人も交えてI駅で集まるのだと休憩中の雑談の際に話していたので、それに向かったのだろう。中村は、山川と他のペアの四人で飲みに行くそうで、渡瀬と相田に丁寧にあいさつして出ていった。


「中村君は丁寧だねぇ」


 渡瀬がつい口に出すと、PCを眠らせる準備をしていた相田は渡瀬の方へ顔を向けて、


「でも、あの子の部屋、すごいんですよ」


 と言ってPCの方へ向き直った。え、すごいって何が? 丁寧、でも、ってことは、汚いってこと? 渡瀬が戸惑っていると、相田はPCを眠らせて、資料を鞄の中にしまい始めた。渡瀬は既に退社準備を終えていたので、引き続き中村のことを考えようとすると、相田が渡瀬の方を見ながら机の引き出しを開け閉めした。


「大丈夫、今日はお昼前に施錠してきたから」

「そうですか。それは失礼しました」

「いいえ、ありがとう」


 相田は退社準備を再開した。渡瀬はオフィスチェアーを左右に回しながらなんとなく入口の方を見た。社員同士で声を掛け合ったり、ロッカーに荷物を取りに行ったりしていて浮足立った雰囲気だった。簡単なドアと、壁とも言えないような仕切りで区切られているだけなのに、渡瀬がいるこのスペースとは別の空間のようだった。渡瀬は、こうやってすぐそこにある別の空間を眺めるのが好きだった。テレビや映画のように切り離されているのではなく、地続きで、行こうと思えばすぐに行けるけど、別の場所。


「準備できました」


 相田は机の上に置いた鞄に両手を乗せて渡瀬の方を見ながらそう言って、うつむきながら椅子を引いて立ち上がった。渡瀬も椅子を引きながらかがんで机の下に置いてあった鞄をつかんで立ち上がった。立ち上がったときの姿勢のままこちらを見ていた相田がすっと入口に向かっていったので、渡瀬も後に続いた。 




 研修スペースから出ると、慌ただしくしていた人たちはいなくなって、仕事を続けている人が数人残っているだけだった。


「お先に失礼します」

「お疲れー」

「お疲れ様です」


 普段は渡瀬も退社するときは「お先に失礼します」と言っていたが、いまのタイミングで言うと相田君の連れのように見られそうで癪だったので「お疲れ様です」と言うことにした。反応がなかったのは、前のやりとりに吸収されたのだろう。特に気にはならなかった。


 相田君にぶつかりそうになったので何かと思ったら、ドアの向こうのエレベーターホール(と言うほど広いスペースでもないが)から人が壁の中に消えていく途中だった。このまま出ると最後尾の人に気づかれて気遣われてしまいそうなタイミングだと思った。相田は壁に掛かっている額縁に入った絵の方を向いて、さらに歩みを緩めた。


「この絵って誰の絵でしたっけ」


 渡瀬も絵の方を向いた。様々な色のゆがんだ円や曲がりくねった線が無造作に描かれている水彩画で、名前の付いているものがモチーフになっていると思える部分はどこをどう切り取っても何一つなく、抽象画と呼ぶしかなさそうな絵だった。


「さあ……、社長のお子さんとか?」


 相田は口を半開きにして渡瀬の方を向いて、二秒ほど静止してから口を閉じ、絵の方へ向き直った。


「知らないなら適当なこと言わないでください」


 相田はそう言ってまばたきをすると、ドアの方へ向かって歩き出した。渡瀬は絵を横目で見ながら後に続いた。相田君はこの絵のどこが好きなのだろうか。私も嫌いではないが、どこが好きなのか説明しろと言われたら、一晩くらい考えないと自分の言葉は出てきそうになかった。

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