視線の先
お題はエッグタイマー!
さぁ、張り切って行って見よう!!
ぐつぐつと鍋のなかで湯が沸いている。
かれこれ何時間この光景を見ているのだろうか……
湯が少なくなれば水を差して、再び沸き立つ様子を眺めている。
何の意味があるだろうか? 自分でもわかっていない。
グラグラと沸き立つ湯で料理をしているわけでもない、ただただ煮込んでいるのだ。
エッグタイマーを……
疲れていた。
学生から社会人へと自分を表す言葉が変わっただけで、中身は何も変わっていなかった。
周りの人間は社会人という看板に合わせて中身をうまいこと変化させ、その看板を見事に掲げて社会へと溶け込んでいった。
私は、それがうまくできなかった。
学生のまま社会人としての看板を支えることは、想像以上に消耗させた。
毎日浴びせられる罵声と暴力、バンプオブチキンっていいよね。
成長しなければならない現実と、成長しない自分自身の軋轢が精神をゴリゴリと削っていく。
変わらなければと焦れば焦るほどに、逆に心は自分を守ろうと凝り固まっていく。
うまいこと表面にメッキでも張って繕えるような器用な人間だったらよかったが、私はそうではなかった。
「私はこのタイマーと一緒」
煮えたぎる湯の中で揺らいでいるエッグタイマーは、すでに中心まで完全に色が変化して、卵がもし一緒に入っていたらカッチカチの固ゆで玉子が出来上がっていただろう。
そして、いくら煮込んでもタイマーの色はそれ以上変わることは無かった。
沸騰する湯という環境に、いくら長い時間いても、それ以上変化しない……
もしかしたら、この先にもなにかあるのかも?
そう思い立って、刺し水をしては煮立てて、また刺し水を繰り返す。
何回も何回も何回も何回も。
表情もなく一晩中水を差していた。笑えるよな、でも笑い方なんて、愛想笑い以外もう忘れた。
外がうっすらと明るくなっている。
ああ、休みが終わって、また社会という煮え湯の中にこの変らないエッグタイマーのように飛び込んでいかなければならない時間が近づいている。
いくら沸騰した湯で煮込んでも、何も変わることなんてないのに、いつか変わるのではないかと、無駄としか思えない思考から逃げ出せずに、心をすり減らしながら社会人の看板を今日も持ち上げていくのだろう……
アラームが鳴る。
一日の始まりを告げる絶望の音。
「準備しなくちゃ……」
どんなにつらくても、仕事をしなければいけない。
それがあたりまえのこと。
誰しもがやっている普通の事。
つらくなんかない。
仕事をするなんて別に大したことは無い。みんな、皆やってるんだ。
くたびれたスエットから、スーツに着替える。
スーツという看板を被ることで中身の未熟な私も社会人に見える。
便利なものだ。
これを着ている人間は全て『社会人』であることを強いられる。
スーツではなくて制服の場合もある。
身に着けることでその役目を強いられる。
鏡に映る死んだ魚のような目に映る自分の姿は、社会人の姿をしている。
紺のスーツに白いワイシャツ、赤いネクタイ。
これが俺の看板だ。
靴を履いてこの部屋から一歩外に出れば、中身なんかは誰も見ない。
社会人、サラリーマンという存在に私を変えてしまう。
靴を履き。今日も自分を殺すために部屋を出る。
ベキッ
玄関で妙な音が聞えた。
気が付けば室内が煙たい。
「あ」
忘れていた。
急ぐ気も失せながら、台所へ向かう。
鍋からもうもうと黒煙が上がっている。
ほんとうに自分の無能さに反吐が出る。
すぐに火を止め、鍋の中を見る。
「……なんだ、変われるじゃん」
砕け散って真っ黒に変わったエッグタイマーを見て、私はにやりと笑うことが出来た。
はぁ……
(´Д`)ハァ…