27:株式会社AQUARIaの中の人達その1
某都会のビルの一室にて……
白を基調とした広い室内には、多くの机が列を成すようにして並べられている。
その一つ一つ全てにパソコンが一台、もしくは複数置かれ、多くのスタッフが目前のモニターを睨みつけていた。
みな真剣な面持ちでモニターを監視している。
オープンベータテストを開始して数時間。
まもなく日付変更時刻だというのに、多くのスタッフがまだ働いているのだ。
「チーフ。乗馬技能の情報が漏れてから、一斉にプレイヤーが集まってしまって……トムさんが頭抱えてます」
とあるモニターを監視していた男性スタッフの一人が声を上げる。その目は若干充血気味だが、ほとんどのスタッフが同様なので誰も同情しないし、気にも留めない。
「馬の数を調整しろ。あの牧場なら百頭ぐらいぶち込めるだろう」
「わかりました。まったく、誰もトムさんの依頼を遂行しないで、馬に乗ることばっかり考えてるんだもんなぁ。ブツブツ」
運営ルームの責任者、チーフに指示され、男はキーボードを高速で叩きながら作業を行った。
モニターに映るのは牧場。
馬と、そしてその馬を追い掛け回すプレイヤーの姿が見る。
それはまるで、3Dアニメーションのような映像だ。
男の作業が終わると、牧場に併設された馬小屋から数十頭の馬がかっぽかっぽと出てくる。
音声はないが、おそらく歓喜しているであろうプレイヤーが、新たに出てきた馬に群がっていく。
男は内心で思った。
(百頭でも足りない――)
と。
そしてこうも思った。
(誰か一人でもトムさんを助けてくれる人がいたらなぁ)
とも。
彼は最初の農村デザインを担当したスタッフであり、農民ライフを夢見る青年でもある。
その為、トムさんの気持ちが痛いほどわかるのだ。たぶん。
尚、トムというのは彼の視界に映る牧場の主であり、NPCである。
さらに別の机では――
「ぎゃあぁぁぁっ」
という女の悲鳴が上がっていた。
だが周りは誰も気にした様子もなく、黙々と机に向ってキーボードを弾いていた。
ただ一人、仕事だから仕方が無いとチーフだけは声の主の下へと向う。
「小松君、今度はなんだね? また好みの男性アバターを発見したのかい? それともゲームとして重大な不具合を発見してくれたのか?」
「ぬふふ」
チーフの問いに、女は振り向きもせずだらしない笑みを浮かべていた。
はぁ――と、チーフは溜息を吐いてからその場を立ち去ろうとする。
が――
「チーフぅ。モンたまゲットしたプレイヤーがいますぅ」
モンたま。
正式サービス後に本格実装される『モンスターエッグ』の社内略称である。
実のところ、一部のレアモンたまは既に実装済みである。だがいくつかのフラグが立った状態で、尚且つ運良く卵をくれるモンスターと遭遇し、さらに限定された行動を行わなければ手に入らない品物だ。
尚、手に入れても現時点では何の役にも立たない。
「は? ……なにっ!? な、なんで、どうして? いや、数個は実装されているが、誰がフラグ立てたんだっ」
「えーっと、データを巻き戻して見て見ますねぇ」
女はキーボードを光の速さで叩くと、彼女の机にあったモニターのうち、一台に英数文字列がずらずらと下から上に向って流れ始めた。
その流れが止まったとき、女は、
「あ、大賢者様がピッピの卵を取って来いって、彼に言ってますねぇ。その後トリトンさんがピチョンの名前を口にして、それで立ったちゃったみたいですぅ。ぬふふ、ぬふふふふふ」
彼――もう一つのモニターに映るプレイヤーキャラクターの事であろう。
その彼は現在、ゴブリンと死闘を繰り広げていた。頭に卵が入った鳥の巣を乗せて。
チーフも、彼女が涎交じりで見つめるモニターに視線を向ける。
「確かに頭に鳥の巣があるな……オープンベータで実装したレアモンたまは幾つだっけ?」
「二十個ですね。今ゲットされてるのはピチョンのそれだけっぽいです。しかしモンたまは実装してますが、そもそも孵化が未実装ですから。はっはっは」
答えたのは小松女子の隣のデスクで作業をしている男だった。
彼のデスクの上にあるモニターは三台。その全てにオープニングイベントの光景が映し出され、今また一隻、レッサーインプの襲撃によって沈没しようとしていた。
彼はその光景を、瞳を爛々と輝かせて見つめていたのである。
「二十個か。随分と運のいい青年だな。それにしても彼、君の好みのアバターじゃないか?」
「ぬふふ。分かりますぅ〜?」
分からないでかとチーフは思った。
この『Imagination Fantasia Online』は、株式会社AQUARIaが開発、運営を行っている。
当然彼女も開発チームの一員であり、キャラクターグラフィックの作成を主に手がけてきた一人だ。
社内でもアニヲタで知られている彼女は、あろう事か、自分好みの美青年フェイスパターンのみを作成。
もちろん、各部位に分割されているため、完璧な組み合わせにしなければ彼女の好みの直球ド真ん中にはならないが……
他のデザインスタッフが居なければ、今頃『Imagination Fantasia Online』内は美青年キャラクターで溢れかえっていただろう。
しかし――
「ぬふふ。幸運な事に、あの子が受付担当したユーザーが、あの子にキャラメイクを任せてくれたんですよぉ。ぬふふふ。いい仕事したわ〜」
チーフは顔を覆った。
ゲーム内のNPCの中には、開発に携わったスタッフがモデリングになっている者も多い。
理由は簡単。
NPCとはいえ、数千、もしくは数万も存在するキャラクターのデザインを考えるが面倒だったから。
多くはスタッフの顔写真をスキャナで読み込み、アニメ化処理を施し、コンピューターを使ってちょいちょい弄ったものだ。
弄り方を変える事で、ほぼ別人に仕上がる簡単便利な方法である。
それはログインサーバーで、プレイヤーのサポートをするAIキャラクターも同様であった。
尚このサポートキャラクターは、ユーザー一人一人に専属のキャラクターが付いており、その容姿はバラバラであり、性格パターンもそれぞれ異なる。
そして……彼女の言う「あの子」とは――
「君の趣味や基本フェイスをモデルにしたアレか」
「そうでぇ〜す。でもぉ、性格は違うんですよねぇ」
「当たり前だっ。君の性格までトレースしたら、プレイヤーを襲いかねないだろうっ」
「えぇ!? そんな事しませ――」
そこまで言うと、女はモニターを見つめた。
その横顔を見てチーフは思う。
何故この女は美人だってのに、性格がアレなんだ――と。アレ過ぎて社内でも彼女に恋焦がれる者が誰一人として居ないという。
そんな残念な美人――小松が見つめるモニターに、チーフも再び視線を送った。
全身黒尽くめの装備に、派手なステージ衣装のような鳥の羽根。
同じく黒い手袋に蒼白い閃光を纏わせ、ゴブリンの頭を鷲掴みして――放電っ。
「殴りマジ……かっこよすぎるぅ。持って帰りたいぃ〜」
「持ち帰ってどうするつもりだ」
「そんなのぉ、決まってるじゃないですかぁ〜。もうやだ、エッチぃ」
やっぱりこいつは襲う気だ。そうチーフは確信した。
お持ち帰りの事は忘れて、チーフは小松女子のモニターに映る会話ログに目を落とす。
(この会話内容だと、彼はピッピの卵を探しに行ったはず。偶然ピチョンの卵を見つけたにしても、それを奪おうとすればピチョンに瞬殺されるパターンではなかろうか)
首を傾げ、小松女子のデスクにあるキーボードを叩いた。
モニターに映し出される、キャラクター名『彗星マジック』の行動ログが流れていく。
草原で綿を採取――
ピッピタイムに突入するが、結局一度も対戦する事もなく終了――
ピチョンと卵大好きエッグスネークがポップ――
彗星マジックの放った魔法がスネークに命中――
「ん? 会話ログからしても、ピチョンをピッピと思い込み、この攻撃もピッピに向けたもののようだな」
「ぐふふ。そうみたいですねぇ。あぁ、今すぐログインしていいですか?」
「却下だ。小松君にはアバターの使用許可を永久的に凍結しておくから」
「ひ、酷いっ。あんまりですぅ〜」
「モニター越しに彼を舐めるように見ておきたまえ」
「はい! そうします!! ぐふふふふ」
モニター越しなので手は出せないし、一応彼の身は守られているからいいだろう。そうチーフは自身を納得させた。
しかし――だ。
小松女子は『彗星マジック』の事を、殴りマジと言っていた。
だが戦闘ログを見る限り、魔法のダメージは普通の魔術師のそれである。
さきほど自分も見たゴブリンとの戦闘然り、再生されているエッグスネークとの戦闘然り。『彗星マジック』は確かに、素手で敵を殴り――いや、掴み攻撃している。
いったい何故?
魔術師が最も優れている点は、遠距離からの属性魔法攻撃であって、至近距離での戦闘ではない。
「マゾ体質なのだろうか?」
「え? え? チーフ、今なんて仰いました?」
しまった――とチーフは思った。
『彗星マジック』はマゾなのだろうかなどと彼女に聞かせたら、どんな妄想を始めるやら……。
「ぐふ。ぐふふふふ。チーフ、あなたの下でお仕事が出来て、私は幸せです。ぐふふふふふ」
俺は不幸せだ。
そうチーフは心の中で呟くのであった。
「うぼおああぁぁぁっ」
広い室内に響き渡る奇声。
ビルの同一階に他の企業の事務所でもあれば、恐らく通報物であったろう。
幸い、二十階建ての八階に入居している企業は、株式会社AQUARIaだけである。ちなみに七階と九階は入居者募集状態で、空き階だ。
どんなに泣こうが叫ぼうが笑おうが、誰にも迷惑を掛けないという訳である。
「チーフ! 坂本が覚醒しましたっ」
「うぼぼぼぼぼぼぼぼ。ドドドドドド、ドット抜けがあががががが」
「落ち着け坂本! ドット抜けはクローズド前に埋めただろうっ」
「ドドドドドドド」
「ダメだこりゃ。おい、誰か坂本を仮眠室に運んでおけ」
チーフの怒声に素早く反応する若者が居た。
「俺が行きますっ。坂本、死ぬなっ」
「ドドドド、ドッド」
若者が覚醒者坂本に肩を貸そうとしたとき、その手をチーフが掴んだ。
「池田、お前。そう言って昼間も誰かを仮眠室に運んだっきり、三時間帰ってこなかったよなぁ?」
「気のせいですチーフ!」
「気のせいな訳あるかっ! だったら貴様――」
チーフは若者が穿くズボンのポケットに手を突っ込んだ。
一部の女性スタッフから奇声が放たれる。腐っているのか、この職場は。
「池田、このメイド喫茶のレシートはなんだ! 日付は今日。時刻は十五時三十五分となっているぞっサーバーオープン直後だろう!!」
「あれー、いやだなぁ。それ、去年のレシートっすよぉ」
そんな訳ないだろうと、室内にいる誰もが思った。
「もういい! 俺が坂本を運ぶっ。貴様はしっかりさっきのプレイヤーの監視をしておけっ」
「えぇっ。アコたんの勤務時間が終わっちゃいますよぉ」
「知るかっ!」
こうしてチーフは、覚醒者坂本を仮眠室へと運ぶのであった。
彼ら運営スタッフの夜は――
まだまだ続く。
というより徹夜である。
だがこの業界、どんなに忙しかろうが徹夜があろうが、賃金は上がらないのだ。
覚醒者坂本を仮眠室にあるソファーベッドに転がしたチーフは、廊下に出て溜息を吐く。
あぁ、何日家に帰ってないんだろうな……
そう思いながら彼は歩き出す。
覚醒者予備軍が群れる、ゲームマスタールームへ。
 




