嵐は突然に②
エリスはふと足の痛みで目が覚めた。
じんじんして熱が集まっているようだった。
そこで視界が悪いことと、煙のにおいと空気が埃っぽいことから現在の状況に思い至った。
爆発に近い轟音が響いてすぐに意識を失ったのだ。
ゆっくりと上半身を起こす。あちこち擦りむいていたが異常は見当たらない。
ほっと、して先ほどから痛みを訴える足を見ると完全に折れていた。
視界はまだ悪い。ぱらぱらと砂のかけらのような物が降ってくるがエリスには当たらなかった。
─────エリス!気がついたのか?大丈夫か?
スーの優しい声が鼓膜を震わせた。
「ああ、大丈夫ではないけれど生きてるよ」
上から降ってきた声の方へ顔を向けると、元のサイズに戻ったキラキラしいスタードラゴンの姿があった。その翼の下にエリスを抱き込んでいる。
「クリスを呼べる?」
─────わたしがいるではないか。わたしが何でもしてやる。
「足が折れて痛いんだ。だからクリスの・・・」
薬をもらいたいと続けるつもりだった。
エリスがそう言う前にスーがその大きな頭(エリスの頭の三倍はある)を折れた脚に近づけ、べろんと舐めた。そして素早く自分の輝く鱗を口で剝すと折れた足に貼りつけた。
─────うむ。これで良い。痛みをなくしてから小僧の薬を塗ればよい。
こころなしか胸を張っているようだ。
「ありがとうスー」
─────なに、エリスのためなら鱗の一枚や二枚、気にするな。おい、小僧こっちへ来い。
すりすりとエリスの頬に顔を寄せて甘える姿は完全にペットだ。もっと褒めろ、という空気を察しエリスはスーの滑らかな体を撫でた。
やがて煙が晴れ、辺りの惨状が見える。
少し離れたところにマリーが倒れていた。エリスと同じく意識を失っているのだろう。ドレスは滅茶苦茶に乱れ汚れてしまっている。
クリスがエリスの傍までやってきて、絶句した。
「クリス、薬ある?」
エリスに硬い表情で頷き、ポケットから軟膏を取り出し足に塗ってくれた。クリスは一言も喋らない。
それは匂いのない方の軟膏だった。
塗ってもらいながら、エリスは折れた足を自分で元の位置に戻し(でないと折れた方向のまま治癒すると困ったことになるからだ)クリスにお礼を言った。
「こんなもの、大したことではありません」
ちょっと怒ったようにクリスは言う。
「こんな・・・こんなひどい怪我をしてまでそれを飼う理由は何ですか?歩けなくなるところでしたよ。それに・・・この鱗!よく知りもしない相手に物をもらっちゃいけませんってご両親から教えられませんでしたか?ただより高いものはないんですよ!」
クリスの剣幕につい笑ってしまった。
「あははは、いやだなクリス。これはスーの好意だよ。そうだよね?」
スーが目を逸らした。
「ほら完全に下心込みの鱗じゃないですか!そんなものをホイホイもらってどうするんです!丸め込まれてあっという間に首が回らなくなってそのドラゴンの番ですよ」
クリス、激怒しても可愛いけどそろそろ衆目を考えようか。
エリスさんは甘すぎる、もっと危機感をもったないととクリスのお説教が続いている。
そっと足に力を入れてみる。若干痛むが、歩けそうだ。
クリスの手を借りて立ち上がったがよろけてしまった。もう一度よいしょ、と立ち上がったところへ声がかかった。
「あー、お前無理すんな。俺が抱いていってやるから大人しくしとけ」
クリスの顔がまた怖いことになっている。
「誰だ。名乗れ」
クリスの王子様版、新鮮だな。
「あれ、アイン?なんでいるの?」
そこには騎士服を着たアインがいた。ちょっとだけおっさん臭さが抜けて凛々しく見える。制服マジックすごい。
事情を知らず怖い顔のクリスにドラゴン討伐の時に組んだメンバーだと教えたが表情は変わらない。
そんなクリスの目線をさりげなく避け(器用だな)アインはエリスに答えた。
「なんでってお前、俺たち本職は騎士だもんよ。バートもいるぜ。それにルーも王宮のどっかにいるはずだ。あいつの本職も魔術士だからな」
後から聞いたところによると、被害の大きな害獣や国に影響を及ぼしかねないと判断される魔獣の討伐には身分を隠した騎士や魔術師が派遣され、冒険者に紛れて依頼をこなすらしい。その結果を報告するという任務があり、アインやバート、ルーは冒険者としても登録しているとのことだった。
だからエリスがスタードラゴンに懐かれてしまいお持ち帰りしたことも報告されていて、ゆるく監視されていたそうだ。まったく気づかなかった。
「ただのオヤジかと思ってた。悪いな!」
エリスが笑顔をむけるとアインはイヤそうな顔をした。
「俺、おっさんくさかった?これでも騎士団ではモテるほうなんだけど」
エリスの返事はへー、とそっけない。
※ ※ ※
辺りは避難しそびれた負傷者の救助が始まっていた。
騎士団の制服があちこちで瓦礫をどけたり、簡単な治療を施したりしている。
「マリーのところまで連れていって」
アインに抱かれて、いまだ放置されたままのマリーの傍に座り込むと、エリスは乱れたドレスを直してやり抱き起して名前を呼んで軽く頬を叩いた。
後ろではクリスがスーに説教をしている。
うん、あれは放置しよう。
やがてマリーがエリスの腕の中でゆっくりと目を開けた。
「ここは・・・?わたしドラゴンの・・・」
ぼんやりとした瞳が焦点を結び、エリスの顔を写した。みるみる真っ赤になりぱくぱくと口を動かしているが言葉が出ないようだった。
優しく、痛いところはない?と聞いたエリスにこくこくと首を縦に動かしたマリーに、エリスは現状を伝える。
「スーはあなたの隷属から逃れるために、ひどい癇癪を起したの。建物の中へ逃げ遅れた人もいる。今は騎士団が救助に当たっているから、あなたも治療を受けるといい」
マリーはうっとりとエリスの顔を見ていた。
「ドラゴンを隷属したとして、あなたにこの責任は取れると思う?あの子は物じゃない。感情があって振舞は子供だよ。一から善悪を教えていかなければならない。だから、よく考えて」
マリーが俯き、肩が震えだしたので、ほつれた髪を撫で背を優しく叩いてやる。
「・・・おねえさま」
うん?よく聞こえなかったな。
もう一度聞き返したが、返事はなかった。
アインを振り返ると心得たように騎士を呼び、マリーを抱き上げていった。
エリスもまたアインに抱き上げられ、小さなサイズに戻ったドラゴンを小脇に抱えたクリスに先導された。クリスがすれ違いざまにエリスの耳に小さく囁いた。
「二年後には僕があなたを抱き上げますから」