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美しい庭から直接サロンと呼ばれる広い応接間に通されたエリスの目に映ったのは二体のトルソーが着る青緑色と赤紫色のまるで正反対の色合いのドレスだった。
「どちらの色が好みかしら?デコルテはスクエア型が良いと思うのよ」
大妃様の後半の言葉の意味がさっぱりわかりません。
「私はこちらが良いと思うのだけれど、せっかくだから着て見せて?」
「いえ、私のような礼儀を知らない者が袖を通すのは・・・」
にっこりと楽しそうな大妃様に咄嗟に言い返したものの語尾は続かなかった。みるみるうちに、しょんぼりと悲しそうな顔を目にしてそれ以上否定の言葉を紡ぐのが躊躇われたからだ。
さらには王族(しかも現王の母という非常に身分が高い!!)に歯向かうなんて、やっちゃイケナイことだったよねー!?
背中にだらだらと大量に冷や汗が発生中のエリスを知ってか知らずか大妃様はうるうるした瞳で見上げて手を祈りの形に組み合わせて酷く申し訳なさそうに言った。
「お願い、着て見せてほしいの」
破壊力高いな!殺傷能力もあるんじゃないの?これを断れる人間はいない。いたとしたらそいつは人じゃない!
絶望的な気持ちで、はいと返事をしたら侍女さんがさっと衝立を大量に持ちなだれ込んできた。
設置わずか一分。衝立と衝立の間に目隠しの織物がかけられ試着用の小部屋が完成した。
素晴らしい連携だった。
巨大な姿見まで用意されている。これ誰が運んだんですか?
エリスがやや現実逃避していると、ドラゴンの方はこちらに出ていらして?と柔らかな大妃様の声が促した。スーと視線が合ったので、言うとおりにしておいてとの意味を込めて頷くと理解したように衝立の向こう側へ飛んで行った。
そしてスーはそのまま散歩に行ってしまった。薄情なやつめ。
さっき庭で軽食を準備して傍に控えていた侍女さんたちが色んな布を手に待ち構えている。
エリスは言われるがまま脱ぎ、着て、そして後悔した。
こんな面倒な着衣が世の中にあったなんて知らなかった。
専用の下着に、柔らかに見せかけて鎧かと突っ込みかけたコルセット。木枠でドレスを広げるパニエ。
一生着ない。二度と着ないと誓った。
そしてなぜかぴったりなドレスのサイズ。世の中、知らなくても良いことだってある。逆に知らない方が幸せだってこともある。
髪を整えられ、顔に化粧を施されようやく衝立の向こうへ出る。
余談になるが、恐ろしく華奢なヒールのついた靴は固辞した。歩ける予感がしなかったので、それはもう必死に辞退した。
転んでドレスを破りました、って笑えない。借金の種になりそうなものは全力で省いていかなければ、明日はないと本能が知っているからだ。
そこには大妃様と侍女(お針子)さん、いつの間にかクリスも加わっていた。
「エリスさん、とても良くお似合いですよ!」
クリスが開口するなり褒めてくれたが、エリスとしては気のない返事しか返せない。
はぁ、どうも、ともごもご言っているうちに大妃様とクリスが怒涛の会話を始めてしまった。
エリスは突っ立っているだけなのだが、侍女さんが針と糸を手に凄まじい勢いで裾の長さを確認しやたらと小さなビーズを縫い付けていく。
「もう一つの青緑のドレスも良い色に仕上がっていましたが、やっぱりこっちですね」
「そうねぇ、強烈な印象になるでしょう。初々しさに欠ける色だから堂々としてなさい」
強烈な印象って必要なんですか?
「エリスには後でクリストフから説明させるわ。レースは少なめにしてデコルテは真珠で縁取りしてちょうだい。胴部分には銀色で刺繍しましょう」
次々と指示を出し、生き生きとしている大妃様を止めてもらいたくてクリスを見たが頬を染めて嬉しそうにしているので、早々に諦めた。
ここにエリスの味方はいない。
心なしかドレスがどんどん重みを増している気がする。
きゃあきゃあと盛り上がる侍女さんたちには申し訳ないが、女子力皆無のエリスには苦行でしかない時間だ。
視線を窓の外へと飛ばし、思考を放棄し目を開けたまま眠れないものかと、人間の新たな能力の開発を試みるエリスが生きた人形と化し、その後ダンスのレッスンを終えた頃には陽も沈みきって夜になっていた。
疲労困憊のエリスの表情を汲んだクリスによりダンスの練習は終わった。
あからさまにほっとしたエリスを微笑ましげに見守る侍女さんたちによって、ドレスは片付けられ化粧も落とされた。
ふぅっ、と大きく背伸びをして息を吐き出す。
大妃様がくすくすと忍び笑いを漏らしたので、すみませんと小さな声で謝罪しておいた。不敬だったかもしれない。
「良くてよ。エリスのドレス姿が見られて良かったわ。若い人がいるととても楽しいもの!また私と遊んでちょうだい」
エリスの手を白くほっそりとした指が包みこんだ。
「いつでもここへいらっしゃい。歓迎するわ」
下から覗き込まれて非常に距離が近いのだが、いいのだろうか。
ありがとうございます、と大妃様の瞳を見つめて言うと、頬がぱっとバラ色に染まった。すごく可愛い。
手を握ったままなのでそろそろ離したいのだが、どうすれば良いのか迷ったところで思い浮かんだのは閣下だった。
エリスは深く考えることなく自然に跪き、大妃様の手の甲にそっと口づけた。
しん、と辺りが静まりかえり、エリスはその姿勢のまま大妃様を窺った。
その時どさ、と異音が広間に響いたのでそちらを見ると侍女さんが一人倒れていた。
他の侍女さんは皆口元を手で押さえ大妃様と同じように頬を染めて硬直している。
誰も動かない中でクリスだけがその侍女さんを抱き起こし、しっかりしろ!とか医務官を呼んで!と甲斐甲斐しく世話をしている。
その指示に、侍女さんたちは我に返り動きだした。
さすがクリス。できる子だ。
エリスもそっと身を引こうとしたところで、バラ色の頬の大妃様はやがてぷるぷると震えだし高らかな声でこう言った。
「素敵!やっぱり、あなた近衛になりなさい!」
あちこちで、まぁ!とかきゃぁ!とか歓声が上がっているのを無視してクリスの叫びが遮った。
「だめに決まってるでしょう!せっかく話がまとまりかけてるのに余計なことしないで下さい!」
ええ~!と可愛らしく不満を表す大妃様とそれに追従する多くの侍女さん相手に旗色が悪いと判断したのかクリスは憮然とした面持ちでエリスの手を掴みその場を逃げ出した。




