29-2
───エリスに詫びねばならぬ。
森から離れ、城からもどんどん離れて行く。
不思議と、怖さは感じなかった。
スーの鱗の手触りを楽しみながら聞き返したら神妙な返事だった。
───エリスの意に染まぬやり方で番にしたことを反省している。
「・・・あれは無効でしょ?」
───無効ではない。その証拠に私の胸のあたりの鱗が一部分変色している。これは発情の印で、番が妊娠するまで消えぬ。子が生まれる頃には番と共に角が生える。
「・・・ええっと、なかったことにはできないの?」
発情とか妊娠とか、馴染みのない言葉に若干引いた。
───番になるのはそんなに嫌か?
悲しそうな声に後ろめたさを感じながらも、きっぱりと答えた。
「そんな気持ちはないよ」
借りは作るな。
貸しはないものと思え。
情に流されるな。
冒険者の鉄則だと教え込まれた言葉だ。
スーのことは好きだが、恋愛感情で独占したいとは思わない。
どちらかと言えば、面倒を見なければという気持ちの方が大きい気がする。
がっかりとしょげ返り低空飛行になっているスーに、できる限り優しく声をかけた。
「スーがその状態でずっといることに問題はある?」
───わからぬ。わたしも発情するのは初めてなのでな。
ちょっと耳のあたりを桃色に染めて恥らう乙女なドラゴンだった。
「発情ってどんな感じ?」
───気分が高揚している。それにエリスがいつに増して綺麗で可愛い。
高度が少し上昇した。
「ふぅん、すぐに襲われる心配はないの?」
───襲いたくとも人の形になれぬのだ。無理であろう。
それを聞いてかなり安心したエリスだった。
月光を浴び、どこまでも続く夜の空をゆるりと飛行するのは人の身には過ぎた贅沢かもしれない。
すっかり夜が訪れて、街も森も闇に覆われている。
広い空の下にたった二人きりで居ることが不思議に思えてくる。
「間違って番にしましたってケースは他にないの?」
───聞いたことがない。そもそも番を間違えるなどありえない。
エリスはもう一度、最初にした質問を口にした。
「元の状態に戻すことはもう出来ない?」
スーは答えなかった。
あー、とかうー、とか口ごもってしまい要領を得ないので何か隠している、とすぐに勘付いた。
それに最初、なかったことにできないのかと尋ねた時スーは答えをはぐらかしている。
「・・・スー?正直に話して」
多少、威圧がかかったのは仕方ない。
ちらっと背中に乗るエリスを窺う様子はやけに人間くさい。
───あー、その、なんだ。元に戻せるとは言いきれないが、長老なら何か知っているかもしれない。
歯切れ悪く、スーは渋々口を割った。
長老って?と聞き返すと、取りまとめ役のような存在のドラゴンがいるのだという。そのドラゴンを拠点としてそれぞれが点在しているため、ほぼ顔を合わせることなく過ごし気が向けば出向くし用があれば合図を送るのだという。
「行こう」
───・・・そう言うと思った。だから言いたくなかったのに!
文句を垂れ流すドラゴンは放っておいて、エリスは今後の見通しに期待を寄せた。
人間との結婚も縁遠いのに異種族間でなど成り立つわけがない。
それに、おそらく寿命に相当の開きがあるはずだ。
城の図書室で見せてもらった本には、定かでないと前置きされていたが数千年を生きるドラゴンもいるとあった。もしエリスが運よく百歳まで生きたとしても、死んでしまった後スーは一人ぼっちに逆戻りすることになる。
エリスに子孫がいればスーも寂しくないかもしれないが、今のところエリスが子供を産む予定も考えもない。
その長老に会って何が何でも番認定を解除してもらい、あわよくばスーにドラゴンの嫁を紹介してもらおうと世話焼きおばちゃんのようなことを目論むエリスであった。
ふてくされるスーを宥なだめながら城へ戻り、次の日から早速行動に移すと決めた。
着陸するために広い場所を探していると、訓練場が見えたので迷わずそこを指し降りるように伝えた。
羽ばたく度に力強い風圧が生まれ、降下する毎に砂埃がひどくなっていく。
それに、風圧で天幕が倒れた気がする。
その音で騎士たちが兵舎から出てきた。
エリスは嫌な汗をかいた。
「まずいな。怒られる・・・」
───エリスを怒る者などわたしが消し炭に
「しないで下さい!」
スーの語尾にかぶせて拒否しておいた。
無事に地面を踏みしめスーを労い小さな姿に戻ってもらうことにした。
そのスーを腕に抱え素知らぬ顔をして足早に訓練場を抜け屋敷へと急ぐ。
アインが出てこなくて良かった。見つかれば小言をくらうに決まっている。
途中、知った顔を見かけたので帰ってきたとの意味を込めて手を振っておいた。
屋敷に辿り着き、そっと両開きのドアを片方だけ開け静かに入ると、そこには茶色の巻き毛をグリーンのリボンできっちりと結わえたアメリアが頬を染めて嬉しげに迎え待っていた。
「お帰りなさいませ!」
「・・・ただいま。遅くなってごめんね?」
エリスも微笑んだ。
もう夜だというのにお仕着せを乱れなく着て、今まで待っていてくれたのだと思うと申し訳なさが募った。
「お食事になさいますか?それともご入浴を?」
アメリアはにこにこと聞いて、どちらも準備できておりますと元気よく言った。
エリスは入浴したい、と答えアメリアの先導で浴室へと導かれた。
滞在して三週間も経つので浴室の場所も分かっているのだが、アメリアは森で分かれ別行動をしている間のことを話してくれた。
研究者たちは皆、城の近くにある別棟の屋敷に入り既に寛いでいるという。
明日には騎士団から森の屋敷の修理に数名派遣されることが決まったこと、エリスは今日はゆっくり休み明日の昼すぎに襲撃者の尋問の結果を城へ聞きにくること、それが終わり次第大妃様との面会が用意されていることなど、エリスが口を挟む隙のないくらい詳細に教えてくれた。
そして浴室の入り口でアメリアがエリスに向かって腕を差し出した。
「?」
意味が分からず首を傾げたエリスに、アメリアはにこにこと言った。
「スー様はこちらです」
その言葉にエリスはハッとした。
何も考えず、スーも一緒に風呂にいれるところだった。
───わたしもエリスと一緒に風呂に入る!
「まぁ、スー様。婚約者とはいえ、未婚の男女がご結婚前にそれは許されませんのよ?」
───そうなのか!?
スーが瞳を見開いてエリスを見上げ驚愕しているので、重々しく頷いておいた。
「スー様のお食事もご用意できておりますわ。さぁどうぞ?」
───わたしもまずは湯を所望する!
承知いたしました、とアメリアは丁寧にスーを隣の部屋へと誘った。パチン、と可愛いウィンクをエリスに残して。
すごい。城の侍女さんのスキルすごい。
お蔭でゆっくりできそうな予感に、ほっと息をついた。
入浴も食事も終え部屋へと引き上げたエリスの後を追おうとしたスーの前に強敵が立ちふさがった!
アメリア まぁまぁ、スー様。婚約者といえども未婚の相手の寝室に押し掛けるのは感心しませんわ
スー わたしは番だ!一緒に寝るのに問題なかろう。
アメリア スー様、差し出がましいようですが人の世では、結婚の約束をしたことを婚約と申します。結婚前に、互いの気持ちを育み夫婦となることに異存がないことを確かめあう大変重要な時期なのでございます。
スー ・・・
アメリア 恐れながら、気持ちの伴わない結婚は互いに不幸を呼びます。どうか、この期間にエリス 様の気持ちを汲みながら末永い絆を育まれますようにお願い申し上げます。
スー ・・・要は一緒に眠れないということだな?
アメリア その通りでございます。くれぐれも。エリス様の嫌がることをなさいませんように。
スー 番なのに・・・
アメリア 嫌われても宜しいので?
スー それは困る!
アメリア スー様にはこちらのお部屋をご用意しておりますのでどうぞ。
スー ・・・(こんなところにも敵がいたとは)




