喜びは分け与えるもの、秘密は共有するもの 2
大きな屋敷なのに驚くほど生活感がない。
エリスはクリスの後を追いながら、そんなことを思っていた。
「これを見たらわかるでしょう?ここの住人がどれだけ生活水準の低い状態で研究に没頭しているか」
だから僕の家事スキルが磨かれたんですよ、と若干耳に痛い言葉が続いた。
ほんの少し破れた壁紙、隅のほうに積もったほこり、壁に飾られたいくつもの賞状の入った額にも埃がかぶっている。
まったく、人を入れればいいのに研究を邪魔されたくないからってバトラーや侍女まで拒絶しなくてもいいのに、と珍しく愚痴が続いている。
下手すれば、あの人たち平気で食事抜きますからね。
ぶつぶつと言いながら廊下を通り抜け、居間らしきところを横切り食堂の横を抜けて、どうやら裏口まで来たようだ。
せんせー!と大きな声で呼ばわりながらクリスがその裏口を開けた時だった。
ひゅん、と何かがクリスの顔面めがけて飛んできた。
咄嗟に手を出し叩き落とす。
へにょり、と地面に落ちたのは泥だらけの手袋だった。
「何度も呼ばんでも聞こえとるわ!このバカ弟子が!」
とクリスに負けない大声で喚く、小柄なおじいちゃん。
エリスとおじいちゃんの目が合って・・・
愛想よくエリスの手を取り自己紹介を始めた。
「やあやあ、薬草園へようこそお嬢さん。わしはここの管理人兼責任者でデメリューシュ。綺麗なお嬢さんの名前を老い先短い年寄に教えてくれんかの?」
「すぐにお暇するので知る必要はありません」
クリスが割って入った。
「これが僕の師です。五年ほどここで一緒に生活と研究をしていました。見た目と性格はいまひとつですが腕は確かですよ」
お、おおおおおお前・・・、とデメリューシュが声を震わせた。
お前たち王族の健康管理をしてるのワシなのに!国の要人なのに!扱いが酷すぎる!見た目がいまいちなのは歳とったからだもん!昔はそれなりにイケてた!
ちょっと泣きそうなおじいちゃんが喚く。
「ああ、それでね師。昏睡状態を目覚めさせる薬って、どんなのがありましたっけ?かなりキツイやつでいいですよ」
よくないですよ!?え、キツイってどれくらいなの?おじいちゃん無視?
エリスはクリスの横顔を凝視した。
うん、いつもの通り可愛い☆
「ばーかばーか!アフォ弟子には教えるか!」
ふん!と腕を組み、そっぽを向くおじいちゃん。あれ?何かわいい?
クリスのこめかみがピクと波打つのを見てしまった。そしてニヤリと禍々しい笑顔が張り付いた。
「へぇ、教えない気ですか。ここにいるスタードラゴンの目覚めを手伝ってもらおうと思ったけど、他の先生のところに行きましょう」
ばっ!と音速でおじいちゃんがこっちを見た。
「どこに!?貴重なドラゴンが・・・」
その視線がクリスからエリスへと移り、エリスの腕に眠るスーに行きついた。じぃっと目を細めそろそろと近づいてくる。
スーの規則正しく揺れる丸いお腹、半眼になった瞳を至近距離で凝視している。
その目はさっきまでの人の良さそうなおじいちゃんのものではなかった。
ぶつぶつと何やら呟きながら、懐から紙の束を出してきて書きつけようとしてペンがないことに気付いてペン!と言いながら服の隠しをやたらめったらごそごそし始めた。
持ち合わせていないと分かると、きょろきょろと辺りを見回し行儀悪く舌打ちをして屋敷の中へ駈け込んで行った。
そこを動くなよぉぉぉ!と叫びながら。
「驚きましたか?」
エリスは正直に頷いた。
クリスが苦笑しながら、あの人は医者でもあり生物学者でもあり薬術にも通じていてとてつもない博識なのだと教えてくれた。そのかわり常識はどこかに置き忘れてきたようだ、とも。
そこを動くなと言われたにも関わらず、クリスはエリスを食堂に連れて行った。大きなどっしりとしたテーブルに十人分の椅子が雑然と並んでいる。クリスはほんの少し眉をしかめながらテーブルの上をざっと片付けて拭き、エリスには椅子を勧めお湯を沸かし始めた。そして腕まくりをすると流しに溜まった食器をとても楽しそうに洗いだした。
「クリスはここが好きだった?」
そっと聞いたら、そうかもしれないですねと優しい笑顔がふり返った。
勝手知ったる戸棚から新しいカップを出し、沸かしたてのお湯でお茶を淹れる。持ってきたバスケットを広げ、食べてしまいましょうと簡易なティータイムを始めた頃・・・
バタン!ドン!というけたたましい建具の音と共にデメリューシュが戻ってきた。
その後ろにはよれよれの上着を着た三人が続き、ぴかぴかの秤と紙束、ピンセットに大量の
薬瓶、巻尺、大きな箱などを持ってなだれ込んできた。
なかなかに騒がしい。
どの顔も瞳がキラキラして大変生き生きとしていらっしゃる。
エリスはそっとデメリューシュにスーを差し出した。
「危険な目には合わせないことと、ひどいことはしないと誓っていただけますか?」
おじいちゃんはこくこくと何度も頷き、素晴らしい笑顔でそっとスーを受け取ると恭しい手つきであちこち触り始めた。
クリスとエリスはそれを横目にバスケットの中身を食べつくした。




