CHAPTER14:隠された過去(2)
――――「お母さん! お母さん!」
まだ声変わりもしていない、小五、小六くらいの少年の声。
「お母さん! あれ・・・お母さん?」
とても陽気な声で叫ぶが、リビングにもキッチンにも母の姿が見当たらない。
「あれ・・・今日は出かけてるのかなぁ」
母は専業主婦で、出勤していることはない。
だとすれば、外で近所のおばさんとお喋りしているのか?
「まあいっか!」
少年はリビングのソファーに座った。
そして、テレビのリモコンを取る。
そのときだった。
「ピンポーン」
「?」
少年はリモコンを置いて、玄関のほうへ向かった。
「はい」
扉を開けた。そこには、とても険しい顔をした隣のおばさんが立っていた。
「涼君、お父さんが大変なことになってるの! 早く病院に行きましょ!」
「え?」
このときの僕は何も知らなかった。
考える暇もなく車に乗せられ、町の中央病院へと向かった。
どうやら父が交通事故に遭ったらしい。
それも、大型トラックにはねられ、重体だったそうだ。
僕はその話を聞いて心配になり、車を降りたとたんに走り出し、
急いで手術室のほうへ向かった。
看護師さんに案内され、僕は手術室の手前まで来た。
そこには、残念そうな顔をする医師と、
顔をおさえて涙を流す母の姿があった。
「いやああああああああああ!!」
あのときの母の叫びは今でも忘れられない。
僕はもう、知らされなくとも何が起こったのか理解できた。
父は死んだ。別れも言わずに。
母はそれ以来、魂が抜けたかのように放心状態になってしまった。
僕がなんとか慰めようと声をかけても、決して返事をすることはなかった。
そして、精神的なショック故か、母は日が経つにつれだんだんと痩せこけていった。
日に日に元気を失っていく母を見て、僕は毎日のように心が痛んだ。
僕が大好きだった母の笑顔も、喜ぶ姿も、頭を撫でる手も、もうなくなってしまっていた。
僕はなんとか母を元気付けようと、必死で考え必死で努力した。
母の笑顔、母の言葉、母の愛情、それが欲しかったために、僕は必死で努力した。
あのころに戻りたい。あの幸せな母の姿を取り戻したい。
そのときの僕の頭の中にはそれしかなかった。
あるとき僕は、数ヶ月前に出した書道作品が入賞していて、学校で賞状を受け取った。
僕は震えるほど喜んだ。これで少しでも母に元気が戻るかもしれないと思うと、
涙がたまるような思いだった。僕は急いで下校し、一目散に家へ向かった。
きっと喜んでくれる。自分の息子が賞状を貰ってきて喜ばない母などいない。
きっと、きっと、またあの笑顔を見せてくれる。
僕は思い切り玄関を開け、真っ先にリビングへと向かった。しかし―――
「おか・・・さん?」
全身に震えが走った。力が抜け、賞状を落とす。
「お母さん! お母さん!」
そこには、血を吐いて倒れる母の姿があった。
僕は慌てて駆け寄った。
「起きてよ! ねえ! お母さん!」
近くには茶色いビンが転がっていた。中はカラッポで、一粒の薬も残っていない。
まさか、これを一気に・・・?
僕は母の身体を揺すり、泣いて叫んだ。
「お母さん! お母さん! おかあさーーーーーーん!!!!」
無駄だった。悲鳴を聞きつけた隣の夫婦がすぐに駆けつけ、
救急車を呼んだが、もう既に手遅れであった。
精神的に追いやられ、耐え切れなくなったのであろう。
母は静かに眠りにつき、二度と息を吹き返さなかったという。
僕は誰もいないリビングの中で、ただ一人ひざをついて呟いた。
「なんで・・・どうして・・・どうしてみんな先に逝っちゃうの?
どうして、一緒にいてくれないの?どうして誉めてくれないの? どうして笑わないの?」
涙が零れ落ちる。
「寂しいよ・・・。ねえ、お母さん・・・。お母さんは、本当にそれで満足だったの?
・・・答えてよ。ねえ!」
寂しかった。胸が押しつぶされそうで、心が病んだ。
どうしてなの?
お母さん。どうしてなの?
寂しいよ。これからどうやって生きていけばいいの?
お母さんのこと、大好きだったんだよ?
お母さんの笑顔を見るだけで、幸せだったんだよ?
お母さんと一緒にいるだけで、満足だったんだよ?
お母さんが死んだとき、とても胸が痛かったんだよ?
お母さん、僕の賞状見てくれた?
喜んでくれた? 誉めてくれた? 笑ってくれた?
お母さんが喜んでくれないんだったら、あんな賞状、ただの紙切れだよ。
お母さん、僕といて幸せだった?
喜んでくれた? 誉めてくれた? 笑ってくれた?
ねえ、お母さん。もう・・・・・・・会えないの?
僕はそれから40度の高熱を出した。
熱は一向に冷める様子もなく、危篤状態だったそうだ。
そのときの記憶は定かではない。
でも目を覚ましたとき、僕は激しい頭痛に見舞われたのを覚えている。
眠っている間、僕はひたすら「お母さん」と叫び続けていたらしい。
熱は冷めた。しかし、僕はその代償として、もう一つの病に侵されてしまった。
それは、相手の心の悲しみを知ることが出来る瞳。
僕はその病にうなされた。見たくないものまで見えてしまう。
とても残酷で深い悲しみが、目を閉じていても映し出される。
僕はその瞳をなんとかコントロールすることに成功した。
それは、何も考えないこと。誰とも話さないことだった。
僕の変化に最初に気付いたのは親友の雄一だった。
いくら話しかけても拒絶し無視をする僕に、雄一は怒鳴り声を上げて叫んだ。
「もっと頼ってくれよ! 俺たち親友だろ!?
どんなときでもいつも一緒だって、そういってたじゃないか!」
その言葉に僕は心を打たれた。
俺たちは親友。そうだ、俺たちは、あのとき約束したじゃないか。
僕は涙を流し、雄一と静かに抱き合った。
ありがとう。
心の痛みが引いていく。とても暖かい気持ちになった。
しかし―――
「うわあああ!! うわああああああああああ!!!」
そのとたん、雄一の過去が映し出された。激しい頭痛が涼を襲う。
瞳が暴走しだしたのだ。目が焼けるように熱い。
――――やめてくれ!
僕は走り出した。
「あ、おい! 待てよ!」
追いかけてくる雄一。
来るな!
頼む!
ついてこないでくれ!
俺は大丈夫だから! 俺は・・・・。
歩道を通過したとき、ちょうど信号が赤になった。
僕は振り向く。しかし、雄一はそれに気付いていない。
「ゆ、雄一! 危ない!」
僕は必死で叫んだ。しかし、次の瞬間雄一の宙に舞う姿だけが目に飛び込んできた。
僕の前で、大切な人が消えていく。
僕は雄一の葬式に出向くことは無かった。
僕のせいだ。今更、あいつに合わせる顔がない。
僕はお母さんの妹、川村由紀に引き取られ、名前も富田から川村へと変更することになった。
しかし、今となってもこの瞳は治らない。
今もまだ、その瞳が見せる悪夢にうなされつづけているのだった。
涼はそれ以来、友達をつくるのが嫌になってしまったんです。
楽しくなる自分が怖かった。
友達なんていらない。
涼は生き地獄という運命にめぐり合ってしまったのです。




