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#09

倉瀬兄弟が去った日は、早朝に畳を日干しのために運び出すと、前日から引き続いて墓地周辺の草刈を行った。美月は畳が上げられた部屋の天井や欄間(らんま)といった部屋の上部の埃を払って回り、虫干しされている畳を硬く絞った雑巾で()いた。墓地周りのしつこい雑草の刈り取りは、その日で一旦区切りが付き、今日は駐車場に戦場が移された。ここもまた周囲の雑草が生い茂り、一部の白線や車止めを隠していたのだ。それに加えて美月たちが初日に通って来た、裏方用の石段の掃除も任された。

墓地周辺に比べると、駐車場付近の雑草は容易くその姿を失い、石段の清掃も困難無く午前中だけで終わった。寺に引き上げた一行は、大量にゆでられた素麺(そうめん)に、これまた大量の細切のきゅうりや玉葱、人参、錦糸卵が添えられたものを主食に、冷しゃぶを胡麻や紫蘇のたれでたらふく詰め込んだ。

午後からは、一番近場の繁華街に買い出しに出掛けることになっていた。八重樫親子が、入院中の住職のお見舞い兼買い出しに行くので、便乗するわけである。特に買わなければならないものはないのだが、何分普段が必要最低限のものにしかお目にかかれない寮暮らしの身である。美月を含む三人は買い物場所がたとえ普通のスーパーであっても、浮き立つ気持ちを抑えられなかった。幸運にも、そこまで移動するための車が、軽自動車とはいえワゴンタイプで最大七人乗れるものだったので、運転手の匡子に加え、高校生四人の同乗者があっても窮屈な思いはせずに済んだ。藤沢は後部座席をその巨体で独り占めし、悠々と、使った。

尊雀(そんじゃく)寺から、一時間と少し国道を走ると、JRの駅付近の一帯に入る。駅そのものはこじんまりとしたもので、駅前に商店街なども無く、ただ乗り合いバスの発着所があるのみだが、駅の側を通る国道沿いには、種々多様な量販店が並んでいる。どこの土地だか分からないと、景観を大切にする層からは不評の風景である。

「買い物終わったあとに病院行くんだけど、その間カラオケにでも行ってる?そんなに時間掛からないとは思うんだけど、暇でしょ。病院で待つのって」

スーパーで車から降りた際に八重樫に問われ、美月たち三人は顔を見合わせ沈黙した。

「…男三人でカラオケ行って楽しいか?」

藤沢の言葉に美月はうなずいた。美月は男だけでカラオケに行く感想を知らないが、自身がどうしてもあの特有の盛り上がりに乗って行けない性質なので、出来れば遠慮したかった。

「カラオケが駄目だと、あとは、図書館?あ、ファミレスもある、一応」

「病院内に待機出来る場所はないのか?」

坊坂が尋ねると、八重樫は少し間を置いてから答えた。

「あるね、喫茶店。中庭もある。でも外だから、暑いよ」

「そこで待ってる」

坊坂が勝手に決めて返答したが、美月も藤沢も異を唱えるつもりはなかった。図書館やファミレスが嫌なのではなく、スーパーに向かうまでの道すがらに病院があったので、病院に出向き、その帰りに一旦美月たちを拾いに戻って、寺に向かう、というのは、二度手間を掛けさせるようで、悪い気がしていたのだ。坊坂の提案を八重樫は受け入れると、母親に告げた。

スーパー内の、色とりどりの文具や、甘味、酸味、塩味、苦味、全てを網羅する菓子類など、財布のひもを(ゆる)める誘惑を振り払い、美月は今回、残り少なくなっていた歯磨き粉を買うに(とど)めた。美月が耐えた誘惑に、坊坂と藤沢はあっさりと乗り、学院内で売っていない色のペンや、新発売の菓子数種を買い込んでいた。買い物かご四台に及んだ匡子の買い出し荷物を運び入れるのを手伝い、少し狭くなった車内で過ごすこと数分、駅周辺から見ると郊外だが、尊雀寺周辺より余程都会的な立地にある病院に到着した。白い、鉄筋コンクリート造りの大きな建物で、入り口から待ち合い場所は二階までの吹き抜けになっていて、明るい。点在する観葉植物と幾色もの敷物とソファで彩られており、空調もしっかり効いていて適温を保っている。しかしそれでも、空気中に漂う薬品臭を消し去ることは出来ていなかった。一見するとホテルのロビーかと錯覚するような様相なのだが、その匂いのせいで、どこか落ち着かないというか、長居したくないという気分にさせてくれる。待ち合い場所で八重樫親子と別れた美月たちは、そのまま中庭に出た。八重樫が言った通り、直射日光が痛いほど突き刺さり、暑いことこの上ない。ただ、その暑さの中でも、この場は病院内で唯一喫煙が許されているため、常に煙をくゆらせる一定数のひとびとがいた。灰皿の置いていないベンチを選び、三人は腰を下ろすと、四方山話をして、八重樫親子を待った。


「お久しぶりです、住職」

尊雀寺の住職、梅浜(めいひん)義継(ぎけい)は、三月末、進学先の寮に移る前に顔を出したきり、四ヶ月ほどご無沙汰していた少年の来訪に、顔をほころばせた。

「いっくん、元気そうだね」

八重樫はうなずいた。数年前に発症して以降、床に付いていることが多く、随分と痩せてしまった義継に、内心心を痛めていたが、おくびにも出さなかった。他者との会話に飢えていたのか、義継は矢継ぎ早に学校はどうだ、友達と仲良くやっているか、といったお定まりの質問を発する。八重樫は学院の友人たちが見たら驚くような神妙さで、義継の質問に律儀に返答していった。

「それで、ですね。今日は少しお話がありまして」

ひとしきり近況報告が続いた後、一瞬空いた間を逃さず、八重樫は改まって切り出した。

「どうしたね」

「わたしのことなのですが、実は、尊雀寺を離れることになりました」

引き継かれた匡子の発言に、義継は沈黙で答えた。

「義継様には本当に長い間お世話になりました。ご退院を待つこと無く去ることになり、申し訳ありません」

匡子の下げた頭を、じっと義継は見つめていたが、ふっ、と息を漏らした。

「…そうか。やはり、そうなったか」

実は夏に入ったばかり頃、尊雀寺の付近に広い土地を持つ地主がお見舞いと称してやって来て、色々と話していった。地主のところのキャンプ場に尊雀寺の人員が移ったことも、副住職の、匡子を初めとする裏方のお手伝いに対しての態度の悪さも話題として入っていた。もっとも副住職の態度については、地主からもそれ以外からも、既に何度か聞かされていて、義継も副住職に度々注意をしていたことで、今更だった。ただ、地主としては、檀家になっている寺の働き手を引き抜いたと思われてはたまらず、副住職への不満から辞めた、という点を強調したかったのである。

「はい。副住職には昨夜伝えました。順序が逆になりましたこと、お許し下さい」

「構いませんよ。今、寺を回してくれているのは彼なのだから」

義継は、匡子から目を離すと、苦い気分で顔を歪め、(うつむ)いた。沈黙が落ちた。少しの間の後、義継はぽつりとつぶやいた。

「申し訳ない」視線は、シーツに向いているが、見ているものは全く別という様子だった。「翠康(すいかん)殿から名指しで頼まれておいて、(まっと)う出来ないとは」

「何をおっしゃいます、今まで過分に良くして下さったではありませんか」

義継は首を振った。

「翠康殿がいなければ、拙僧はとっくに還俗していた」

「…」

「いつも助けられ、頼ってばかりだった。最初で最後、一度だけなのだ、翠康殿が拙僧を頼ってくれたのは。なのに」深く息を吐いた。「なのに、中途半端に終わる」

「わたしの都合なのです」

義継は無言で、再度首を振った。また沈黙が落ちた。病室の外を見舞客のひとりと(おぼ)しき子供が過ぎ、甲高い声で叫んだのが聞こえた。義継は顔を上げた。

「今後は、どうされるつもりかね。拙僧に出来ることは…いや、もう何も出来ないか。ここから出ることさえ、ままならないのだから」

「そのようなことは…そうです」

匡子は自虐気味な義継に慰めの言葉を掛けかけ、急に声を上げた。

「翠康様と住んでいた、あの土地」匡子の目が遠くを眺めた。「これまで機会がありませんでしたが、あの山に一度、様子を見に入りたいと思います」

「ああ、それなら、話しを通しておきますよ」

「お願い致します。前は勝手に入り込んでしまいましたから」

翠康が蟄居(ちっきょ)していた山は、巌礎(ごんそ)宗の所有地だった。今は事実上、放置されている。八重樫親子のために出来ることを見出し、少し気を楽にした義継の様子に安心し、匡子は今後の予定について説明した。盆の終了後、八重樫が寮に戻る前の期間に荷物を運び出す予定だった。転居先は伝手(つて)のある地方都市だ。義継は黙ってうなずいた。


面会を終えた八重樫親子と共に美月たちが寺に戻ったのは、ちょうど一日の一番暑い時間帯は過ぎた頃だった。午後の仕事は、美月は座布団の(つくろ)いとカバー掛け、それ以外の三人は敷地内の草刈りだった。

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