#06
「真面目な話し、母さんを英凌さんの世話係で雇う気、ない?」
昼過ぎの、刻々と気温が一日の最高値を更新していく時刻である。墓地周辺の草刈りはもう少し日が傾くまで一旦休止にされ、今は、この時間でも半ば木陰で、風が通る参道の石段の掃除と、その脇に生えた雑草駆除の最中である。美月も箒と、手すりを拭く雑巾を手に、参戦している。
翠康についての話しを聞き、英凌の爆弾発言があった後、八重樫が押し切って倉瀬兄弟も今日は尊雀寺に泊まることになった。副住職の許可が無く勝手に決めて大丈夫なのかと美月は心配になったが、八重樫曰くただ働きの人手だと言えば何も言わない、とのことだった。そういうわけで倉瀬と英凌も掃除に引っ張り出されていた。英凌は刃物を使わせると危険だと皆が判断したため、美月とともに手すりを磨いている。視線はまたどこかを漂っていたが、手は取り敢えず動かしていた。
倉瀬は、八重樫にそう言われ、納得した表情でうなずいた。
「ああ、そういうこと」
「そう。結婚どうこうは、俺としては本気じゃないよ、さすがに。でも家政婦兼監督ならさ。今どういうひとが英凌さんに付いているのか知らないけど」
「専属で付いているひとはいない。普段は敷地内からは出ないから。今回は本当にイレギュラーなんだよ」
答えると、階段の上、無表情で雑巾を上下させている英凌を見た。
「そうなのか。…お金も絡むことだから、余り無理は言えないけど、母さんはあの手の人間でも全く気にしないし、基本世話好きだから、重宝すると思う。どういうわけか分からないけど気に入ってくれたみたいだし」
「翠康様みたいな、一般的に言って扱いが難しい方でも慕ってくれるひとなら、僕でもアリかなって」
突然、英凌が口を挟んで来て、倉瀬を以外の一同は、驚いて上を見上げた。英凌は無表情で、視線も相変わらずどこかを彷徨ったまま口をきいていた。倉瀬は小さく溜め息を吐いた。
「聞いていないようで、けっこう聞いているんだ」
いつものことらしかった。やはり倉瀬の兄貴だ、と美月は再度納得した。抜けているように見えるが頭は回っている。
「というか、本人の居ないところで話したことも時々知っていたりするから」
「そういうものなのか?あわいのひと、って」
美月は疑問を坊坂に問うた。普段なら八重樫に質問するのだが、八重樫は倉瀬と会話をしている。坊坂は少々困った顔で答えた。
「ひとによる、としか言えないな。特定の『ひとならぬもの』から延々影響を受けてしまっているようなタイプだと、そこから色々な情報を得たりするけど」
「感応能力とか共感能力とはまた別物なんだよな?」
「そう。そういう能力は、送信・受信されているものがきちんとあって成り立つ。相手が何か干渉を仕掛けてくる、その干渉を受け入れてしまう、って関係だ。須賀もそうだろう。だけど、あわいのひとだとなんというか、そういうものがなくて勝手に混乱しているというか…」
「例えば、ひとならぬものAが寝返りを打ったら、その際の空気の動きを感じ取って、振動している!地震だ!とパニックになったり、ひとならぬものBが誰かに怒りを感じたら、その感情が勝手に頭に入って来て自分も目の前の相手に怒り出してしまう、みたいなことが常に起こっている」
結局、美月たちの会話をしっかり聞いていた八重樫が、例え話で纏めてくれた。倉瀬が溜め息混じりに続けた。
「そう、リンも子供の頃はそうだった。いきなり泣き出したり怒り出したり怖がったりしていた。今はもう、下手に露にすると周りが困ることが分かっているからか、反応しないようにしているみたいだけど」
惚けているように見えるのは、何かからの直接の影響の結果ではなく、己の感情や内心を表に出さないように内部で処理している結果らしい。
「君のお母さんを雇うって話しだけど」倉瀬は八重樫に向けて話しを戻した。「取り敢えず父と相談してみる。リンの今後をどうするのか、という話しになってくるから、時間が掛かると思うけど」
「ありがとう」
八重樫は人懐っこい笑みを浮かべると、素直に礼を言った。
「それは良いのだけど、その、うちと、つながりを持っても良いのか?坊坂のところでなくて」
『別に気にしないけど』
やや言いにくそうに問い掛けた倉瀬に、坊坂と八重樫の声がそろってしまった。三者とも目を丸くした。坊坂と八重樫は、期せずして同じ台詞を言ったことに対してだが、倉瀬は内容に対しての驚きだった。倉瀬にしてみれば、自分の派閥の一員が、他所の派閥の領袖に母親の就職斡旋を頼んでいるように見えて、気を使ったのだろう。が、八重樫は元々その辺りを気に掛けていないし、坊坂は逆にそういうことに無関心だからこそ八重樫と友人付き合いをしていると言える。
「そうそう、母さんが倉瀬のところで働き始めても、俺はあんたにぺこぺこしたりはしないから。そこは覚悟しておいて」八重樫はにやりと笑った。「そう、母さんと英凌さんが結婚しちゃったらまた別だけど。そうなると何だろう、叔父と甥になるのか?同い年の」
「あ、そうだ、レイさんにお礼言わなきゃ」
突如、英凌が声を上げた。今度は倉瀬も含めて、一同が英凌を見た。英凌は、手すりを拭きつつ、先程より数段下にまで下って来ていた。
「急に何だ」
倉瀬が尋ねると、英凌は一人うなずいた。
「レイさんが、言ってたから」
「何を」
「うん。あのね、お父さんのところに、巌礎宗のキジャクさんって人が内密で会いに来ていたんだって。翠康のところのひとが来るなんてなあ、って、僕やチュウくんなら、翠康の話しを聞きに行っても、問題視されないから、いいなあ、って」
『え?』
倉瀬と坊坂は一様に驚き、顔を見合わせた。
「キジャクじゃなくて慈寂、ね」
八重樫が訂正する。倉瀬と坊坂は、今度は八重樫を同時に見やった。
「あれ、八重樫のところって、除霊やっているようなところとは、距離を置いているんじゃなかったっけ?」
不思議に思った美月が尋ねると八重樫はからからと笑った。
「今年に入って大僧正が代替わりしたんだけどね、この方が進歩派とか改革派とかそういう形容をされる御方。それでまあ、現在いろいろなところにひとを派遣中。慈寂様はその大僧正の、腹心」
解説され、坊坂は納得した表情になった。
「だから、翠康のことを倉瀬に話したのか」
「いや、一応極秘に進められている件だから、副住職とかは知らない。でもそもそも副住職は、坊坂や倉瀬の実家の寺名言っても、除霊やっているところだって分からないからいいんだよ」
「副住職が知らないことを何でお前が知ってるんだよ」
もともと口数が多くないが、参道の掃除に掛かって以降、交わされる会話が業界の裏話めいたものになってしまっているがために、更に無口になっていた藤沢が、久方ぶりに口を開いた。
「企業秘密。でも英凌さんじゃないけど、以外と知られているものだよ。下のコンビニのおばちゃんが、副住職と一緒に買い物に来てた女の子が、ピアスにドレスシャツの男とタクシーの中でいちゃついていたから、副住職が美人局にあってるんじゃないかとか俺にご注進してくれるくらいだし」
八重樫の言葉を聞いて、美月は一度も顔を合わせていないにも関わらず、副住職が哀れに感じた。