#36
それまでに比べ、やや跳ね飛んだ際の勢いが衰えはしたものの、未だ黒い柱状のものは縦横無尽に工場内のあちこちへと動き回っていた。対処を任された坊坂、八重樫、藤沢の三者は、一瞬で作戦を決めた。
「俺が墜とす」
八重樫の言葉に、二人はうなずいた。空中にある黒い柱状のものを八重樫が墜とし、落下したところを坊坂と藤沢で叩く、というものである。黒い柱状のものが地にない状態では、大きく痛手を与えるような攻撃が不可能なのである。坊坂には炎を掛けるという遠距離攻撃の手段もあるのだが、黒い柱状のものは動きが速過ぎて目標として定まりにくい。それくらいなら、地に着く瞬間を狙って、一気に攻め立てた方が効率が良かった。
黒い柱状のものが着地した。放置された機械の一つのすぐ傍である。同時に全身を振るって、前に仕掛けてきたのとの同じように機械を跳ね飛ばした。転がるものの体液が無いため、地面との摩擦で速度は落ちて行ったが、真っ直ぐに、蜷局を巻くものへの攻撃を掛けている、千滝宗の除霊担当者の一人に向かって行った。藤沢が飛び出し、機械に体当たりを仕掛けて進路を変える。坊坂は一直線に黒い柱状のものに向かって駆け、例の桃の木で出来た錫を振るった。黒い柱状のものは、繰り出された錫の突きを、身を後方に反らせ、ブリッジ状になることで躱した。そのまま先に地面に着いていた側を跳ね上げ、坊坂の腕を打ち、錫を手放せようとした。が、読まれていた。黒い柱状のものが触れると同時に、坊坂は腕と錫に炎を掛けた。炎は元々『ひとならぬもの』のみ焼くもので、ひとの身には影響がない。錫が持っていた穢れを打ち払う力と相俟って、自らそこに身を押し当てる形になった黒い柱状のものは、走った痛みに耐えきれず、地面を転がり後退した。坊坂は坊坂で、錫を握っていた腕の肘の関節が砕かれていたが、すぐに治癒された。
後退したものの、すぐに起き上がった黒い柱状のもの目がけて、手の空いた藤沢が突っ込んできた。ちょうどその手の動きが必要なスポーツで使うタックル練習用の器具にぶつかって行くような形である。しかし、一応普段より力は増しているものの、高度な術の連続使用が可能という現状の恩恵を一番受けていない藤沢である。黒い柱状のものは、藤沢をがっぷりと受け止め、弾き跳ばし、大きく跳んで、追撃を仕掛けにきた坊坂から逃れた。そして、空中で、時機を合わせて跳び上がった八重樫の蹴りを受けた。身の一部が弾けると共に、体勢が崩されて、黒い柱状のものは地面に墜ちた。そこに再び、藤沢と坊坂が駆け寄った。
しばしの時を経て、蜷局を巻くものは石像のように固まり、更に中から爆ぜたように、その身を崩した。動かないようにされていただけだった、転がるものにも同じ処置が施され、それまで丸みを帯びていた灰褐色のビニールカバーが、地面にくたりと落ちた。務めを果たした千滝宗の面々は、ほっと息を吐いた。だが、まだ全てが片付いたわけではない。生気のない顔色に、口を半開きにして座り込んでいる寧礼の前に、英慎は立った。倉瀬は、同級生たちの援護に向かった。
「どうなさるおつもりですか?」
抵抗する気力も無い寧礼を示して、女性の除霊担当者が英慎に問い掛けた。
「警察に届けぬわけにはいかぬな。その後は…和泉さんの判断による」
寧礼と志保の実母の名を挙げて、答えた。誘拐の件に関して警察が動いていてしまっているので、一切を内々に収めることは不可能だった。ただ、計四名の千滝宗の殺害についての処遇は、死に方がどう見ても現実的ではないことを鑑みて、表向きは隠し、宗派の有力者でもある二者の母親に任せることが、一番角が立たないと思われた。寧礼は腹を痛めた息子だが、被害者の一人は同じく娘なのである。寛容に終わらせられるとは思えなかった。英慎は、幼馴染みでもある和泉に、それを伝えることを思い、居たたまれない気持ちになったが、美月たちが出てきた事務所を調べていた二十代の男が、更に三体の死体があることを知らせてきて、更に暗澹たる気持ちになった。
「英凌」暗い気分を振り払い、英慎は志保を抱えて出入り口近くにやってきた英凌に声を掛けた。「昂美童子は女鬼ではないな」
英凌は、感情の読めない表情で、英慎の顔を見つめた。
「あれはそれこそ御前なんてものじゃない、御前を使うような神格のものだ。お前の手に負えると思うのか?」
「手に負える負えないはとにかく、返品は受け付けません」
突然近くで聞こえた声に、英慎は、表には出さなかったが内心かなり驚きつつ、いつの間にか傍に来ていた八重樫を見た。隣に倉瀬もいた。工場の中央付近に目をやると、白い炎に包まれた、黒っぽいものが見え、傍らに坊坂がいる。ほぼ終わりかけていた。
「世話好きなのは確かです。短気ですが、誰か世話を焼く対象がいる間は、キレて周りを皆殺しにするようなことはありません」
『…』
続けて述べられた八重樫の微妙な請け合いに、一同は沈黙した。
「郁美、聞こえてる。あなたねえ、わたしが一体何年の間、人の仔の振りをしていたと思っているの。今更他人に暴言の百や千、吐かれたところで、短気を起こして暴力を振るったりしません。あなたじゃあるまいし」
昂美童子が、匡子の声で、八重樫の頭の中に直接話し掛けてきた。
「どうだか、じいちゃん並に短気なくせに」
「郁太郎と同列にするな!」
八重樫が意見すると、昂美童子は一瞬で激高した。
「同列だろ。初めに遭遇したとき、二人共に短気だったから、あんな大立ち回りを演じる羽目になったんだろうが」
「…郁太郎の記憶など一部でも与えるんじゃ無かった」
昂美童子は愚痴めいてつぶやいた。他人が聞くことの無い会話であったが、もし誰かが聞いていたら断言するだろう。翠康がこの場にいたとしたら、昂美童子や八重樫ほど短気じゃないと反論する、と。
「短気なひと…ひとじゃないけど…にとって、英凌の言動は、もの凄くイライラするものだと思うんだが」
しばし落ちた沈黙を裂いて、倉瀬が問い掛けた。
「翠康のほうが、余程酷い言動の主じゃぞ」
昂美童子は、今度は全体に伝えてきた。
「そうなのですか?」
英慎に問い返され、昂美童子は淡々と答えた。
「あれは、強過ぎた。人の仔の身で、あれほどまでになれるのかと、吾れを疑わせるほどに。故に、人の仔としては生き難かったのか、することも言うことも無茶苦茶じゃった。色々と口伝てに語られておるが、それより遥かに峻烈ぞ。それに比べれば、それは単に道に感応するだけのものじゃ」
「道?」
英慎と倉瀬が英凌を見やった。昂美童子は続けた。
「道、さな。この世とあの世、その他の世、或いは人の仔と人の仔の間、ひとならぬものの間で繋がっている道、道はどこにでもある。それにいちいち繋がってしまう。それだけじゃ。それにどの道、一度貰うと決めたからの、取消は受け付けぬ」
昂美童子はからからと楽しそうに笑った。




