#35
黒い輪は消された。黒い子供のような姿のものは塵に還った。転がるものは完全に動きを止めている。霧状のものは燃やし尽くされて跡形も無い。工場の壁の内側には蜷局を巻いたものが鎮座し、黒い柱状のものはあちこちに跳び回ってはいるが、それらも調伏されるのは時間の問題に思えた。余りに容易く仲間たちが掃討されていく様を、膝から下が固定されてしまい動けない漆嘉遍は、ただ呆然と眺めることしか出来なかった。
「何故…何故…」
独り言、というより声にもなってい思考だったが、聞き留めた昂美童子が笑い出した。
「言うたであろう、汝れが言、そのままじゃ」
漆嘉遍の思考に、直接囁きかけてきた。漆嘉遍は力なくつぶやいた。
「あれが、あの者が、人の仔であると思っていたからこその言いです。人の仔でないと知っておれば、食らうなどと、とても…」
「…汝れ、どこまで狂うておる。あれが人の仔以外に見えるのか?養い子と言うたろう。あれの生母は吾が棲み処で勝手に逝きおって、あれはまだ生きておったから拾った、拾い子じゃ」
「なれば、何故貴殿の身を明かしてくれなかったのです。私が問うたときに教えて下さえすれば」
もはや懇願と言って良い口調だった。ただ、願ったとしてもどうしようもない。全ては既に過ぎ去っていた。昂美童子は呆れた様子で応じた。
「阿呆が。わざわざ人の仔の振りをしておるのに、明かすか。それを抜かしても、汝れが嗾けたとは言え、人の仔の権力争いになっておるのに、関わることなぞ御免じゃ」
漆嘉遍は更に言い募ろうとしたが、昂美童子が遮った。
「汝れこそ、何故、輩の変わり様をそれほど嘆くのじゃ」
心底不思議そうに尋ねられ、漆嘉遍は反射的に怒鳴り上げた。
「仲間が、あのような、意思の通じないものなったのだぞ!何もかも忘れ去っている。私のことも、我らがどのように、御前を務め、戦い、護ったか、全て忘れておるのだぞ!哀しまない筈がなかろうが!」
「その果てに、人里にまで引き連れてきたのかえ?」
「そうさ。元いた場所では、皆、我らを討とうとする。人の仔であれば容易に我らに手出しは出来ぬ。それに、元に戻す法があると言うなら、どこにだって巡り行く」
昂美童子は再度不思議そうにつぶやいた。
「分からぬなあ。輩は忘れたとて、汝れは覚えておるのだろう?何故それで良しとせなんだ。さすればこのような場所で人の仔に狩られることもなかったであろうに」
その狩りを命じたのは昂美童子自身である。己で命令しておいて、この言い様に、漆嘉遍は怒りで身を震わせた。
「吾れは、吾が朋輩が、たとえ吾れを忘れようとも、少しでも長く、安寧に過ごしてくれれば良いと思うたがな。叶わなんだが」
漆嘉遍の憤怒の情など毛ほども気にかけず、昂美童子は独り言ちた。と、無感動に、つぶやいた。
「終まいじゃ」
その言葉に、漆嘉遍は工場内に注意を戻す。正に黒い柱状のものが討たれるところだった。蜷局を巻いたものは既に消失していた。




