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#29

志保の叫び声と同時に、廃工場内の空気が一変したことを、全員が感じ取った。今までは流れていた空気が、ぴたりと動きを止め、(よど)んだのが肌で感じられた。同時に、ほぼ全員の口から、うめきとも悲鳴とも、或いは他者に対しての警告ともとれる声が漏れた。工場の四方の壁の前の床が、壁をなぞるように盛り上がり、その色を灰褐色から黒く変化させて行った。質感が無機物的なそれから、有機物的に変わるが、実際は有機物ではない。工場の内壁に沿って蜷局(とぐろ)を巻いた『ひとならぬもの』だった。長さはとにかく高さは向こう脛ほどまでしかないが、それでも自分たちがその黒いものに囲まれたことに、一同は動揺した。

志保は工場のほぼ中心にいた。志保を中心として、捜索や探査などの能力を持つ人員三名と、除霊を担当する人員二名、そして記録係と英慎(えいしん)が円を描くように並んでいた。一行は、大まかなところ工場に入ったときの順そのままで奥に進んでいたので、入って来た出入り口から一番遠くにいたのは、先陣を切った体格の良い二十代の二人である。近くに車両用の出入り口と、その前に放置されている機械類がある。逆に出入り口に近い方には、最後に入った除霊担当一名と、もう一人これまた筋骨隆々とした二十代の男がいて、この二人と志保たちとの間に、高校生たちと英凌(えいりん)がひとかたまりになっていた。

出入り口側から見ると奥に当たる工場の壁の上、大きく取られた窓の硝子が、異音を立てた。(げん)か何かのように引っ張っられたり、弾いたりされているような音で、次いで窓硝子から染み出てくるように黒い柱状のものが現れた。窓枠に乗っていたが、不意に全身を大きくしならせると、地面に飛び降りた。妙に質量を感じさせる動きではあったが、着地したときの衝撃はなかった。

それの着地とほぼ同時、厚いビニールシートを被せられた機械の間から、ゴム毬をいくつもくっつけたような姿の黒いものが転がり出て来た。球体ではないがため意図しない方向に進むのか、ぎこちない動きであり、接触した地面には薄い痕が残り、鼻に突く臭気が発せられていた。

出入り口から少し入ったところ、ちょうど所長室の表示が(かか)げられている扉の前辺りに、誰かの影がそのまま三次元化されていくかのように、地面から黒一色の人形のような黒いものが現れ出て来た。ただ姿を現しきったそれには、腕に当たる部分が無く、口に当たる部分が白い空洞になっていて、挨拶をするかのように、その部分から泡が発生するような音をひときわ大きく立ててみせた。

一同は息を呑んだ。それぞれ手近な黒いものたちに対して臨戦態勢を取る。その中、やおら、かちゃりという軽い音が響いた。注意は黒いものたちに向けたまま、皆がその音の方を横目で見やった。唯一志保だけが真っ直ぐにそちらに顔を向けた。黒い人型の異形のその後ろ、応接室、と()げかけた合成樹脂の板で表示されていている扉が開いていた。その扉の前に立つ人物に向けて、志保は叫んだ。

「兄さん!」

寧礼は、にっ、と笑った。

「兄さん、これは、こいつら、何?何をして…」

志保の言葉は、ぽん、と、何かが()ぜる音で(さえぎ)られた。次いで液体が地に降り注ぐ、ぱしゃぱしゃという音が響いた。志保の頭部があった場所から、黒っぽい霧状のものがふわりと飛び去った。頭部を失った志保が、ゆっくりと崩れ落ちた。

「…ぃいいい!」

一拍置いて悲鳴が上がった。傍にいたため、志保の血と脳漿が全身に降り掛かり、更に首から下にもたれ掛かれた記録係だった。現実的ではない光景と、現実的過ぎる悲鳴に、一同の大半が半ば恐慌を起こした。


さすがに英慎は冷静だった。志保を頭上から襲って頭部を破裂させた霧状のものは、続いて女性の除霊担当者を襲ったが、英慎が鋭い呼気を吐きつつ、裏拳で一閃すると、身を震わせたのごとき反応をすると、素早く上昇して、拳が届かない位置にまで退却した。

「違う…死霊じゃない。もっと大きい…強い。…何でこんなものが…?」

女性の除霊担当者は、震える声でつぶやきつつ、覚束(おぼつか)ないながらも何とか数珠を懐から取り出すと、印を組み、経文を唱え始めた。


捜索・探査担当者の一人はただ呆然と、志保から離れていく霧状のものを見やっていた。一旦上昇した後、それが再度下降して、同僚の女性除霊担当者を襲いかけた辺りで、正気に戻った。しかし、遅かった。霧状のものに気を取られ、警戒が(おろそ)かになっていた頭上から、無音で急襲した大きな黒い輪がその首を引っ掛けた。息が詰まった音と共に、その捜索・探査担当者の体は宙に浮き上がった。黒い輪はそのまま身をひと(ねじ)りしてもがく捜索・探査担当者の首を絞めると同時に、上下に折り曲げるようにして、輪の逆の端、上部を捜索・探査担当者のばたつかせる足首を、下から(すく)い取った。首と足首、両方を縛められたわけである。黒い輪はそのまま少し上昇した。すぐ傍にいた別の捜索・探査担当者と、除霊担当者は、宙に浮いた同僚の体を必死で取り戻そうとしたが、叶わなかった。黒い輪は先程より強く身を(ひね)り、それにつられて捜索・探査担当者の首と足首も()じ切れて、落ちた。


面倒臭げに首から上と足首から先の無い肉体を投げ出し、今度は自分たちに向かって来た黒い輪を、必死で(かわ)し、除霊担当者の一人は、和紙に墨で文字が書かれた札を輪に投げつけた。それなりの力を持つ死霊であっても効果が高い筈の札だったが、黒い輪には効いているようには見えなかった。愕然とする中、同じく黒い輪の攻撃を(かわ)していた、もう一人の捜索・探査担当者が黒い輪に捕まった。一行の中で一番の高齢で、運動能力が低かった。黒い輪は工場の天井すぐにまで一気に上昇してから、持ち上げていたその身体を解放した。

「おかしい…おかしい…何故!?このような力を持つものを制御出来る筈が無い!」

胴体を掴まれた捜索・探査担当者の、上げた悲痛な叫びと姿が小さくなっていくのを見上げつつ、札の無力を思い知らされた除霊担当者は答える者の無い疑問を叫んだ。ほぼ同時に落下してきた捜索・探査担当者の体との衝突は、何とか回避した。


飛び降りて来た黒い柱状のものは、不意に全身をくねらせたかと思うと、一跳びで一人の二十代の男に近づくと、そのまま男に向けてその身を振り抜いて来た。近づくときの素早さに比べて、その一撃は速いとは言えなかったので、男は一歩後退することで、避けた。黒い柱状のものは、攻撃が(かわ)されたと見るや、全身を縮こめ、伸ばす反動で再び大きく跳躍し、機械の向こう側に降り立った。男も追撃はしなかった。代わりに、機械の間から転がってきたもの相手に、竹刀一本で相対しているもう一人の二十代の男の援護に回った。

「気をつけろ!そいつの体は…」

竹刀を持つ男の忠告が届くより早く、男は縦横無尽に転がっていたそれを、進行方向の横手から靴の裏で蹴った。途端、靴が滑った。蹴りを入れた男は、転倒だけは避けたが、たたら踏み、驚きで一瞬動きが止まった。そこに標的を竹刀を持つ男から変更したらしき、転がるものが向かって来た。間一髪で避けたが、避けると同時に、床を高速で滑ってきた機械に跳ね飛ばされた。一瞬遅れて、機械が滑ってきた際に起こした風切り音が聞こえた。跳ね飛ばされた男は幸い骨にまで影響がなかったらしく、すぐに身を起こしたが、男とぶつかったことで均衡を崩し、進行方向を変えた機械が、竹刀を持つ男と衝突していた。機械は倒れ、竹刀を持つ男は、足を押し潰されていた。地面に倒れ、身動きが取れない、その顔面目がけて、黒い柱状のものが跳ね飛ばした機械がもう一台、摩擦を減らす転がるものの体液に乗って滑ってきた。今度は頭部に激突した。


腕の無い、黒いひとのような姿のものは、身を低くして突進して来た。見事な体格の、二十代の男は真っ正面からそれを受け止めた。やや後退(あとず)ったが、突進を止めることには成功した。動きの止まったそれに向け、除霊担当者が『ひとならぬもの』を退ける文言をつぶやきつつ、取り出した硝子瓶の水を掛けた。大概の死霊であればたとえ凶暴化していても効力がある筈の術だったが、全く効いた様子が無かった。と、黒いひとのような姿のものは、全身を使って、二十代の男の振りほどき、投げ飛ばした。投げ飛ばされた二十代の男は地面に転がって、衝撃を緩和させた。黒いひとのような姿のものは自由になるや、今度は除霊担当者に向かって突撃した。除霊担当者は()けずに受け止め、吹き飛ばされた。だが、その身を(よじ)って苦痛を示したのは、黒いひとのような姿のものの方だった。吹き飛ばされた除霊担当者の手には懐剣が握られていた。先程の水を浸していたそれに、突っ込んだ形になった黒いひとのような姿のものは、無傷ではいられなかったらしい。ただ、すぐに気を取り直したかのように、再度、身を起こしかけていた除霊担当者に突進した。速度の付いた頭突きを頭に受け、床に倒され、ほとんど気を失いかけた除霊担当者に馬乗りになると、黒いひとのような姿のものは、懐剣を握っている側の手の、手首と肘の間を、白い空洞のような口で噛み付いた。食い付かれた部分が消失し、懐剣が落ちた。そこで体勢を立て直していた二十代の男が、黒いひとのような姿のものの背に向けて、己も持っていてた懐剣を突き立てた。もっとも刃物だけでは痛手は与えられず、黒いひとのような姿のものに、あっさりと振り飛ばされた。しかし、その一瞬だけ、注意がその男に向いた。腕が消失した痛みで却って気が付いていた除霊担当者は失ったのとは逆の手で、和紙に文字の書かれた札を、たった今、己の利き腕を食い千切った口に向けて押し込んだ。黒いひとのようなものは、再度身を(よじ)らせた。しかし除霊担当者も今度こそ気を失った。口に押し込んだ手は、手首の先がなくなっていた。

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