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#27

「須賀くん!」

掛けられた声に、はっとして美月は目を開けた。体のあちこちに痛みが走る。思わず挙げた手が(くう)彷徨(さまよ)う。その手がしっかと取られ、温かい手の平で包み込まれた。声が匡子のものだと気付くと同時に、美月は同調が解けたことを理解した。

「大丈夫?」

心配そうに掛けられた声に、美月は問題ないことを伝えようとしたが、発せられたのは(しわが)れたうめき声だけだった。喉がからからに乾いていて、声になっていない。美月の様子に気付いたのか、匡子が固く捕まえていた手を開くと、美月の手にペットボトルを握らせてくれた。合成樹脂の無機質な感触が、逆にこれが現実なのだと、もう一段強く、知らしめてくれた。

「懐中電灯、点かないんですか?」

上半身を起こし、受け取った未開封のペットボトルを開け、一気に飲んで、声が出るようになるなり、尋ねた。水のペットボトルだったのだが、部屋が真っ暗なので、中身を確認すること無く(むさぼ)っていた。

「いえ、そうではなく…」

匡子は言葉を濁した。意識の混濁(こんだく)から完全に覚め、気持ちの落ち着いた美月は、そのときはっきりと部屋の中に充満する臭いに気が付いた。意識を失う前は、長い間使用されていない建物が持つ、埃と(かび)の臭いが主だったが、今は、濃い血の臭いが漂っている。

「怪我をしているのですか?血の臭いがします」

水を飲みつつ体中の痛みの原因を探っていたので、美月自身は、投げ飛ばされたときに出来た打ち身と擦り傷だけしかないことは分かっていたし、既に治癒済みである。血の臭いの発生源は別にあった。

「いえ、わたしは…その、明かりを点けても良いのですが、見ないほうが良いというか、見ると気分が悪くなるものがあるので」

言い淀む匡子に、美月は何があるのかを察した。察せざるを得なかった。

「血の臭いで想像が付きます。確認しておきたいので、明かりを貸してくれませんか?」

匡子は落ち着いているようだが、見たくはないのだろうと思い、そう言った。匡子は無言でランタン型の懐中電灯を(とも)すと、美月に渡した。美月が懐中電灯を掲げると、部屋全体が(うっす)らと浮かび上がり、意識を失う前には無かったものを照らし出した。

美月は、最初にこの部屋で目が覚めたときと同じ、合成皮革のソファの上にいた。その位置からでもはっきりと、扉の前に置かれた台車と、その上に折り重なっている、背広と作業着を付属させた大きな肉塊三つと、床に流れ落ちて、もうほぼ固まり尽くしている血溜まりと、その中に拾い忘れたかのような手首が落ちているのが見て取れた。手首に装着されたままの腕時計の文字盤が、懐中電灯の光を反射させて、きらりと光った。

「実行犯ですよね、こいつら」

美月は返答を求めていたわけではなかったが、匡子はうなずいた。

「あなたが気を失ってしまったすぐ後、あなたを投げ飛ばしたあの男も気分が悪くなったようで、ふらふらと出て行ったんです。それからしばらくして、もうひとりの茶髪の男が来て、置いて行きました」

匡子が、扉側に背を向け美月の方を向いたまま、説明した。金をせびった、などと言っていた気がするので、仲間割れの果てなのだろうが、あの、特に体格的に優れていたわけでもない男が、荒事に慣れていそうな大の男三人相手にどう立ち回ったのかと、美月はむしろ感心した。

「ということは、今、あの茶髪二人組以外、誘拐犯はいないということなのか」

美月はつぶやきつつ考え込んだ。

「そうかもしれません。でも、部屋から出られないので、どうしようもないかと」

「出ようとすると、部屋が歪むんでしたっけ。窓も?」

窓をあえて確認したのは、扉だと死体を越えて行くという勇気が必要になるためである。匡子はうなずいた。

「近づいただけで、めまいが起こったみたいになるんですよ。あ、そうだ」

匡子が突然声を上げると、ポケットから四角い物体を取り出した。美月は、金属の光沢を持つそれが、坊坂のスマートフォンだということに一拍置いて気が付いた。

「あなたをここまで運んだ時に、落ちたんです。使い方が分からなくて。ひょっとして、外に掛かりますか?」

匡子が気を失った美月をソファまで移動させてくれたときに、ポケットから滑り落ちたらしい。美月は液晶画面に触れ、まず正常に動いていることに安堵した。もし壊れていたら、弁償出来る金額ではないかもしれない。坊坂から教えて貰っている暗証番号でロックを解除して、柴犬の写真のトップ画面を表示させる。予想はしていたが、圏外だった。

「駄目ですね。圏外」

「やっぱり、そうですか。いえ、部屋が歪むこともそうですけど、おかしいんですよね。外が静かすぎると思いませんか?窓があるということは地下ではないのでしょうけれど、街中だったら車の音とか、山奥であれば、樹々のざわめきとか、聞こえてくると思うんです。それなのに、ここだけ隔絶されたみたいに静かで」

「確かに」

美月は短く同意した。恐らく何かの術が(ほどこ)されているのだと思うが、美月には対処方法が分からなかった。逆に『ひとならぬもの』が関わっていながら、美月たちを連れ去るところのみ完全な人力でなされたらしいことや、そもそも昂美(あび)童子について知りたいのなら、尊雀(そんじゃく)寺に直接出向けば良いだけなのに何故しなかったのかと、不思議に思えた。もっともそれよりも今はこれからどうすれば良いのかを考えなければならないのだが。

美月は、とりあえずソファと事務机を移動させて、ソファから扉の前の死体群が見えないようにしよう、と考えつつ、何の気無しに再度スマートフォンの画面を見て、驚いた。

「…日付変わってる」

「ええ、長く気を失っていましたから。ひょっとして、お腹が空きました?」

乾パンが差し出された。美月は今更ながら手にしているペットボトルが、防災備蓄用の水だったことに気が付いた。どちらも防災用品入れの中にあったらしい。水は保存期限が過ぎる一歩手前だったが、過ぎていても飲んだだろう。そして、この状況下にも関わらず、二十四時間近く何も食べていなかった美月は、食物を見るなり空腹を覚えた。次の行動が決まった。乾パンの封を開けて(かじ)りつく。

「みんな心配しているだろうな…」

(かじ)りつつ、つい、独り言が出てしまった。匡子が申し訳なさそうに、体を縮こませた。

「本当に、申し訳ないです。巻き込んでしまって」

「八重樫さんが悪いわけではないです。…それにしても、八重樫さん、落ち着いていますね」

美月は慌てて言葉を補足して、強引に話題を変えた。実際問題として、いきなり拉致監禁、しかも誘拐犯の死体と同室、という状況で、露ほども取り乱さないでいられるのは、なかなか難しいことだと思えた。匡子は苦笑した。

「長く生きているとね、大抵のことには驚かなくなるんです」言うと、美月に問うた。「あなたもね、落ち着いているというか、少しも怖がっていませんよね」

「そうですね…」

確かにそうだ、と美月は遅まきながら自覚した。漆嘉遍(しっかへん)と同調して足を削られたときはとにかく、今のこの状況は少しも怖いとは感じられなかった。単に色々連続で起こり過ぎて、許容量を突破したとか、感覚が麻痺しているのかもしれない。だが、それよりも。

「今、毎日が、(すっご)く、楽しいんですよね」

一応、匡子に話し掛ける(てい)は取っていたが半ば独白だった。

「だから、ですね。怖くないの。おかしいと思われるかも知れませんけれど」

美月の顔に笑みが浮かんだ。

「今がね、どんなに楽しくても、ずっとは続かない。高校生活は三年だけ。わたしの場合、それより早く終わるかも。そのときにはきっと他者を傷付けている。だったら、一番楽しいときに、どうしようもない強大な力で断ち切られてしまうのも、それはそれで、アリかな、って」

「あなたは…」匡子は一旦言葉に詰まって言い直した。「あなたは、まだ若いのに、随分と悟ったことを言うのですねえ」

自分自身でそう思うので、美月は苦笑した。匡子は美月を真っ直ぐに見ながら、言葉を続けた。

「でもね、ほら、先人の言にもあるでしょう。人間の哲学の、思いも及ばぬことがあるっ、て。あなたが思っているより、世の中には沢山の驚きが満ちていますよ。あなたの年齢でいろいろと諦めてしまうには、まだ早過ぎます」

真顔で(さと)された。美月は苦笑を微笑に変えた。

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