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#23

いつも平静で、自分の父親以外に物怖じすることなどない甥っ子が、萎縮(いしゅく)しているように見える姿に、倉瀬志保はこんな状況下にあるにも関わらず、(かす)かに笑みがこぼれるのを感じた。昨日、突然、寧礼(ねいれい)が誰かを誘拐したらしいと聞かされたとき以降こわばり続けていた頬が、初めて緩んだ瞬間だった。

二十も歳が離れていることから察せられるように、今、千滝(せんりょう)宗の代表者となっている長兄と、同じく宗派内でそれなりの役職を務めている次兄の二人と、寧礼、志保の二人とは母親が違う。志保たちの実母は籠蔦(ろうちょう)事件で殉死した妙泉(みょうせん)の姉の孫で、千滝宗内では無条件に(うやま)われる立場にあり、英慎(えいしん)たちとの関係も悪くない。なので母が違うと言っても、特段何か酷い扱いを受けたということはないのだが、寧礼は気にしているのか宗派から常に距離を置いていた。実母とも余り打ち解けていないので、寧礼が十代半ばの頃からずっと、この三番目の兄と何かやり取りが必要になるときは志保が窓口になっていた。先日、珍しく実家に顔を出して、甥っ子たちと何か話していた姿は見ていたが、よもやそれがこのような事案につながるとは思っても見なかった。志保は真意の知れない行動を取る寧礼を思うと、苛立ちが湧き上がるのを感じた。


倉瀬自身、自分の言が暴論だとは分かっていた。何せ加害者の身内が、内々に処理をしたいから騒がないでくれ、と言っているのである。すぐに手の出る八重樫が、頭に血を上らせ襲いかかってくる可能性を考え、警戒していたにも関わらず、簡単に提案を受け入れたのを見て、倉瀬は逆に不信感が増大した。何を考えているのかと問い詰めたい気分だったが、こちらの言い分を聞き入れてもらっておいてそのような事を言い出せるわけもなく、ただ、もの言いたげな雰囲気を漂わせていた。少しの間、中庭に居心地の悪い空気が満ちた。それが解消されたのは、中庭と病院の建物を仕切る硝子戸が勢いよく開いて、英慎が姿を見せたからだった。倉瀬は表情を変えなかったが、心底安堵したのが志保には分かった。英慎と、八重樫、坊坂、藤沢が改めて挨拶を交わす。倉瀬は八重樫と坊坂がこちらの意を汲み取ってくれたことを報告した。

「納得して下さって、有り難い」

渋い、バリトンの声で英慎は礼を言った。

「今日、いつ頃、その廃工場に向かわれるのですか?」

八重樫が尋ねると、英慎はすぐに答えた。

「夕方、四時過ぎくらいになる予定です。少し遠方の者もいて」

「どこに集まれば良いのですか?」

続いて、ごく何気ない様子で発せられた問い掛けに、英慎は黙った。

「…それは、つまり、君も同行するつもりだと?」

「何か不都合でもありますか?」

ややあって発せられた英慎の言葉は疑問系であったが、口調は確認だった。八重樫は表情一つ変えずに言い返した。志保は驚きの余りまじまじと小柄な少年を見てしまったが、倉瀬はむしろ納得した表情になった。初めから同行するつもりであればこそのあっさりとした態度だったのである。英慎は八重樫以上に表情を変えなかったが、明らかに上手く拒否する手段を考えていいた。

「八重樫が行くなら、俺も行きます」

藤沢が、ここぞとばかりに言い切った。志保の視線がそちらに移った。

「僕も」

志保だけでなく、一同の視線が声の主に集中した。英凌(えいりん)だった。英慎が目を丸くしている。数拍置いて英慎はわざとらしく咳払いをしてから口を開いた。

「英凌、お前は邪魔にしかならない。申し訳ない、八重樫くん、藤沢くん。息子の友人を危険に(さら)すわけにはいかない。調査であっても何が起こるか分からないのだ」

さすがに息子には厳しい態度だった。八重樫と藤沢に対しては逃げを打っている。危険性など皆承知の上で連れて行けと言っているのだ。

「そういえば」突然、坊坂が切り出した。「わたしから目を離して良いのですか?」

『は?』

「そちらの皆さんが廃工場に行っている間に、実家と連絡を取って、何かやらかす可能性がありますよ。千滝宗のお偉方の身内が誘拐事件を起こしたと、方々(ほうぼう)に宣伝してまわるかもしれない。ああ、わたしだけでは無意味ですね。被害者の息子や友人が、わたしの実家に話しを広めて欲しいと頼むかもしれない」

『…』

「手近に置いて、見張っていた方が良いのではないでしょうか」

坊坂は微塵(みじん)も悪びれずに言い放った。

「ちょっと」

倉瀬は父親の袖を掴むと、英慎を建物内に導いた。患者や看護師が行き交っている廊下だが、この際、場所にはこだわっていられなかった。

「参加を認めた方が良いと思います」

倉瀬は英慎に真っ直ぐ向き直って、言った。英慎が何か言い掛けるのを手で制して、続ける。

「まず、八重樫ですが、彼は、普段はそれこそ翠康(すいかん)のようだと例えられるほどに短気ですぐに手が出る気質(たち)です。今回、母親が連れ去られるという大事なのに大人し過ぎますが、これは捜索に参加することを前提としているのであって、断れば、どのような行動に出るか分かりません。次に、坊坂ですが、これは本人が言った通りで、参加を断れば、間違いなく実家を使って何か仕掛けて来ます」

「…」

「藤沢ですが、八重樫と坊坂の参加を断れない以上一人だけ断るのは無理というものです。それで、提案なのですが、坊坂の見張りと、現場で八重樫が暴走したときに止めるのとをわたしとリンで行います。どうですか?」

「…お前も行きたいのか」

「一人は、友人、とまではいきませんが、同級生です。もう一人はリンが興味を示している相手ですよ」

英慎は嘆息した。実際のところ、息子に言われるまでもなく、結論は出ていたのだ。

「勝手な行動は絶対にさせるなよ。誘拐だけでも取り返しがつかないほどなのに、加えて高校生の怪我人が出たら、宗派の息の根が止まりかねない」

それは倉瀬も充分すぎるほどに承知していることだった。しっかりとうなずいて、応じた。

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