#22
美月と匡子が誘拐された日の夜を、尊雀寺でほぼ徹夜で明かした坊坂、八重樫、藤沢の三人は、翌日、土浦弁護士が入院している病院を訪れていた。尊雀寺の住職、義継が入院していて、八重樫も搬送されたあの病院である。この辺り一帯で、一通りの設備がある緊急指定病院が一箇所だけなので、救急車で運ばれる先は必然的にここになってしまう。ただ、余計な心労を増やす必要も無いという理由で、闘病中の義継には一連の出来事は報告されていなかった。
土浦弁護士の病室は、傷が、美月が見立てた通り大して深くはなかったので、一般病棟である。室内には、夜中に尊雀寺に駆けつけ一晩泊まった後、朝早く出て行った土浦弁護士の奥方の他、既に先客があった。藤沢が知らない、四十代の、背広姿だが剃髪している頭でそれと分かる僧侶、それより年長だが、まだ黒々とした髪を短髪に刈っている男性、二十代半ばの茶髪にショートカットの女性の三人と、倉瀬と英凌がいた。後に知れたことは、僧侶は巌礎宗の大僧正の腹心、慈寂、短髪の男性が倉瀬の父、英慎、そして二十代半ばの女性は、英慎と寧礼の妹の倉瀬志保だった。
三人の高校生が土浦弁護士への見舞いを済ませたのを見計らい、同じく睡眠不足気味の倉瀬が促したので、三人は倉瀬、倉瀬に引っ張られた英凌、そして志保と共に病室から出た。倉瀬が話しをしたがっているのを感じ取った八重樫が、一同を中庭まで案内した。中庭には相変わらず、灰皿の周辺にしかひとがいなかった。
「なんというか、ごめん。本当に」
開口一番、倉瀬は謝罪をしてきた。隣で志保も頭を下げている。英凌は病室からずっと青白い顔で茫然自失といった状態を継続していて、反応がなかった。
「ごめんはいいんだけど、どうなっているのか、分かる範囲で教えてくれる?レイ、って奴のこととかさ」
八重樫は、ごく真面目に切り出した。いつものような快活さや、茶化すような様子は微塵も無いが、かと言って、悲観的であるとか激情を押さえているという風でもなかった。倉瀬は逆にその静かな口調に気後れしたように一瞬黙ったが、すぐに話し出した。
八重樫から事の説明があった後に、警察から英慎に連絡が来た。美月に倒され、警察に連行され、身元が調べられた作業着姿の男は、前科がある、反社会的組織の準構成員とでもいうべき身持ちのよろしくない男で、誘拐の理由も、金で頼まれただけとあっさり吐いた。そのため問題は犯罪を依頼した人物の身元特定に移り、男の証言に挙げられた、直前の電話の相手、『レイ』という呼び方しか知らない男の電話番号が調べられ、結果、それが倉瀬寧礼の携帯電話だと判明した。ただ、寧礼本人は自宅におらず、携帯電話は電源が落され一切連絡が取れない、行方不明、という状態だった。
「…何で、そのひとが、俺や…須賀は俺と間違われたんだと思う…母さんを攫おうとしたのか、理由は想像付くか?」
倉瀬は首を振った。
「全く分からない。しいて言えば、翠康の関係で何かあったのかと。…リンを焚き付けたのもそこだったし…」
「兄とわたしは妙泉尼の血縁なもので、翠康とまるっきり接点が無いというわけではないの。ただ、それにしても、遠すぎると言うか、薄すぎるというか…」
虚脱状態の兄の姿を見やりつつ、倉瀬が憶測を口にし、志保が付け加えた。知らない人名が出て来て、藤沢が坊坂の肩をつついて説明を求めた。坊坂は、籠蔦事件で亡くなった尼僧の一人、と簡潔に説明し、倉瀬に向き直った。
「八重樫が言ったと思うけど、おかしな『ひとならぬもの』が一体いて、俺たちはそいつの陽動に掛かって、その隙に二人が攫われた。そいつはもともと石顕氏に付いて来ていたから、そちらに関係ある存在だと思うんだが、心当たりは?」
倉瀬は再度首を振った。
「分からない。石顕さんは英凌が行くことになった寺のひとだけど、その寺に決まったのは本当に成り行きというか、レイさ…寧礼が口を出したことではないんだ。だから石顕さんは関係ないと思う。石顕さんがうちの実家に寄ったときに、寧礼が何かを呼び出して後を付けさせた、ってことならまだ有り得る。有り得るんだけど、寧礼は『ひとならぬもの』を操るとか、そういう系統の力は無い筈なんだ」
「結界術のみなんです、使える術は。それに、もともとこの業界と距離を開けていたというか、離れたがって、東京で一人で暮らしていたので、他の術者と知り合う機会もほとんどなかった筈」
志保の説明に、今度は坊坂が頭を振り、八重樫が溜め息を吐いた。
「結局、何も分からないってことか」
「…一応、寧礼たちがいるであろう場所は分かっている」
倉瀬の意外な一言に、坊坂、八重樫、藤沢が、それぞれの表情で驚愕を示した。
「坊坂のGPSが、最後に示した場所、そこにいると思う」
「…警察が捜索したんじゃないのか?」
坊坂が不審げな表情で尋ねた。坊坂が親に頼んで追跡してもらった結果、美月が持っている筈のスマートフォンは老朽化で取り壊しが決まっている立ち入り禁止の廃工場でずっと動きを止めている。誰かが身を隠すにはうってつけの場所であるし、GPSの件は当然警察に伝えてあるので、当然捜索されていると思われた。寧礼なり誘拐犯一味なり、或いはスマートフォンなりが見つかれば、面通しやら確認やらで何らかの情報が伝わってくるだろうに、そういった形跡は今のところなかった。
「警察の捜査の進捗状況は分からない。ただ寧礼は、妙泉尼の血縁者ってことで分かると思うけど、それなりに強い結界を結ぶことが出来る」
「結界の向こう側にいて、警察には気付けなかった、か」
坊坂の言葉を倉瀬は肯定した。
「そう。その可能性がある。それで、今日ひとが集まり次第、うちが独自にその廃工場を調べることにしている。志保さんもそのために来てもらっている。志保さんなら寧礼の結んだ結界を破れるから」
志保は任せてくれ、とばかりに、しっかりとうなずいた。
「…それで、坊坂に頼みたいんだけど、しばらく、坊坂のところが出てくるのは控えてもらいたいんだ」
倉瀬が、見たことの無いほどに恐縮した表情で真っ直ぐ坊坂を見て、言った。坊坂は顔をしかめた。
「俺に言われても困る。被害を受けたのは八重樫のお母さんと須賀なんだから、八重樫と、須賀の身内が決めることだろ。調査してくれと頼まれたら、する。…須賀の親御さんは、合田先生に連絡を取ってもらったら、須賀の弟妹と離島キャンプに行っていて、すぐには戻れないってことで、どうしようもないんだけど…」
坊坂は、というより友人たち全員、美月の実家の連絡先を知らなかったので、担任教師の合田を経由するほかなかったのである。
「倉瀬の家が、今日、いろいろするって、慈寂様と話し合いは済んでいるのか?」
もう一人の被害者の身内である八重樫が尋ねた。倉瀬は首肯した。坊坂たちが訪れる前に話していたのがその件で、既に話しが付いていた。
「なら、好きにすればいい。慈寂様が納得しているってことは大僧正の意がそうだってことだから。坊坂の実家が関わってくることが嫌なら、頼まない」
八重樫は周囲が拍子抜けするほど簡単に受け入れた。坊坂と倉瀬、そして藤沢までもが、淡々としている八重樫を穴のあくほど見つめてしまった。




