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#21

事故を起こした理由を聞かれて『車道の真ん中に突然血まみれワンピース姿の女が現れて驚き、急ブレーキを掛けたらその女がボンネットに飛び乗って来て、フロントガラスをすり抜けて伸ばされた手でハンドルを操作され、九十度方向転換をさせられた』からだと言ったらどうなるのだろう。警察と保険会社は同情してくれるだろうか、それともまずドラッグ検査を受けさせられるのだろうか。花壇にボンネットを食い込ませて停車してる乗用車の中で、運転手はぼんやりと考えた。その次に、ガソリンの臭いが鼻孔を突き、状況を自覚すると、慌てて運転席から脱出するべく動き出したが、ハンドルとその他壊れた部品に脚が挟まれていて、上手く動かない。焦る気持ちだけが空回りし、己の脚を両手で掴み、引き抜こうともがいていると、不意に光が(かげ)った。顔を上げると、(りゅう)とした二の腕の筋肉を持つ男が、片手に花壇の一部だったレンガを掲げていた。運転手が咄嗟に両腕で顔をかばうと同時、レンガがフロントガラスに叩き付けられ、鈍い音と共に、拳大ほどの穴があき、蜘蛛の巣状のひびが広がった。

「大丈夫ですか?」

レンガでフロントガラスを割った藤沢は、あいた穴に手を突っ込んで破り広げつつ、問い掛けた。

「あし、あしが」

運転手が訴える。藤沢はほとんど窓枠のみになったフロントガラスから上半身を車内に差し入れ、まず、運転席側の扉の鍵をあけた。そちらに回り込んでいた坊坂が扉を開き、運転手の足が挟まれている箇所を確認する。八重樫は割れたフロントガラスからするりと車内に入り込み、助手席にほとんど仰向けで陣取ると、運転手の足を挟んでいる部品に足の裏を当て、そのまま脚の屈伸を利用して、下から押し上げた。藤沢は上半身を乗り入れて、ハンドルを掴み、引き上げる。わずかだが隙間が広がった。坊坂が運転手の脚を引き抜き、運転手は大破した車内から脱出した。

駐車場に下ろされて、運転手は感覚のない足をさすりつつ、力なく笑った。

「女が、飛び出して来てねえ…」

信じてくれるかどうかはとにかく、誰かに話さずにはいられなかった。助けてくれたひとたちはどんな顔をしてこんな与太話を聞いているのかと、顔を上げ、硬直した。扉から運転手を手伝って外に引きずり出してくれた男の右肩の上に、血まみれで、髪が張り付いている女の顔があった。運転手の喉の奥で悲鳴が弾けた。女は首を伸ばして顔を肩より前に持ってくると、傾け、坊坂の顔をのぞき込んだ。そして坊坂に無造作に手で払われて、霧散した。

「あらら」

女の霧散する様を呆然と見ていた運転手の耳に、少し高めの少年らしい声が届いた。思わずそちらを見やり、再び声にならない悲鳴を上げた。今やガソリンの臭いは消え、代わりに湿った土壌のような臭いが辺りに立ち込めている。自動車の走行音やひとのざわめきが聞こえてこない。日差しは(かげ)り、嵐の前のごとき暗さになっている。地面はビジネスホテルの駐車場のそれで、白線と白い番号が書かれたアスファルトなのだが、奇妙に波打っている。だが、運転手を愕然とさせたのはそれら情景の変化ではない。いつの間にか四人は、何か、奇妙な姿のものたちに取り囲まれていた。血まみれだったり、骨と皮だけになったりしている老若男女。眼球や臓腑(はらわた)を引きずる犬や猫。生物だったのだということは分かる肉塊。灰を固めて前衛芸術の彫刻のように仕上げた造形の、ぐにゃぐにゃと動くよく分からないもの。一拍置いて、運転手は今度は、腹一杯の空気とともに悲鳴を吐き出した。

「落ち着いて!大丈夫です。ただの死霊というか浮遊霊なので。普段からその辺にいるやつです」

「…いやその言い方では落ち着けないって」

運転手を(なだ)める坊坂に、八重樫が思わず突っ込みを入れてしまった。八重樫の突っ込みを無視して、坊坂は藤沢に向き直った。

「藤沢」

「何だ」

「ちょっとそれに、どれでもいいから、触ってみてくれるか」

そう言われた藤沢は、特に躊躇も見せず無造作に、一番手前にいた立ち尽くしている腰を曲げた老人に似た姿のものに手を触れた。途端、それは地面に崩れ落ちた。

「出来るな」

坊坂がひとり、うなずいた。

「よく分からんのだが」

「弱いものたちなんだ。藤沢ほどの力のある奴になら、触られただけで消滅する」

「魚がひとに触られると、ひとの体温だけで火傷してしまうっていう、それの強化バージョンみたいなものだな」

己の疑問に対する解説に、藤沢は納得した表情になったが、すぐに問い返した。

「これ、全部やるのか?」

既に十重二十重(とえはたえ)に囲まれている。おまけに見た目が子供だったり老人だったり、心情的に余り手を出したくない姿のものもいた。

「何か、分かり(にく)いというか、得体の知れないのが一体、いたみたいだけど、あれが(あお)っているのか?」

「恐らく。でももうどこかに行ってしまったから、元は絶てない。逆に言うとこれ以上爆発的には増えない。野次馬的に寄ってくるのが少しはいるかもしれないが。地道にやって終わらせるしかないな」

八重樫が尋ねると、坊坂は明瞭に答えた。(くだん)の茶髪の男、というか男の姿をしたもの、が無関係とは思えなかった。わざわざ姿を見せておきながら、坊坂たちが外に出るのと同時に去ってしまっているのも意図的に感じた。

「了解。藤沢と二人で大丈夫だから、坊坂はそのひとをつなぎ止めて(、、、、、、)おいて。須賀がいれば良かったんだけどな」

美月がいれば、運転手の怪我を任せられたのだが、この場にはいない。生命活動が低下していて、死霊に引きずられやすい状態になっている運転手を放っておくわけにはいかなかった。八重樫の言葉に、藤沢は辺りを見回した。

「来ていないな、そう言えば」

「来ていたらまた取り憑かれていたかもしれないから、来ない方がいいんだよ。本人も分かってるだろ」

坊坂が付け加えた。美月が、死霊の強弱に関わらず、波長を合わせると簡単に憑かれてしまう体質なのは皆熟知していた。

「では行きますか」

宣言すると八重樫は近くの舌と付随して内臓を口から溢れ出させている犬を蹴った。


残り数体を残して、周囲が明るくなり喧噪(けんそう)が戻る。それにつれて、残っていた死霊も消えて行った。藤沢は一息吐く暇もなく、少し前に意識を失った運転手を背負うと、坊坂、八重樫と共に再びビジネスホテル内に戻った。途端、一同に、濃い血の匂いと、フロント台の前の床に横たえられている土浦弁護士の姿が飛び込んできた。

「土浦さん!」

八重樫が傍らに駆け寄る。土浦弁護士は安心させるように軽くうなずいた。八重樫はその顔を見て、腹部の血の染みを見て、また顔を見返した。立ち尽くしていた藤沢は、ビジネスホテルの従業員に(うな)がされて、背負っていた運転手を、土浦弁護士の横に出来る限り衝撃を与えないように丁寧に下ろした。すぐに別の従業員が、真新しいタオルを血の(にじ)んでいる脚に当てた。

「須賀は?須賀は何やってるんだ?」

坊坂が珍しく大声を出した。美月は治癒能力者というだけでなく、各種応急処置の方法を一通り心得ていて、人目があり治癒能力を使いにくい状況でも医療的な対処が出来る。今、一番居なければならない存在だったのだが、視界の及ぶ範囲の、どこにもその姿が見えなかった。辺りを見回す坊坂と、ロビーラウンジの椅子に腰掛ける岡本弁護士と里子の二人の目が合ったが、すぐに気まずそうに逸らされた。

「何があったんですか?」

坊坂は静かに近づくと、二人に問い掛けた。慌てた様子で白髪のフロント係の男がやってきて、その間に割って入った。

「それが…暴漢が襲って来まして、土浦様を刺して、お客様二人を連れ去ったのです」

『はあっ?』

坊坂に加え、八重樫と藤沢まで大声を上げた。

「男の子と、もうお一方(ひとかた)、痩せた女性です。拉致されたのです」

三人の高校生は顔を見合わせた。八重樫の顔が真っ青になった。立ち上がると周囲を見回して、母親がいないことを確かめる。と、周囲が一歩引くような殺気と共に、無言で、里子に真っ直ぐ向かって行った。

「ち、違います!わたしじゃありません!本当です!聞いて下さい!あそこにいます!」

ほぼ悲鳴ながら、意味のある言葉を発することの出来た里子は、ある意味危機的状況に対する対応能力が高かった。里子が指を差した己の後ろを振り返り、八重樫は初めてフロント台の前に転がされているもう一人の男に気が付いた。坊坂と藤沢も同様で、その男を見やった。作業服の上下を来ていて、うつぶせで、足首と両手首を後ろ手に、ビジネスホテルの名称が入ったタオルで縛り上げられている。その上に椅子が乗せられ、重しにされていた。

「襲って来た連中の一人です」

フロント係が簡潔に説明した。説明が終わるか終わらないからのうちに、大股で近寄った八重樫が、作業服の脇腹に蹴りを入れた。男は(うめ)き声をあげて身を(よじ)ったものの、それだけだった。美月の一撃が効き過ぎていて、(いま)だに気絶したままだったのだ。八重樫が無言のまま、こめかみに二撃目を入れようとしたときに、藤沢が後ろから羽交い締めにして引き離した。八重樫は凄まじい表情で振り返って藤沢を(にら)みつけたが、藤沢は眉一つ動かさず、首を横に振っただけだった。

「ちょっと待て」

坊坂が、両者の横を抜け様に声を掛けた。そのまま意識の無い男の側に寄ると、片膝を付き、作業着を探った。ハンカチを取り出し、慎重に作業着の胸ポケットから、スマートフォンを取り出す。一応指紋に気を使ったらしいが、作動させるには液晶画面を素手で触れるほかないので、余り意味は無かったかもしれない。

「ロックしとけよ」

坊坂は(ひと)()ちた。男のスマートフォンはロック機能が切られていたので、簡単に中身を見ることが出来た。通話記録を開くと、最後の通話は十数分前だった。通話の相手は電話番号が登録されており、画面にはその登録名が表示されている。

「レイ、って、最近どこかで聞いたような…」

スマートフォンが出て来た時点で羽交い締めを解いていた藤沢が、画面をのぞき込みつつ、つぶやいた。直近の通話の相手は、片仮名で『レイ』とだけ登録されていたのだ。

「…藤沢、倉瀬の電話番号分かるな。掛けてくれ」

坊坂は、一旦自分のポケットを探ってから、藤沢に頼んだ。やや釈然としない表情ながらも藤沢は数日前、尊雀(そんじゃく)寺に来た際に交換した倉瀬の電話番号に掛けた。数回の呼出し音の後、倉瀬の声が応えた。

「悪い、倉瀬、今から言う番号、あんたのケータイに登録されてないか調べてくれるか?」

すぐに電話を変わった坊坂がそう依頼し、電話番号を読み上げた。ややあって、坊坂は藤沢のスマートフォンの送話部を押さえてつつ、八重樫に向かって行った。

「倉瀬の叔父だそうだ」

英凌(えいりん)さんだな、言ってたの。英凌さんをうちに来させるように仕向けた奴が、レイって」

坊坂はうなずいた。八重樫が手を差し出したので、スマートフォンを渡す。坊坂は近くではらはらした表情で成り行きを見守っていたフロント係に向かって話し始めた。八重樫は、間違いなく電話の向うで首をひねっているであろう倉瀬に状況を話し始めた。

「ああ、うん。あのさ、あんたの兄貴がプロポーズした相手と他一名が誘拐されて、その一味の一人が直前に話していたのが、さっきの番号で、あ、登録名は『レイ』だった」

電話回線越しの、倉瀬の取り乱した声が漏れ聞こえて来た。八重樫は一通り説明した。どうせ警察から連絡が行くだろうと思われたので、隠す気もなかった。坊坂はフロントの電話を借りて、誰かと話していた。八重樫が通話を終えるのと、坊坂が通話を終えるのがほぼ同時だった。

「誰と話していたんだ?」

スマートフォンを藤沢に返しつつ、八重樫は問い掛けた。

「親。俺のケータイ、GPS付いているんだよ。須賀、俺のケータイ持ってるから、追跡出来るんじゃないかと思って」

登録された相手しか位置情報が提供されないサービスなので、登録者である親に連絡していたのである。それを聞いて藤沢の顔が明るくなった。

「なら、すぐに捕まるな」

「だといいんだが。その、拉致された理由が、八重樫のお母さんがらみで、倉瀬の方にあるなら、須賀は…」

「そういえば…」

控えめな声が上がった。フロント係だった。三人が一斉にそちらを向き、六つの目に射抜かれた白髪の男は一歩下がったが、続けた。

「誘拐犯は、背の低い男の子、と言っておりました」

「…俺と、間違えられたんだろうな」ぽつりと、八重樫が漏らした。「人違いだって分かった後、どういう行動に出られるのか、分からないな」

昨日に続いて、サイレンの音が近づき、停まった。

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