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#18

藤沢は、タクシーの中でまたも眠り込んでしまった美月を、尊雀(そんじゃく)寺の駐車場で心配そうな表情のタクシーの運転手の手を借りて背負うと、石段を上がった。途中、美月が小さく、ごめん、とつぶやいたので、目を覚ましたことが分かった。特に大柄ではない美月の体重などたかが知れているので、無言で藤沢は首を振って、気にするなという意思表示をした。石段を難なく上がり切ると、庫裡の勝手口に向かう。自分たちが滞在している部屋の縁側から入られれば良かったのだが、さすがにそこは外出する際に施錠して出て来ている。他方勝手口は、たとえ匡子がいなくても修行僧が出入りするため昼間は開け放たれているのである。扉が開かれ、動かないよう石で固定されている勝手口をくぐる。と、途端に声を掛けられた。

「八重樫くん?」

藤沢と、うつらうつらしていた美月も、聞き覚えの無い声に顔を上げた。見慣れない坊主頭で作務衣姿の若い男がいて、庫裡のテーブルで何やら作業をしていた。男の視線は藤沢ではなく、背の美月に向けられていた。美月は億劫そうに首を振って否定した。

「八重樫の友人です。俺は藤沢で、背中のは、須賀」

「ああ、お手伝いに来ているっていう友達ね、了解。小柄な男の子としか聞いてなかったもので」

男は快活に応えた。八重樫が聞いたら怒るだろうな、と、美月は霞かかったままの頭で考えた。男は、総本山の指示で、匡子の仕事の引き継ぎのために急遽送られて来た近場の寺の修行僧だと身を明かした。総本山というか大僧正は匡子なり副住職なりにあらかじめ伝えておくという発想がなかったらしい。副住職にも驚かれた、と言って男は笑った。連絡の有無はさておき、匡子は今日の膳に関して、ほとんど冷蔵庫から取り出せば良いだけの状態にしてあったが、温め直さなければならないものもあって、自分がやるべきだろうと考えていた美月としては、専用の人員が来てくれていたことで、心置きなく休めることになった。藤沢が部屋に布団を敷いてくれたので、美月は遠慮なく横たわり、休息を取った。

普段と異なる種類の疲労感に、美月の意識はまたも眠りに落し込まれていく。恐らく、あの得体の知れない何かに無理に力を流し込まれたからだろう。美月は既に、あれが、以前八重樫本人が話していた『力を拝借している存在』なのだろうと思い至っていた。普段から、腕力の強化という形で地の神の力をごく自然に借り続けている藤沢と違い、八重樫にどのような影響というか利点があるのか知らなかったが、今回に限っては恐らく八重樫の生命活動の低下を感じ取って力を与えに来たのだと思われた。その意味で、美月が手を出さなくても八重樫は助けられていたかもしれないし、美月の干渉に気付いた後、わざわざ美月に力を与える対象を変え、治癒能力を使わせたことからすると、治癒や回復の(たぐ)いのことは出来ないのかもしれない。その辺りは、はっきりしない、そうつらつらと考えているうちに、美月の意識は完全に埋没した。


美月と藤沢に遅れること数十分、坊坂が戻って来た。藤沢が縁側で手持ち無沙汰気味に教科書を開いているのを見て、声を掛けようとして、藤沢に身振りで制止された。藤沢は口を閉じた坊坂に、視線だけで部屋の中の美月を示した。坊坂が縁側からのぞき込むと、美月がだいぶ良くなった顔色で眠っていた。

「ヒゲ、描くのか?」

藤沢に問われ、一瞬意味が分からず、無言でその顔を見やり、すぐに気付いて首を振り否定した。さすがにひと一人の命を救って疲労困憊している相手に、悪戯を仕掛ける気にはなれなかった。坊坂は、自分だけが気付いたらしい石顕(しゃっけん)の後を付いて来て、帰途には付いて行かなかった何かについては触れず、音を立てないように自分の鞄から勉強用具を取り出し、縁側で藤沢と同じく教科書を開いた。

美月が次に目を覚ましたとき、空は、まだ充分明るいものの西側は茜に染まり始めていた。美月を目覚めさせた黒電話の呼出し音はすぐに止まった。美月が喉の渇きを覚えて身を起こすと、縁側に置いてきぼりにされた教科書やノートと、その向う、裏庭で新聞紙を丸めた模擬刀で打ち合う藤沢と坊坂の姿が見えた。庫裡まで歩いて行くか、二人のどちらかに頼んで水を持って来てもらうか、美月が寝床で逡巡しているうちに、引き継ぎに来ている修行僧が、部屋までやって来た。

「起こしたかな。布団の在処(ありか)、分かる?」

美月に尋ねて来た。電話を掛けて来たのは匡子で、帰りが遅くなることと、客人が一人、宿泊するので布団を用意して欲しいという連絡だった。美月は座布団のカバー掛けをした際に、座布団と同じ収納場所に客用布団があることを知っていたので、その場所を教えた。修行僧が来ていることに気付いた坊坂と藤沢も手伝って、布団はまだ少しの間は照っているであろう夕日に当てられた。


結局八重樫親子が帰って来たのは、美月たちが夕食と入浴を済ませ、大人しく机に向かって課題をこなしている最中だった。疲れ果てた表情の八重樫親子より、更に疲れているように見える一人増えた客は、眼鏡を掛けた坊主頭の中年男性で、土浦(つちうら)と名乗った。総本山が契約している弁護士だそうだが、恐らく実家というか生まれは巌礎宗の寺院なのだろう。この土浦が、琴音の父親…つまり八重樫の父親らしき人物…に連絡を取った張本人で、伝え方が悪かったのかなんなのか、琴音が八重樫に一服盛るという状況を作り出してしまったらしい。毒殺未遂の件に直接責任はないだろうに、恐縮しきりの態度を見るに、八重樫に対して罪悪感を感じているのはもちろん、総本山から余程の叱責を受けたのだと思われた。

「申し訳ないのですが、須賀くん。明日する予定の、先方との話し合いに参加して頂きたいのです」

一息()く暇も惜しんで美月たちの部屋に集合し、開口一番、土浦はそう言った。言われて美月の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。

「なんで須賀が?」

美月より早く、坊坂が問い掛けてくれた。八重樫が鼻を鳴らすと、腹立たしげに答えた。

「向うがさ、須賀に暴力受けて、脅されたって言ってるんだよ。顔を傷つけられたとか、殺してやる、って言われたとかって、さ」

美月たち、当時の状況を知っている三者は黙り込んだ。実のところ美月は、八重樫が助かった、と思った時点以降の記憶が曖昧なのだが、琴音の顔面を鷲掴みにしたことは覚えていた。

「傷って、顔を掴んだだけだぞ。傷付くか、あれで?」

「先方としては少しでも自分たちに有利な(てい)に持ち込みたいのです。相手からも暴力を受けたと言えば、何せ未成年の少女なので、同情を引くことが出来るんですよ」

藤沢の疑問に、土浦がよどみなく答えた。

「須賀より俺の方が、酷い扱いをしたと思うんだが」

「そうなのか?藤沢のことは何も言われなかったぞ」

八重樫は不思議そうだった。同情を狙うのなら、加害者に設定する相手は、美月よりも外見的に迫力のある藤沢の方が都合が良さそうに思えた。土浦も同じことを考えたらしく眉を寄せて考え込んだ。

「…ああそうか。お漏らしちゃん、漏らさせちゃったことを恨まれたのか」

美月が不意に声を上げた。その物言いに八重樫が尋ね返した。

「…お漏らしちゃん?」

「あの子ね、凄んだら、漏らしちゃったんだ。だから、お漏らしちゃん」

平然として言い(つの)る美月を、八重樫親子と土浦は唖然として見ていた。しばし間があり、八重樫が腹を抱えて笑い出した。

「いや、うん、そう、お漏らしちゃん、は、止めよう。別に、何か考えよう。うん、無理」

八重樫は笑い過ぎて目に涙を浮かべながら提案した。その場は突如、琴音の渾名付け大会になった。毒苺(どくいちご)ちゃん、減糖姫(げんとうひめ)等、複数の候補が高校生四人から挙ったところで、土浦が控えめに咳払いをして、話しを強引に元に戻した。

「本来は親御さんにも連絡して、しかるべき対応をしなければならないところですが、申し訳ない。こちらとしてもこの一件を長引かせたくないので、明日、ということになってしまいました。どうかお願いします。絶対に須賀くんに不利になるようなことは致しませんので」

土浦は言い切った。美月はそもそも断る気はなかったので、簡単に承諾した。親を持ち出されると困るのは美月の方であったし、八重樫親子の心底申し訳なさそうな様子に、どうこう言う気は失せていた。

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