#01
闇があった。
昏い。
…いや、むしろ闇しかないのか。
そう漆嘉遍は思い至った。いつからかは分からなかったし、どこから入り込んだのかも不明だが、とにかく漆嘉遍とその仲間たちは昏い闇の中を歩んでいた。進むことでこの闇が晴れるのかは分からないが、他にすべきこともなく、黙々と歩を進める漆嘉遍の後を、それぞれの動き方で六体の仲間たちが付き従っていた。
ひとつは、等身大の人形から両腕をもいで黒く塗りつぶしたような外見だ。人で言えば口に当たる部分にぽっかりと白い穴が空いていて、そこから絶えず、間断なく、ぶつぶつという声ともぶくぶくという音とも取れないものが発しつつ、二足歩行をしている。
ひとつは、黒檀で出来た大黒柱が一本、大地から生えて弓なりにしなっているように見える。高さもちょうど建物の二階を支えるくらいだ。時々意味もなくその全身をくねらせ、振り回し、地面すれすれまで曲がるが、それでも決して地には倒れずに、ぴょんぴょん跳ねて動き回っている。
ひとつは、高さが人間の男性の向こうずねの辺りまでしかないが、長い。野球場の塁全てをたどって、一回り巻き尽くせるほどだ。黒い尺取り虫のようにも見えるが、虫よりもはるかに動きが鈍く、他の仲間たちに比べ遅れ気味でずるずると巨体を引きずって付いて来ている。
ひとつは、煙霧の中に花びらか小石が点在しているようなもので、捉え所がなく、ぼやぼやとしていて、形態故か他に比べて色が薄く、薄墨のようで、今は成人男性二人分くらいの体積に収まっている。
ひとつは、輪だった。サーカスの火の輪くぐりに使われる道具の、火の点いていない煤けたもの、と言われたら納得してしまいそうだが、輪のどの部分も地に着いてはおらず、宙にふわふわ浮いて、音も立てずに移動している。
ひとつは、見てくれは、幼児くらいの大きさの西洋藪苺だった。ころころと転がりつつ、時折、無作為の、その身を構成する一つの粒が、紙風船を潰すように無音でくしゃりと縮まり、また戻る。
漆嘉遍自身は、人の、若い男性の姿をしている。髪は脱色してほとんど色がなくなった薄茶色で、白のシャツにベージュのチノパン、革靴という現代的な服装だが、左手に、柄が桃の木で、先端に銀製の環が付いた短い錫を握っていた。漆嘉遍の歩みに応じて、錫に付いた銀の環が揺れて涼やかな音色を響かせる。
不意に漆嘉遍は足を止めた。何か、来る。そう感じ取り、錫を構える。眼前の闇の一部が歪んだように波打ち、浮き出し、形作るように、文字通り何かが現れた。それは、あえていえば四つ足の獣に似ていたが、毛皮も爪もなく、そもそも生物が持つ器官らしきものは何もなかった。幼児が黒いタールで獣を形作ってみたような、そんな代物である。ただ、それは全貌を現すや否や、獣のごとき跳躍をみせ、前肢にあたる部分で漆嘉遍の両眼を突くべく狙って来た。漆嘉遍は無造作に錫を振るった。弾みで激しく揺れた銀の環が、鋭い音を立てる。黒い獣もどきは、錫に両断されると、音も無く霧散した。獣もどきの消滅を見届けると、漆嘉遍は振り返り、仲間たちの様子を確認した。仲間たちに変化はない。漆嘉遍が命令しない限り、攻撃や防御や逃走などの、何か特別な動きをすることはないのだ。かなり前からそうなっていた。もともとそうだったあるべき姿でも、いつか取ったことのある、今の漆嘉遍のごとき人に似た姿でもない、この黒い異形に変化する、それよりも前から、そうなっていた。
漆嘉遍はふとその音に気付いた。しゃくしゃく、という咀嚼するような音だった。よく見ると、仲間の一体が何かを食らっていた。口があるわけでもないので、食らうというのは正確な表現ではないかも知れないが、分解し、取り込み、糧としていた。漆嘉遍は無言で歩み寄るとまだ食らっている最中のそれを取り上げた。仲間はどうやったのか、うなるような抗議の声らしきものを上げたが、歯向かっては来ない。漆嘉遍は仲間の不服を完全に無視し、取り上げたそれを観察した。血の匂いのする、布切れだった。仲間に食われた部分は人間の血肉だったのかもしれない。漆嘉遍は溜め息を吐くと、布切れを投げ捨てた。追い、拾おうとする仲間を一喝する。仲間は引き下がった。
以前は違った。皆誇り高かった。何か分からぬものを食らうようなことはしなかった。だが今は違う。
「まだだ、まだだ」
漆嘉遍は独り言ちた。まだ、望みはある。少なくとも、仲間たちに、漆嘉遍の言葉は届いている。
「『知識』がいる」
漆嘉遍はもの言わぬ仲間たちに語りかけた。
「必ず、元に戻してやるからな」