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アマニタ・ヴィロサの場合

 さて、ドクツルタケというキノコがある。

 和名は毒鶴茸。

 学名はAmanita virosa(Fr.)Bertill。

 分類は担子菌門ハラタケ目、テングタケ科、テングタケ属。

 夏から秋にかけてのキノコ。

 大きさとしては大型。

 針葉広葉両樹林に発生するが、やや高地、寒冷地を好む。

 色は全体的に白色で色彩がない。傘は最初卵形で白い膜質のつぼを破って現れる。その後、中高の平らに開き表面は滑らかで湿時は粘性を示す。周囲には条線がない。ひだは白色で密。柄は長く、上部に膜質のつばをつける。つばより上方は滑らか。一方、下方は繊維状のささくれあり。

 日本での死亡に至ったキノコ食中毒事故の大半が、このドクツルタケによるものだ。一説によれば、味は大変美味であるとか。だからと言って、誤飲食してはいけない。

 その毒性の高さから、海外では死の天使と呼ばれて知名度も高い。

 ドクツルタケ。

 タマゴテングタケ。

 シロタマゴテングタケ。

 この三つが猛毒キノコの御三家だ。

 何とも大層なビッグネームなお方には違いない。

 つまりは何が言いたいか、そろそろお分かり頂けただろうか。

 それは、そんなドクツルタケのキノコ娘は我々のリーダー的存在だということだ。

 アマニタ・ヴィロサ。

 死の天使の呼び名通り、背中には天使の羽。

 全身に白色の衣服をまとい、大きな帽子はドクツルタケの傘、髪型は柄の上部のつばを模しているように見える。スカートはギザギザとボロボロが交互に段々になっており、ささくれた柄。大き目なブーツはつぼを持つテングタケ属共通。首からかけたドクロのシルバーペンダントは季節によってデザインを使い分けている愛用品だ。

 まさしく幻想的な天使と見紛うばかりのご令嬢という雰囲気の彼女を、俺は尾行していた。特に何をしようと思ったわけではない。ただ、キノコ娘のリーダー的存在であるヴィロサならばイメージトレーニングの相手として申し分ないと思っただけだ。

 決して気づかれないように、良く観察して人を窺う。

 相手の日常生活パターンを探る。

 いつ起きて、いつ食事をして、いつ外に出て、いつ誰と会い、いつ帰り、いつ寝るのか。

 何が好きで、何が嫌いか。

 果ては、何を喜び、何を怒り、何を哀しみ、何を楽しむか。

 綿密に調べ上げて、世界で一番の理解者となる。そういう準備段階が、俺の仕事では一番長く時間をかけることになる。

 これを怠る者は、三流もいいところだ。

 ありとあらゆる場合に備えておかねば一流とは言えない。

 俺としては、この手の調査能力は錆びつかせるわけにはいかない必須技術というわけだった。だから、いつも相手を仮想して訓練している。

 相手が難敵であればあるほど、集中力も増すというものだ。

 そういう意味で、ヴィロサはかなりの相手と言えた。

 さすがはキノコ娘の代表格と言うべきか、彼女の行動パターンはなかなか一貫性がない。絶えずさまざまな用件を抱えているせいだろう。他のキノコ娘のところを訪れたり、まとめ役としての仕事をこなしたりと実に忙しない。

 山のような雑事や案件を涼しい顔を一切崩さず、やってのけていくのだから大したものだ。今も何がしかの用があるのか、ヴィロサは一人街を歩いていた。俺はそんな彼女の背中を、こっそりとつけていく。

 石畳の道の人混みに紛れながら、近付き過ぎず遠過ぎず一定の距離を保つよう心掛ける。進路を予想し、曲がり角に差し掛かったら相手を見失わないように注意する。本来尾行はもっと人数と移動手段を確保して完璧を期するべきものだが、贅沢を言い出すときりがないだろう。

 エネルギー補充用にアンパンと牛乳は用意済み。コンビニのビニール袋で何気ない買い物帰りを演出するのも忘れない。他に怪しまれず周囲に溶け込むためには、新聞や雑誌などを読む振りをするのも有効だ。

 俺の着用している眼鏡や帽子なども、上手く活用すれば変装に幅が出る。

 念のために言っておくが、別にこれらの行動は全て個人的な趣味などではない。

 もちろん下種な野次馬根性でもない。

 れっきとした訓練だ。

 己を磨く崇高な作業だ。

 別に少し楽しんでいたりなどはしていない。

 していないったら、していない。

 くれぐれも誤解なきようにしてもらいたい。

 ヴィロサは、時折きょろきょろと周囲を見回すような素振りを見せていた。裏通りの小道を何度か覗いたり、進んで物陰の様子を見たりしては、首を上品に傾げて去っていく。

 一体何をしているのか、こちらが首を傾げたくなる気分だ。

 規則性が見出せない歩き方。

 ふらふらふらふら。

 気が付けば彼女はいつの間にか、大きな交差点で信号待ち中。

 彼女はこの数秒ほどの待ち時間を有効活用して、見ず知らずの隣のお年寄りと何やらすっかり打ち解けていた。この辺りの社会人スキルはリーダー分だけあって正直に感心する。詳しい会話の内容は離れていて良く聞こえなかったが、さして特別なことを喋っているわけではないようだ。

 初めまして、だとか。

 今日は良い天気だとか。

 その装飾品が素敵だとか。

 荷物が重そうだが大丈夫か、だとか。

 そんなところ。

 実に、くだらない取るに足りぬ話題のみ。

 そんな短い雑談で二人は穏やかに盛り上がっていた。まるでご近所さんや、十年来の友人のようにすら見えてくる。

 信号が青に変わる。

 歩くのに難儀しているらしい相手の手を引いて、ヴィロサは横断歩道を一緒に渡る。お年寄りの歩みは明らかに遅く、もたついていた。一歩一歩、足を引きずる亀のリズムだ。ヴィロサと老人がようやく横断歩道の中腹ほどまで辿り着いたところで、歩行者用の信号が点滅し出していた。

 これは間に合いそうにない。

 結局、気の短い車に散々クラクションを鳴らされながらも、二人は無事に向こう側へと渡りきった。ヴィロサは手を取るお年寄りに対しては勿論のこと、待たせている車に対しても礼儀正しく会釈を返すなど、出来得る限り丁寧な対応を心掛けていた。

 そのまま、我らがキノコ娘のリーダー的存在は老人の荷物を持って家まで送って行くのだった。

 横断歩道の時と同様にペースが上がらないため、目的の家に着く頃にはすっかり日が傾いていた。

 夜道を帰るヴィロサを最後まで見届けて、本日の尾行は終了。


 仮想ターゲットが人気のない公園で、迷子の女の子と遭遇。

 泣く。

 泣く、泣く。

 泣く、泣く、泣く、泣く。

 とにかく泣く。

 泣き通し。

 耳を塞ぎたくなる号泣だ。

 親とはぐれたことだけは何とか分かるが、名前や住所など手掛かりになるような情報が涙に遮られて一切出て来ない。

 こんな調子では、然るべき施設に連れて行ったところでお手上げだろう。 

ヴィロサは子供の背中を優しい手付きで撫でてやり続けた。女の子が落ち着くまで時間をかけて待ち続ける。時折、元気づける言葉も交えていく。泣きじゃくる女の子は少しずつ勢いを弱めていき最後には沈静化した。

 その後、ヴィロサの見事な手並みにより、程なくして子供の両親も見つかった。

それらを終始見届けて、尾行終了。


 ヴィロサが歩道の真ん中で急にしゃがみ込む。

 どうやら財布を拾ったらしい。ずっしりと重そうな黒革の高級品だ。中には各種カードと現金が詰まっていた。一番近い交番までは結構な距離があったが、気にした様子もなく優雅な足取りで落し物を届ける。

 後日、落とし主が現れて、お礼をと申し出たが彼女は上品に笑って遠慮した。


 某日某所、良く分からないがヴィロサが見知らぬ人々に感謝されていた。きっと何か人助けでもしたのだろう。


 更に某日某所、ヴィロサがまた……まあ、いつもの通り。


 ここ最近のヴィロサの動向は、ずっとこのような具合であった。

 何か目的があって動き回っているようなのだが、少し目を離した瞬間には何がしかの横道に逸れている。そして、それをさして気にした様子もない。むしろ少し楽しげですらある。依然としてパターンがつかめない。

 このような相手が一番困りものだ。

 絶対に、この日、この場所に、こうしていると予測を立てられない。

 不確定要素しかない輩と相対するなどプロ失格だ。これは意地でも、彼女の行動をより研究して理解する必要がある。

 そういうわけで、今日も尾行は継続中だ。

 すっかり慣れ親しんでしまった、ヴィロサの歩調に合わせて後を追う。目的地の見えぬ旅に付き合う気分だ。途中、大気の状態が不安定になってきているのを感じ取り、余裕がある時に手早く傘を購入しておいた。何事も備えあれば憂いなし。

 最初は繁華街の一角にある店先でアンティークのペンダントなどを展示してあるのを時折見やりつつ、ヴィロサは次第に人気のないところへと移動していく。

 これまでの尾行によっても分かってきたことだが、彼女はあまり人の多い場所を好まないようだった。意外と暑がりで、涼しそうな場所と道を選ぶ傾向にある。もし人混みの中に入り込んでしまったら、悠然とした態度を保ちつつもふんわり離れるように歩を進める。

 確かに静寂な風景がヴィロサには良く合っている。

 川沿いの道に出る。

 一陣の風が吹き抜け、彼女の純白の髪が揺れた。

 風情でも楽しむようにゆっくりと一人歩く姿は、幻想的な容姿と相まって実に絵になっていた。魔法がかったような魅力とでも言おうか。御伽噺のワンシーンのようだと思う。ギャラリーがいれば、さぞや目を引いたことだろう。

 だが、見惚れてばかりもいられない。

 今日は一体何が起こるのか。俺は神経を尖らせて身構えた。いや、別に彼女の身を案じているとかそういうわけではない。毎回、トラブルに巻き込まれて遅くなって、一人の夜道は危ないと少し懸念に思ったりしなくもなかったが、断じて心配などはしていない。きちんと、ヴィロサが自宅に帰るのを最後まで見届けているのもイメージトレーニングの一環でしかないわけだし。全く当初の趣旨から外れてはいない。うん。

 不意に、ぽつりと鼻先へ雨粒が落ちてくるのを感じる。

 空を見上げると、灰色の雨雲が一面に広がっていた。雨足は次第に強まっていく。小雨が本降りになるのも時間の問題だろう。俺は自分の直感の正しさに満足しつつ、予想以上の雨量になりそうで舌打ちしたい気分だった。

 突然の雨にヴィロサもさぞや迷惑しているだろうと思ったが、違っていた。いや、この場合は雨などという些事は、気にする価値も見出していないと言った方が正しいか。

 彼女は、あるものを見つけると河原の方へと降りていく。自分自身が無防備に濡れることなどお構いなしだ。目線の先を一点に固定させて、いつもの優雅な動作とは違った必死な早足で駆けて行く。

 向かうは傾いた背の高い一本の樹木。

 もっと言うなら、小枝の先で身がすくんだのか動けなくっている小猫の元へ。

「……どこまでも、お約束を外さへんな」

 ぱきっ。

 不吉な音が立てて、重量を支え切れなくなった小枝が折れる。

 小猫が万有引力の法則に従って落下する。仮にも猫の癖に、しなやかさの欠片もない不様な態勢のままだ。あれでは、頭から地面に叩き付けられる。

 結構な高さだ。 

 恐らく怪我だけでは済まないだろう。小さな命など簡単に失われる。

 そう、失われるはずだった。

 彼女がいなければ。

 ヴィロサは懸命になって走り、手をあらん限り伸ばす。飛び込むような勢いが功を奏し、ぎりぎりのところで小猫を捕球する。

 だが、勢いがつき過ぎた。

 そのまま、今度はヴィロサが頭から固い大地に着地しそうになり――俺は、そんな彼女を後ろからしっかり抱き止めた。


「ありがとうね、サブちゃん。おかげで助かったわ」

 自身が助けた小猫を優しく腕に抱きながら、ヴィロサはまさしく天使のような微笑みを浮かべた。雨のはずなのに何となく眩しくて、俺は愛用の帽子を目深にかぶりなおす。それから、言うべきことは言っておく。

「……サブちゃんって、呼ばんといて」

「あら、可愛いのに。サブちゃん」

「とにかく嫌なんや」

 サブちゃん。

 何とも不名誉な呼び名だ。

 俺の学名であるsubnigricanの冒頭のsubにちなんだニックネームなのだが、付けられた本人としては良い迷惑でしかない。まったく、誰がこんな忌々しい名前を考えてくれたのやら。

 おかげで、多くの者にからかわれるネタを提供してしまっている。

 悪意がないにしても億劫になってくる。

「ふふ。とにかくお礼を言うわ、ニグリカ」

「別に……偶然に居合わせただけや」

「偶然ねえ?」

 ヴィロサは意味ありげに目を細めた。

「何や?」

「偶然、私を助けてくれたの?」

「ああ」

「それで偶然、傘を二本持っていて貸してくれているのね」

「……そうや」

「じゃあ、都合の良い偶然にも感謝するとしましょう」

 丸くなった小猫が、ヴィロサの言葉に同意するように鳴く。どうにも形勢不利は否めないようだった。

 備えあれば憂いなし。

 だが、備え過ぎると別の問題が発生する。

「実はね、ここしばらくニグリカを探していたのよ」

「……俺を?」

 更に予想外の言葉。

 咄嗟に表情を変えないようにするのに、かなりの労力を要した。

「そう。定期的にキノコ娘の皆を訪ねて様子を見るようにしているのだけど、あなたはいつも住所不定でしょう。だから、毎日ぶらついていたの」

 確かに、思い返してみると裏通りを出たり入ったりしていたのは、何かを探しているように見えなくもない。 

 だが、当てもなく誰かを探すなんて無茶な話だ。

「こちらから見つけられないにしてもね。ニグリカならそれなりに目立つ真似をしていれば、見つけてくれるかなとも思ったのよ」

「……」

「久しぶりだけど、元気そうで何よりだわ」

 アマニタ・ヴィロサ。

 天使のような優しい性格である反面、意外と毒のある言動も……というか実際に毒がある。しかもネチッこく、長引くので注意が必要――と。

「……死の天使様も、相変わらずやな」

「あら、天使だなんて。照れちゃうわね」

 それと二つ名が密かにお気に入りの、我らがリーダー。

 今回の尾行で分かったのは、この程度だ。

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