第一話①
秋。
祝日だからといって、なんの代わり映えもしない日曜日。
とある私立大学に通う少年――五鈴篝は、市民会館に隣接する公園内を一人で散策していた。特に理由があるわけでもなかったのだが、なんとなく今日はそんなことをしてみる気分になったのだ。片手にはスーパーマーケットのビニール袋が握られており、彼が買い物の帰り道にいたことが窺える。
篝は何の変哲のない大学生だった。髪は染めずに黒のままだし、整髪料をつけるのだって二・三分で済ませてしまう。服装だってそれなりのお店で適当に揃えているだけで、多少のおしゃれをしているつもりではあったが、それ以上ではなく以下でもない。
「あー……普通最高」
篝は空を見上げて呟く。
周囲にいる奥様たちは井戸端会議に花を咲かせており、その独り言に気付いた様子はなかった。
公園の木々の間を吹き抜ける風だけが、篝の自嘲気味な笑顔を眺めている。
「……ん?」
何かを踏んだ気がした篝は、ふと足元に視線を移した。そこには、沢山のドングリが転がっていた。綺麗に緩やかな曲線を描いているものもあれば、ぶくぶく太って丸々としたものある。
千差万別。
ドングリの背比べという言葉があるが、あれは割と間違っている言葉なんじゃないかと篝は思う。ドングリにだって違いはある。ただ、元が小さいので人間には分かりづらいだけで。
篝はいくつかのドングリを拾って、手のひらの上で転がした。
「ほら、やっぱり違うじゃんか。転がり方一つとってもさ」
再度の呟き。しかし、自分が意味不明なことを言っていることに気が付いて、篝は頭を振った。あまりこういうことを口にすべきではない。人が気にもしないようなことを、わざわざ掘り返すべきではない。周りから変な人だと思われてしまう。
中学の頃の二の舞になるのは御免だった。
中学の頃――。
そう、中学の頃――実は篝は一人の魔術師だった。
自らを大地神ユグドラシルに使える《十六将》の一人と自称し、人間が大地を汚さないように監視をしていた。多くを語らず、自分だけの世界に浸り、存在しないものと毎日戦っていた。時にはポイ捨てをした不良に因縁を吹っかけて喧嘩をした。ぼこぼこにされた。
とはいえ、それはあくまでも過去のこと。大学生になった五鈴篝は、ただの人だ。厳密には、高校に入学してからの篝はただの学生だった。神様の部下でもなんでもない、そこらへんにいる人。
今となっては、かつての自分の姿も恥ずかしすぎて思い出したくない。
中学の卒業アルバムもすぐに燃やした。
死ね過去の自分。
コロエモン、本当に君が存在するなら僕にタイムマシンを貸してくれよう!
昔の自分に物理的教育的指導をしてくるから!
そんな感じ。
そういうわけで、篝は周囲を見渡して、知っている人がたまたまでも歩いていないことを確認すると、ようやく安堵した。
バレたら死ぬ。
順風満帆なキャンパスライフが音を立てて崩れ去ってしまう。
その時だった。篝の耳に誰かの泣き声が届いた。
なんだなんだと篝は声の主を探す。すると、五メートルほど先の木の下で泣いている女の子を見つけた。おそらく年齢は五つくらい。赤色のワンピースを着ている。
「どうしたんだい?」
幼い子供が泣いているのを放っておくことなんて出来ない性格の篝は、少女に近寄って声をかけた。手にしていたドングリは、ポケットに入れた。
彼女の近くには、木にちょうど隠れて見えなかったが、その母親がいた。
「この子が風船を飛ばしてしまって」
泣きじゃくる子供の代わりに母親が答えた。見上げると、確かに赤色の風船が木の枝に引っかかっている。
その風船には見知ったマークが描かれていた。篝がついさっきまでいたスーパーマーケットのマーク。そういえば、変な着ぐるみが風船を配っていたな、ということを思い出す。
しかしそれなら、もう一度もらって来ればいいだけなのではないだろうか。子供がここまで大きな声で泣いていて、それでどうしようもなく母親が困っているのが、篝にはおかしなことに感じられた。
「あの……僕が行って新しいのもらってきましょうか?」
提案した。けれども女性は困った顔をした。
「あの風船、最後だったんです」
納得がいって篝は頷く。女性が慌てている理由がわかった気がしたのだ。新しいものは手に入れられないし、でもこのままでは娘が泣き止まない。そういうこと。
しかし、困ったことになってしまったと篝は思う。そういう状況だったとしたなら、出来ることはあまりない。
んー、と篝は腕を組み、右足の先で地面を一定周期で叩く。それは考え事をする時の癖だった。
その間も少女の泣き声は増すばかり。
その姿を見て、ようやく篝は決心をした。子供の目の高さまでしゃがんで目線を合わせると、少女の頭をなでなでした。
「ちょっと待ってな。お兄ちゃんがとってきてやるから」
新しいものがないならば、古いものを取り戻せばいい。幸い、篝は木登りが得意だった。大地神の側近を名乗っていただけはある。森とかで遊びまわるのは得意だった。虫は――得意ではないが。
「……ほんと?」
「ああ、任せろ」
やっと顔をあげてくれた少女ににこっと微笑みかけると、篝は袖を捲る。その折、少女の母親からそこまでしてもらうわけにはいかないとは言われたが、まあまあと適当に受け流して提案は受け付けなかった。
初秋の冷たい風が、地肌をさらりと撫でる。一瞬だけ体を震わせると、篝はようし! と自分に気合をいれて樹木の表面を触った。
暖かくゴツゴツした木の皮。
これなら簡単に登れそうだと、篝は判断した。木の凹凸した部分に手足をかける。手と足をかける位置を間違えないように、丁寧に木をよじ登っていく。
「よいしょっと!」
背の高めな木ではあったが、篝は五分とかからずに風船を回収することに成功した。紐を握られた風船がふらふらと揺れる。高度があがって僅かに寒さが増した気もしたが、満足げに篝は笑う。
すると、下から歓声が聞こえた。子供のために木を登る少年に興味を持ったのか、いつの間にか観客が集まっていたらしい。
おおう、と篝は驚く。急に恥ずかしくなって、誤魔化すように頬をかいた。
だが、それが悪かったらしい。
篝は――足を踏み外してしまった。体の支えの一部を失った状態では、堪えきれない。篝の体は、自由落下を開始した。
「うおうっ!?」
「キャ――――っ!?」
篝の声と観客の悲鳴が重なる。しかし、篝のそれは観客のそれと違ってのんきなものだった。というのも、確かに木の背丈は高かったがその程度で大けがを負うとは思っていなかったし。その代わりというか、危機感を覚えていなかった分、最後の最後で格好悪いなと思っていたのである。
どうにも決まらない。慣れないことはするもんじゃないな、と篝は思った。そういえば、格好つけようとした結果があの中学時代だったんじゃないだろうか。遅ればせながら反省する。
とはいえ、やってしまったことはもう仕方ない。せめて風船は手放すまいと拳を握りしめる。せっかく取りに行ったのにまた逃してしまっては、落ちた甲斐もない。そう思っていたのに……。
「あれ?」
篝の視界が揺れた。
それから、雑音交じりのテレビ画面のような風景が広がった。
「なん……だ、これ……?」
地面に衝突する直前、篝は自らの意識を手放した。
その手に、少女が求めた風船はない。
12/25 第零話として別の話を差し込みました。よって、元々一ページ目だった部分が第二ページ目に移行しています。