試合
「おい、シリウス。お前帰っていいぞ」
会談が終わり、謁見の間を退出した直後。勇者から下されたのは早過ぎる戦力外通告。それも僕に何の断りもない。
「えっ!? いや、あの、それは困ります。王宮勤めの身の上ですから王の命令は絶対なのです」
「それが死ねって命令でもか? アホらしい。ならさっさとやめて新しい職でもさがせばいいだろ」
「おい、ちょっと言い過ぎだろ。せめて実力を見てからでも遅くはないんじゃないか? それに僕はお前たちをむざむざ死なせるつもりなんかないよ」
RPG序盤で必要なのは人数集めだ。数は力。これもまた変えようのない真実なのだから。
「え、今何か声が……?」
「あー、そっからか。大半の人には聞こえないけど、一応勇者とか一部の人には聞こえるみたいなんだよね。僕の名前はプレイヤー。一応立場的にはアドバイザーみたいなものだと思ってくれれば……」
「まさか研究のしすぎで頭が……いや、そんなはずはない。僕は正常だ。まさかあの時の実験で吸った粉が……」
あまりの出来ごとに理解が追い付いていないのかブツブツ呟くシリウスの姿は完全にタダの危ない人だった。
「いや、勇者とかにも聞こえているから。シリウスだけが異常ってわけじゃないよ」
「一部の人にしか聞こえないなんて……まさか神様!? 貴方は本当に勇者様だったのですか!」
「あれ、何これ、俺って喧嘩売られてる? 勇者ってことで呼ばれたのに勇者として見られてないってこと?」
「お前自分でただの村人って言ってたじゃねぇか。チンピラじゃなかっただけマシだろ」
「自分で言うのと言われるのとでまた違うんだよ」
「さてさて、勇者様。ここでの用事は終わったようですが、よろしければ非才な我が騎士団の者たちに一手ご指南頂けませんか?」
正門前で話をしている最中、勇者の後を追うように現われたのは先程ロックフォードと呼ばれた公爵と彼を取り巻く護衛の一味。皆が一様に厭らしい笑みを隠すことなく、退路を塞ぐかのように勇者を取り囲んだ。
「先程述べたとおりどうにも彼らは非才でしてね。勇者と呼ばれる貴方と剣を交える事が出来たのなら彼らにとって良い経験、後の誉れとなるでしょう」
まともに剣も装備出来ない田舎者。彼らは勇者をそう侮っていただろうし、事実その通りだった。ステータスを見る限りどう見ても普通。特殊な能力もなく、せいぜい幾つかのアイテムを持っている程度。相手のLvは分からないが、仮にも正騎士。低く見積もってもLv10はあるはずだ。つまり勝てない。
と言うかさっきから勝てない相手ばかり続いてない? なんかこう、そろそろ雑魚と戦って経験値稼ごう的な感じはないのだろうか。
「公爵様、この者は王にも認められた勇者様です。どうか無用な――」
「黙れ、人の言葉を話すなど恐れ多いわ。もやしならもやしらしく視界に入らない所でおとなしくしておれ」
「酷い……」
止めようとしたシリウスはあえなく撃沈。
「いいからもやしは黙って見てろ。ここは俺がどうにかするから」
「お前の為に止めようとしてたのに敢えて追い打ち駆けるとか鬼畜だな」
「俺は勇者なんだ。生憎アンタらみたいに群れるだけの有象無象と違って代用が効かない。暇なら付き合ってやっても良かったんだが一人しかいないから忙しい。その手の用件なら他の奴をあたってくれよ」
「貴様っ!!」
「待て」
激昂した部下を一言で制す。この程度の挑発には乗らない、余裕の表情が雄弁に語る。そして逃さない、とも。伊達に公爵位についてはいなようだ。
「悪いが王都に来たばかりで疲れてる。それに剣もないんでね。またの機会があれば相手してやるよ」
「遠慮なさらずとも、その程度であればお貸ししますよ。何せ貴重なお時間をとらせるのですから」
「言っただろう、疲れているんだ。生憎と全力など出せないし、不慣れな武器で怪我をさせると悪いだろう?」
「怪我をする、の間違いでは?」
のらりくらりとかわそうとする勇者に対し、執拗に食い下がる公爵。見えない剣の応酬がそこにはあった。
「それに疲れてるとはいっても、勇者様の村から王都へは馬車で数時間程度の距離。これから過酷な旅に出かける者にとってたいした苦にはならないかと思いますが」
「気疲れしたんだよ。生憎の田舎者でな。お城だの王様だのと純朴な田舎の好青年には荷が重いんだ」
「おい、誰が純朴で好青年だって」
「いいから黙ってろ」
あまりにも本人には似合わない酷い言葉に思わずツッコミをいれてしまった。
実際にこの短時間でこいつがやらかしてきた事の数々と手際の良さを考えるとどう見ても常習犯だ。
「いやー、さすがに無理あるだろ。王様とあれだけやらかしといて今更純真ぶろうったってむりがあるだろ」
「いいから黙れって言ってんだよ!」
「「「……………………」」」
突然叫び出した勇者に対する沈黙だった。
「あー、うん、ちょっとその残念な子見るような目やめてくんない! そのもやし見るような目で人のこと見るのやめてくんない!」
今まで浮かべていた嘲笑の笑みさえ形を潜め、混じりっ気なし、憐れみ100パーセントの目だった。
「……勇者様は未だ武器も持っておらず、旅の資金も大してお持ちではないようだ。ですからこの話をお受け頂けるのなら結果に関わらずに武器をそのまま差し上げる、という条件で如何でしょうか?」
「……いいだろう」
僅かな逡巡の後、勇者が承諾したことで話は纏まった。嫌々だろうとなんだろうと、この空気を払拭するために乗らざるを得なかったというのが事実だろうが。
公爵が合図をしてすぐに部下の一人が剣を差し出す。
憮然としながらそれを受け取り、すぐに少し離れた場所で素振りを始めた。
なるほど、確かに勇者の剣筋は訓練を積んだ者のそれだ。不慣れな者特有のぎこちなさはなく、素人目にも分かる程度にはしっかりとしたものだった。だが、お世辞にも巧いとはいえない。
まだ本気を出していないとはいえ、恐らく反応は出来ないだろうが僕でも確実に目で追える程度の剣速。勇者の動きを見て笑みを深くする公爵とその一派。モンスター相手ならいざ知らず、人間相手の、それも純粋な剣技関連の知識など持ち合わせていない僕にとって、この状況を打開するだけの解決策はない。
せめてもの救いは命まではとられないといったところか。
仕方がないが埋めようのない地力の差に加えそれを覆すだけの具体的な策もない。ここは恥をかいてもらうことにしよう。
「どうしたのです、勇者様? 見習い騎士の方がよっぽどいい動きをしますよ」
勝負は予想通りの展開だった。
勇者と相対する騎士は嗜虐的な笑みを浮かべ、その言葉に追従するように周囲の騎士もまた笑う。
勇者自身、それを理解しているのだろう。相手が一歩進めば、勇者もまた一歩下がる。決して間合いに入ることなく、常に一歩下がったギリギリの距離を保ち続ける。間合いに入り、剣の応酬が続けば負ける事を悟っているから。
「まさかそれで本気なわけはないでしょうな? 私に合わせて頂いているのか知りませんが、もう少し強くしていただいても結構ですよ?」
「…………」
分かりやすい挑発には乗らない。
乗るわけにはいかないのだ。だからこその沈黙だが、答える余裕もないとみたか、相手は更に勢いづく。
終わらせようと思えば終わらせられるはずの勝負が長引くのは勇者をいたぶって愉しんでいるからか。
立て続けに繰り出される連撃を剣で防ぎ、身を捻って交わしてギリギリの所で耐え忍ぶ。
そのまま続いた数分の均衡。そして突如、勇者が動く。
それは今までにないほど雑な一撃。だが今までの流れを絶ち切る急な反撃、そして力任せに振られた剣は生半な防御を許さない。
「チッ」
舌打ち一つ残して、勇者を攻め立てていた騎士が初めて後退する。そして気付く。そこに小石があった事を。小石を踏んで崩れたバランス、続く力任せの一撃。初めて笑み以外の、焦燥に駆られた表情を浮かべる。体勢が崩れた状態で再び跳び退る事は無理で、踏ん張りも効かないままに勇者の一撃を受け止めた。
当然の如く地に叩きつけられ、反射的に地面を着いた両手。直後、騎士の首筋に剣を突きつけた勇者の姿がそこにはあった。
「っ、俺はまだやれる!」「ふざけんな!」「俺と代われ!」
勇者は勝負に勝った。だがこんな勝ち方では相手が納得していない。責め立てる言葉が、未だ戦おうとする態度が、そんな感情を伝える。
勇者もまた、感情を殺した顔で無視するのは本人もその勝ち方に納得していないからか。
「よせ!」
勇者を罵倒する声を止めたのは、意外にも公爵だった。
「さすがは勇者様ですな。部下がとんだ失礼を」
「いや、いいさ。勝負の後で気が昂ぶるのはよくあることだしな」
「寛大な処置、感謝しますよ、勇者様」
「気にするな」
「もう少しお相手願いたいのですが、お互い体は一つしかない身の上、暇な時間はあまりない。今回はここで退く事にしましょう。勝手ながら旅の成就を祈ってます。それでは」
言いたい事だけ言って、来た時同様に公爵一行はあっさりと去っていった。
「なあ、なんで公爵はあそこで退いたんだ? 正直、あのまま続ければお前負けてただろ?」
「貴族が最も大事にするのはメンツだ。あれ以上続ければ恥の上塗りになる。わざわざ自分から恥を晒す貴族はいないってことさ」
そう締めくくった勇者の顔には困難な状況を切り抜けた事に対する笑みではなく、困難にぶつかる事そのものに対して喜ぶかのような挑戦的な笑みが浮かんでいた。
「…………は、はは」
思わず零れた笑み。それを確認するかのように口元に手をやる。
触れた場所は小さく、だが確かに歪んでいた。
いつからだろうか。負けると分かって、すぐに勝負を投げ出すようになったのは。
小さい頃はどんな逆境だろうと最期まで向きあった。そしてだからこそ逆転できた場面もあった。
勝つことが当たり前の、ボスでもない相手との戦いに負けた時のように、負けることが当たり前のような相手との勝負で勝てた事もあったはずだ。
賢くなったつもりで、勝てていた勝負さえも投げ出したことはなかったか。
己へ問いかけた言葉に、明確な答えは返ってこない。
だがこの時、確かに胸の奥に燻っていた何かに火が灯った気がした。
「さて、と。腹ごしらえも王様との会談も雑魚の相手も済んだ。これでようやくRPGの醍醐味が出来る」
「……今度こそまともな戦闘?」
「バカかお前? RPGって言えばアレしかないだろ。最初の村は顔見知りも多いし、家を追いだされたから、いつまでもうろつくわけにはいかないって理由で出来なかったけど、王都はこんなに広いからやりたい放題できるぜ!」
「装備を整えるのか?」
「まぁ確かに消費系道具の補充もするし、運が良ければ武器も手に入るから半分正解。ま、黙って見とけよ」
近くの民家にノックもなしに入る。
そして引き出しやタンスを開け、物色し始めた。
「……ってなに当たり前に人の家のタンスを開けてるんだ! この手のゲームでそれはまずいだろ!」
「RPGの定番だろ? それにほら、よく言うだろ。他人の物は俺の物ってね」
「これは普通のRPGじゃねぇんだよ! 確かに他のRPGじゃよくやるけど、これはヤバそうな雰囲気だからね!? それにそれをやるのも許されるのもジャイ○ンだけだ」
「許されてはないだろ、ただ力で黙らせてるだけで」
分かってるならやめとけよ。
「それなら尚更、力もないおまえじゃ捕まるのがオチだからやめておけって。留置所エンドでゲームオーバーなんて死んでもゴメンだ」
「フッ、甘いな。見えない力が働いて、その家の住人の前で堂々と盗ってもだいじょうぶなのさ。それがRPGクオリティ! それこそが主人公の力! それに万が一の時でも俺には隠された力がある。王様公認の勇者、つまりは国家権力という最高の後ろ盾が!!」
そんな勇者を、この家の住人であろうおばさんが無言で見守る。
こんな細部にまではさすがにAIも作動しないのか、と考えたが、きっとあまりの突拍子のない出来事に、理解が追い付いていないのだろう。無言で部屋を出て、しかし数秒後に『おなべのふた』と『包丁』を装備して出てきた。
「アンタ、勝手に私の家に入ってきて何を物色するなんていい度胸ね!」
「………………おい、似非主人公。主人公の力はどうした?」
「………………ま、まだ国家権力が俺にはある……はず」
目の前には今にも勇者に斬りかからんとするおばさんが、じわじわと間合いを詰める。
「…………なあ、戦略的撤退って言葉を知ってるか?」
緊迫した空気の中、不意に勇者が口を開いた。
「見栄を張って逃げることだろ?」
「そのとおりだ」
言うや否や、勇者は身をひるがえして逃げ出した。