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千の夜  作者: 入江 涼子
7/21

風に若葉は散るその二

今回はかなり、長いです。

東三条に着いたのは、昼間だった。

まず、部屋に帰って着替えたかったけれど。

父上に挨拶をしに、寝殿(主殿)に向かった。

父上はすぐに会ってくれた。

弟の看病で夜、寝ていないせいか、眼の下に(くま)ができている。

「…おお、香子。よく、帰ってきてくれた。後宮に暇乞いをするのに、もっと、時間がかかってもおかしくないのに。こんなに早いとはな」

「知らせを聞いて、すぐに帰ってきたんです。女御様には後で、伝えてくれるようにと言伝を頼んだし」

あたしがそう言うと、父上は嬉しそうに笑った。

「そうか。いや、夏の暑気あたりではないかと医師が言っていた。それだというのに、未だにあれの熱がなかなか下がらぬ」

「義隆の病って、そんなにひどいの?」

「どうだろうな。はっきりとは言いにくい。解熱の薬と滋養に効果があるというのと、二種類渡されてな。それを飲ませようにも、水を受け付けないくらいに、体が弱っているから、乳兄弟の惟政(これまさ)が木匙を使って、無理に飲ませておった。でも、義隆はうわごとで『宮様』とか、どなたかの名を呼んでいたな」

父上の話によると、『宮様』というのは幼なじみである友成の父君である兵部卿宮様か母君、女二の宮様ではないかと思ったという。

けれど、義隆が友人でもある友成の母宮を好きになるわけではないだろうしな。 あたしは丁寧に手をついた。

「それでは、失礼いたします。父上もあまり、無理しないようにね」

うむと頷いてきたので、あたしは立ち上がった。

そのまま、部屋へ下がる時に簀子縁で女房を呼び止めた。

胸元の合わせから、簡単に折り、結んだ状態の文を取り出した。

「…これを鈴鹿に渡して。急いできたから、忘れていたわ」

そういうと、女房は苦笑しながら、受け取った。

「わかりました。鈴鹿さんに渡しておきますね」

あたしは早速、部屋へと向かったのであった。

その後、自分の部屋にたどり着くと、すぐに唐衣と裳を女房に手伝ってもらいながら、脱いだ。

気軽な普段の格好になって、座り、脇息に寄りかかった。

(ああ、疲れた。正装なんて、するもんじゃないわ)とか、思ったりもした。

くつろいでいると、団扇(うちわ)を鈴鹿があおいでくれていた。

もう、暦の上では秋に入っているのに、まだまだ暑い。

「鈴鹿。文、読んでくれた?」

「…ええ。読みましたわ、姫様」

蒸し暑さのせいで、あたしは懐紙を使って、汗を拭く。

重ねる衣を少なめにしておいても、じわじわと汗が出てくる。

仕方なく、上に着ていた圭を脱ぎ、単袴姿になった。

髪を耳挟みにして、寝台で寝っ転がる。鈴鹿は、はしたないと言いながらも、好きなようにさせてくれる。

そのまま、寝てしまったのであった。



翌日に、義隆へお見舞いをすることにした。

鈴鹿もやってきて、着替えを手伝う。

打衣に小圭(こうちぎ)を重ねて、上に細長を着た。

今の季節らしい撫子の襲を選んだ。

先触れとして、荻乃という女房に弟のいる東の対屋に行かせる。

しばらくして、荻乃は戻ってきた。

「…姫様。弟君がよい、との事です」

その一言であたしは黙って、立ち上がる。

鈴鹿は心配そうに見てきた。

「大丈夫よ。ちょっと、様子を見てくるくらいだから」

「ならば、よいのですけど。香子様、お気をつけて」

それに笑って、応えながら。

あたしは弟の御見舞いに行った。



東の対屋につくと、まず、庇の間に通された。

女房の一人が挨拶をする。

「よくお越しくださいました、姫様」

恭しく、頭を下げる。

幼い子供の頃はこんなに他人行儀ではなかった。

成人をすると、今の時代、兄弟であっても性別が違えば、直接会って、話すことは許されない。

だから、姉であるあたしの方から会いにいくというのは本来、駄目なんだろうけど。

それでも、心配なので、それとなく症状について尋ねてみる。

「義隆の状態はどう?大丈夫かしら、あの子。容態に変わりはない?」

「はい。お熱も下がって、柑子(こうじ)や汁粥をお口になさって。今、起きておられますし。お会いになられますか?」

「ええ。そうするわ」

女房について行くと、屏風などで仕切られているのが御簾ごしに見えた。

中に入ると、低めの小さい几帳の側に寄った。

「…衛門?誰か来たのか」

少しくぐもっているが、義隆の声がした。

衛門と呼ばれた女房はすぐに手をついて、深ヶと頭を下げている。

「はい。姉君様が来られました。お見舞いのため、後宮から、里帰りなさいまして」

「なっ。姉上が後宮から…」

義隆は驚いて、声を上げた。

どうも、あたしが後宮から退出したのは、聞いてなかったようだ。

「どうしても、若君のことがご心配だそうで。帰られてすぐに、こちらへいらしたのです。僭越(せんえつ)ながら、お会いになられたらよいと思うのですけど…」

「わかった。会うよ」

義隆がそう言って、すぐにあたしは膝立ちになって、いざりよった。

立って歩くというのは、女としてはしたないといわれている。

そろそろと近づくと、上半身を起こした姿勢で義隆が座っていた。

烏帽子をかぶって、下は小袖を着ている。

「な、姉上。後宮にいたんじゃ。いや、幻なのか?」

あたしは弟の額を軽くはたいた。

いてっと、小さく悲鳴をあげた義隆は身体を縮こませる。

それをみて、あたしはいってやった。

「誰が幻だって?本物に決まってるでしょ。失礼なこといわないでよね」

腕を組んで、えらそうにしていると。

義隆はにらみつけてきた。

「いきなり、ぶつことないだろう。姉上はいっつも、そうだ」

「だったら、これからは生意気な事をいわないようにすることね。そんなだから、あたしは腹が立つのよ。どうせ、生き霊が出たとか、ろくでもないの想像してたんじゃないの?」

「そんなことはないよ!いきなり、現れたから、驚いたんだよ。姉上を馬鹿にするために、いったんじゃない」

義隆は真面目になって、否定してきた。このまま、ケンカをしていても、らちが明かない。

仕方なく、きいてみた。

「熱を出したって、鈴鹿から、文がきて。それで、急いで、こっちに帰ってきたの。体の調子はどう?他に変なところは…」

「別にないよ。何、心配してくれてたの?」

「するに、決まってんじゃないの。あんたはあたしの弟なんだから」

そっぽを向いていうと、あちらも照れているらしい。

後頭部に手を当てて、どうしたらよいのかと考えている。

「あたしだってね、十三から十四の時にお祖父様やお祖母様が相次いで、儚くなられたのを思い出してね。同じ事が起きるのじゃないかって、気が気じゃなかったわ」

そんなことになってほしくなかったのよ、といった。

義隆は眼を潤ませていた。

悲しげな表情になり、あたしの袖をつかんだ。

「姉上はお祖母様のこと、よく覚えているだろ?いつも、うらやましかった。僕が生まれたことで、体が弱ってしまった母上を見て、お祖母様は『不吉な子』だといって、受け入れてはくださらなかったから…」

あたしは弟の話を聞いてやることしかできなかった。

ただ、握られた袖を放すことなく、肩を軽く叩いてやる。

「だから、姉上。今回は良いけど。無茶はしないでほしい。女御様にも心配をかけさせてほしくないんだ。そこの辺りは…」

「わかったから。今はおとなしく、寝てなさいな」

そう言うと、義隆はようやく袖を放してくれた。

あたしは立ち上がると、そのまま、部屋を出た。

確かに、お祖母様は母であった奏子(かなこ)様が若くして、亡くなられたことをずっと、残念がっていた。

そのせいで、お祖母様は義隆に冷たかった。

父上が早くに引き取ったのも要因だろう。

あたしは部屋へ帰った。

すると、鈴鹿が話しかけてきた。

「姫様。お文読みましたよ。弟君はどうでしたか?」

「大丈夫よ。ちょっと、やつれてたけど。熱が下がったんだって、衛門が教えてくれたわ」

「そうでしたか。それは良かったですね。重い病だったら、どうしようかと思っていましたの」

あからさまに、ほうとため息をつく。

よっぽど、心配だったらしい。

「心労からくるんだったら、ゆっくり休んでいれば、治るわよ。お医師のいうことは当たっていると思う。あたしが後宮にいたから、気になって、仕方なかったのかもね。でね、顔を見せたら、あの子、何て言ったと思う?」

「さあ、私にはわかりませんわ」

「幻なのか、ていったのよ。あの時はさすがに腹が立ったけど。見舞いにせっかく、行ったのに。かけられた言葉がそれなんだから。つい、手が出てしまったけど」

「姫様も相変わらずですわね。弟君をぶたなくても良いでしょうに」

仕方のない方ですわねと鈴鹿は言った。 あたしはそんなことないと言ってやりたかったけど、我慢する。

まあ、義隆が思いのほか、元気だったので、一安心といった所だった。



その後、後宮を勝手に抜け出したのが父上や弟にばれてしまった。

まず、真っ先に呼び出したのは父上だった。

「…香子。おまえ、女御様の許可なしに飛香舎から抜け出したというのは本当なのか?女御様から、文が来ておったので、確かめたが。おまえが探してもどこにもいないというし。こちらに、御直筆の文を出されたのは、どういうことかわかっているのだろうな」

「わかっています。それでも、義隆のことが気になったから、帰ってきたんです」

「おまえはいつも、そうだ。後先省みず、突飛なことをする。だが、今回は許すわけにはいかん」

「…父上?」

「明日には後宮に戻れ。そして、女御様に謝ってくるのだ。わかったな」

はい、答えると。

父上は持っていた桧扇(ひおうぎ)を開き、口元を隠した。

さっと、風が吹いた。

几帳や壁代(かべしろ)が舞い上げられる。ひらひらとまだ色づいてない楓の若葉が宙にまう。

それを目で追いながら、あたしは手をついて頭を下げた。



簀子に出ると、その若葉があたしの手の平に落ちてきた。

けれど、それはすぐにくたりとなり、瑞々しさはなくなってしまう。

あたしはそれを見終えると、若葉から手を放す。

地面に落ちた時に、鈴鹿がやってきた。 「姫様、若君がお呼びですよ」

鈴鹿からそれを聞いて、あたしは逃げ出したくなった。

今度は弟か。

さぞかし、怒っているんだろうな。

そう思いながらも、仕方なく、義隆の部屋へと行った。

「…姉上。父上から、相当怒られたみたいだね」

あたしが部屋に来て、第一声がそれであった。

「何で知っているのよ、そんなこと」

惟政(これまさ)から聞いたんだよ。でもまあ、怒られて当たり前だしね」

惟政といったら、義隆の乳兄弟で腹心の部下である。

つまり、あいつが父上に説教されたことを弟にばらしたのだ。

後で、締め上げるの決定ね。

顔では笑いながらも、胸中の怒りは沸点に達していた。

「そう。惟政からきいたの。だったら、仕方ないわね」

あたしはすっくと立ち上がった。

簀子に控えていた衛門に声をかける。

「衛門。惟政を呼んできて。話したいことがあるからっていえば、来ると思うから」

はあという衛門だったが。

仕方がないといわんばかりに、立ち去った。



それを黙って、眺めていた義隆は苦笑している。

「まさか、姉上。惟政を呼んで、何かする気?」

「…そうよ。あいつを締め上げようと思ってね。あんたも覚悟してなさい」

おどし文句でいうと、少し焦ったような表情をする。

「何で、そうなるわけ。僕は事実をいっただけじゃないか!」

「まあ、あんたは病人なんだし。これくらいにしておいてあげる。たく、余計なこというから、こうなるのよ」

ぼそりと付け加えると、義隆は黙り込んだ。



「…姫様。惟政さんを呼びましたけど」

いつのまにか、部屋の隅に衛門が座っていた。

そして、その横には白い狩衣姿の男が同じように控えていた。

「大姫様、私をお呼びと伺いましたが。何かご用でしょうか」

生真面目な口調で言ってきたので、あたしは意地悪に返してやった。

我ながら、子供っぽいと思うけど。

「あんたでしょ。あたしが後宮を勝手に出て、父上に説教されたのをばらしたのは」

「確かに申し上げましたが。でも、それを言うのでしたら、父君や弟である少将様にご心配をおかけし、女御様を困らせておられる姫君にも問題はおありかと。私に言うのでしたら、筋違いもはなはだしいものです」

ずばり、言ってみせた惟政は涼しい顔をして、どこ吹く風だ。

それがよけいに腹が立つのだ。

「あたしだってね。好きで後宮に行ったんじゃないわ。女御様には申し訳ないとは思ってるけど。だからって、あんたにだけはいわれたくないわ」

「でしたら、早急に後宮へお戻りを。右大臣様や大納言様がお怒りになります故」

「嫌よ。飛香舎には戻らない。東宮様のお妃なんて、まっぴらごめんよ。誰とも結婚しないで、お寺に行って、髪を切って出家できるんだったら、そっちの方がよっぽどましだわ」

あたしがそう口にした途端に、惟政や義隆の表情が一変した。「姉上。そんなことを言っていたら、本当に伯父上を怒らせることになる。無理矢理、入内させられて、閉じこめられる。逃げ出さないように見張り役までつけられて。それでも、良いのかい?」

厳しい表情で言ってくるのをみて、あたしは少し、体がすくんだ。

あの右大臣の伯父上だったら、やりかねないだろう。

だから、女御様は、 「実家へ帰りたいのだったら、すぐにでも」

とかいってきたのか。

何となく、女御様のおっしゃったことの意味がわかったような気がした。

「若君のおっしゃる通りです。姫様は戻られるべきです。ひとまずは女御様にご報告を」

惟政はさっさと退出した。

衛門もあとをついて行ったようだった。振り返ると、義隆は笑っていた。

「姉上の言いたいことはわかってるよ。僕と父上で伯父上を説得してみる。女御様が味方になってくださったら、心強いんだけどね。まあ、そういうわけにはいかないだろうな。頑張ってはみるけど」

「でも、義隆はあたしの入内に賛成してたんじゃないの?どうして、味方になるようなことを…」

「うん。とある人のためかな。ずっと、姉上を好きだった友人がいてね。彼が何にも行動を取る気配がなかったから。そうして、焚きつけてるんだよ」

意味がわからない。友成を焚きつけたって。

けど、そうする必要がどこにあるのだろう。

あたしは結婚するつもりも付き合うつもりもないのに。

ただ、静かに暮らしたいだけ。

それが友成であっても、変わらない。

今となっては、色恋事なんてわずらわしいだけだ。

「だから、姉上の元へ行かせたんだよ。中将殿に取られる前にね」

義隆はにこりと不敵にも思える笑顔を浮かべた。

このまま、大丈夫なんだろうかと思えるほどに冷たい何かを感じた。

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