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千の夜  作者: 入江 涼子
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第三章 風に若葉は散る

その後、友成は塗籠から出ると、しばらく、自分の実家について、話をしてくれた。

「…もともと、中将、宗明(むねあき)の兄上の実の母君は先内大臣の一の姫であった方なんだ。父宮の最初の北の方、つまり、正妻だったらしい。その方がお生みになったのが宗明の兄上。けれど、兄上が生まれた後、その方は病で寝込んでしまわれてね」

そして、兵部卿宮様にはその中将の母君だけではなく、もう一人、奥方がいらした。

それが先々帝の第二皇女であられる女二の宮様。

どうも、その二の宮様が降嫁なさったことを一の姫こと母君は大層、気にしていたらしい。

そりゃあ、悩んで当然よね。

「母君は一番目の歴とした正妻だったけど、二の宮が降嫁なさった時にまだ、子が生まれていなかった。それに、身分でいったって、二の宮の方が上だしね。若く、身分の高い方に正妻の座を奪われたようなものだし」

父宮と中将の母君はそれ以来、冷え切った仲となってしまった。

「…何だか、随分とおいたわしい話よね。中将の母君がお可哀想だやわ」

「まあ、そうだよね。お気の毒とは思うよ。けど、翌年の秋頃だったか。その母君は亡くなられてね。子が長年、お生まれでなかった二の宮が養子として、兄上をお引き取りなったんだ」

その後、翌年の春頃に二の宮がご懐妊なさり、友成が生まれた。

兵部卿宮様は王の立場にあった宗明、中将と友成を臣籍降下させた。

先帝から、『源』の姓を賜り、今に至る。

「ふうん。そうだったのね」

あたしは感慨深く、肯いた。

ちなみに、兵部卿宮家には、後に三人の姫君がいる。

「それから、また数年経って、今内大臣家の一の姫と結婚なさって、生まれたのが久子(ながこ)と頼子の二人だよ。二の宮、僕の母上は、基子をお生みになった。八年前に妹二人の母君が亡くなって。六年前には僕の母上が亡くなって…」

そして、後になって、残された子供たち。

その全員を引き取り、手元に置いて、父宮がお育てになったという。

けれど、兵部卿宮様もおいたわしい方だわ。

一番最初の北の方や再婚なさった奥方を次々と亡くされて。最後には、二の宮様までが友成や中将、妹君たちを置いて、亡くなられた。

「さすがに、母上が亡くなられた後は父宮もとても、悲しまれてね。以前は多少、遊び人な所がおありだったのに、ぱったりとそれをされなくなって。僕や兄上たちの世話をしたり、写経や楽に傾倒されるようになった、没頭しているといっても、よいほどになられたんだ」

あたしはしんみりとした気持ちでそれを聞いていた。

友成の家も色々と大変だったのね。

あたしがそう思っていると、二重のぱっちりとした薄めの茶色の瞳で見つめてきた。

「ごめんよ。姫に聞かせるべきではなかった。こんな暗い話をするために来たんじゃないけどね」

苦笑しながらいうと、友成は袖を探った。

出てきたのは、紫草だった。

そこには、小さく折り畳んだ文が結びつけてあった。

「可愛らしい花ね。わざわざ、取ってきてくれたの?」

「そうだよ。姫が気に入ってくれるかな、と思ってね。文は適当に読んでくれたらいいよ」

そう言って、友成は顔を赤らめながらも、立ち上がった。

それでは、と言いながら、友成は去っていった。



紫草に結びつけられた文にはこんなことが書いてあった。

〈武蔵野の現ともなる闇夜にて

紫草のゆえともならむ〉

(武蔵野での闇夜の出会いも現実になるだろう。紫草の由縁になればいいのだが)という意味になるだろうか。

裏の意味では(真っ暗な闇夜でも現実になってくれれば、と思う)とかも含まれる。これも恋の呼びかけってものなのかしら。

あたしは、考え込んでしまって、夜、なかなか眠れなかった。



翌日、高倉侍従が朝の仕度を手伝いに来てくれた。

「おはようございます。姫様、よくおやすみになれましたか?」

角盥(つのだらい)を持ってきてもらい、それで、顔を洗った。

麻布が出されて、それで拭いている間に侍従はあら、と声を上げた。

文机(ふづくえ)の上に置いていたのを見つけたようだった。 「…夕顔の花と紫草の花ですか。きれいなお花だわ。どなたかに頂いたのですか?」

「夕顔は宰相中将で紫草は友成からよ」

「まあ。左京大夫である友成様からもお花を頂くなんて。わたくしや他の女房でも駄目でしたのに。うらやましいですわ」

拭き終えたあたしの目の前で侍従は顔をほんのりと赤らめて、浮かれている。

うらやましい、か。あたしにはそう思えなかった。

二人とも自分の言いたいこといって、帰ってしまったのだ。 混乱するばかりで、こちらは困っている。

その後だった。

宰相中将と友成、宮家の長子と次子から、恋文を送られた女房がいると、後宮では噂が広まったのであった。

あたしにとっては、ありがた迷惑だけどね。



現在、やっと、文月も終わり、葉月が来ようとしていた。

あたしが後宮にやってきてから、半月が経とうとしている。さすがに、今になって、宮中での生活も慣れてきた頃だけど。

あたしは主に典子姉様、女御様のお話相手をしたり、連絡役を任されたりしていた。

最初は戸惑うことも多かったけど、少しは板についてきたといえる。

「…香子姫。いえ、東の君。少しは後宮に慣れましたか?」

女御様がにこやかに笑いながら、おっしゃった。

あたしが正式に藤壷女御様付きの女房になったのが、乞興殿(きっこうでん)の宴の翌日だった。

その時に与えられた名が『東の君』。

東三条に住んでいることから、取ったのだ。

だから、あたしは東のだの大姫とか呼ばれているのだった。

「今の時期、行事が少なくて安心しています。宴があまりなかったから、慣れるのも早かったかと」

「まあ、そうでしたの。叔父上も心配していましたよ。姫が宮仕えをして、大丈夫だろうかと」

「まだ、そんなことを。大丈夫だと言っているのに」

あたしはそう、独り言をいった。

女御様の御前ではあっても、やはり、ため息をつく。

父上も相変わらずというか。

「叔父上もそれだけ、気がかりになられているのですわ。何といっても、叔母上が残された忘れ形見ですもの」

「女御様。他の人に聞かれてもまずい話ですし。それ以上は…」

あたしがそう注意をすると、女御様は扇で顔を隠した。

「…確かに、そのとおりですけど。でも、わたくしだって、あなたのことが心配なの。『一生、結婚しない』と叔父上に言っていたことは侍従から、聞いているのよ」

「…姉様。それ、本当なのですか?」

こくりと、肯かれた。

「ええ。時々、こちらに来られては、『娘の結婚をうまく進めるためにも、藤壷様に相談させていただきたい』とおっしゃっていて。今回の出仕が決まったのも、侍従が父上、()大臣(おとど)に申し上げたからです。そうしたら、父上はわたくしに子が生まれていないから、あなたを主上か東宮様に入内させようか、と考えて…」

そして、はらはらと泣いてしまわれた。

「そうしたら、母上は猛反対なさったの。少しは姪である香子姫の気持ちを考えるべきだと。わたくし、不覚にもほっとしました。あなたが主上の妃となられたら、従姉妹同士で寵を争わなければならない。それだけは避けておきたかったのです。だから、姫。暇乞い(いとまごい)をしたくなったら、いつでも、言ってください。すぐにでも、実家(さと)へお帰ししますから」

泣きながらも、真剣な調子でおっしゃる。

でも、今のご時世、従姉妹や姉妹で後宮に入り、寵を競うなんて、当たり前ねように思われている。腹違いの兄弟であれども、古代では婚姻が許されていたほどだ。

だが、今ではそれを禁忌としている。

結局、女御様のおっしゃりたいことは、あたしが恋敵になれば、厄介なことになるという事だ。

まあ、あたしだって、それは正直、嫌である。

もし、帝のお妃にそのまま、なってしまったら。

きっと、伯父上を恨むだろう。

「…でも、東宮様のお妃でもあまり、変わらないように感じます。伯父上と会った時に今上や東宮様のお妃にはならないって、言っておきます」

あたしは本心から、そういった。

それにしたって、伯父上もひどいことをいうわよね。

『子が生まれていない』って、女にとっては結構、痛手になるのだ。

だから、より若いあたしが選ばれたのだ。

でも、女御様こと典子姉様だって、入内して、四年経つといっても、十九歳くらいにはなられている。

まだまだ、お若いのに、大変だな。

いつできるかもわからない皇子を期待しての後宮入りなんて、また、夢の話だ。 ちなみに、藤壷女御様の他にも、今上にはお二人、妃がおられる。

それでも、その中でも、今上の寵愛を一身に受けて、時めいておられるのだ。

とはいっても、東宮様のご生母であられる麗景殿女御、皇子をお二人もお生みになられた登華殿女御という歴とした方がおられる。

ちなみに、東宮様の妹である女一宮様も麗景殿様の御子である。

でも、御子様が四人もできている中で、よく後宮へ入らせたものよね。

「香子…」

ぽつりと、あたしの名を呼ばれる。

「わたくし、実家へ帰りたい。ここでは一番最初に入られた麗景殿様のお生みになられた淳明親王が東宮になられていて。主上とも仲がよろしくていらっしゃる。子を生んでほしいという周りの期待がわたくしには苦しくて…」

「…女御様」

いつもであれば、明るく、はきはきした感じでいられるのに。

どうも、様子がおかしい。

あたしが尋ねようと思った矢先だった。女房がやってきた。

「…姫様、東の君にお文が届いております。どうも、急なお知らせのようで…」

それを聞いて、素早く立ち上がる。

「参ります、案内を」

女房に先導を頼み、簀子へと下りる。

早速、文を受け取ると、宛名と筆跡()で鈴鹿であることがわかった。

中身はこう書いてあった。

〈姫様、いかがお過ごしでしょうか。後宮に入られて、半月が過ぎようとしております。さて、今回、お文を届ける次第になったのは、弟君のことだからです。高熱が出て、つい、昨日の夜にお倒れになったのです。医師によると、心労からくるものだと、いわれました。大納言の殿も姫様を一時的にで良いから、暇乞いをして帰ってくるように、おっしゃっていました。では、取り置き一筆まで〉

とか、書いてあり、あたしは唖然とした。

まさか、弟の義隆が倒れるなんて。

さすがにありえない。

だが、人の命は儚いもの。

急いで、局の方へ歩き出した。

その間に、あたしは女房に、『東三条へ帰るから』と言伝(ことづて)を頼んでおいた。



局に到着すると、引き戸を勢いよく、開けた。

唐衣を一旦脱いで、几帳にかける。

(すずり)と筆などを用意して、返しの文を書いた。

〈鈴鹿、義隆のこと、知らせてくれてありがとう。早速、後宮を出て、東三条へ向かうから。待っていてね。香子〉

短めに終わらせると、そのまま、細く折り畳む。

もう一度、唐衣を着た。

簡単に結ぶと、文机から立ち上がり、外へ出た。

懐に入れると、すぐに車宿りまで向かう。



「誰か、牛車を!藤壷の者です!」

大声を出してみた。誰も来ないと思っていたが、一人の従者が運良く気がついてくれ、牛車が一輌用意された。

飛び込むように乗り込むと、ゆっくりとだが、動き出した。あたしは手を合わせると、義隆の病状が良くなってくれるようにと祈った。

いるかどうかわからないけど、御仏を思い浮かべてみる。

今の自分にできることは何もないに等しい。

だから、祈ってみた。

(どうか、弟よ。無事でいて!)

実家に着くまで、あたしは牛車の中で拝み続けた。


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