飛香舎にてその二
あの子は衣冠の装束なんだけど、武官用の冠を被っている。上衣は包だ。
下の指貫は二藍の薄めのものである。
包は赤みがかった黄色で、五位の者の色。
どちらかというと、地味な感じがする。でも、義隆の横顔は以前、会った時よりも大人びてきていて、凛々しい。
もともと、顔はすっきりとした細面なんだよね。
それがさらに、頬の辺りがやせて、精悍な雰囲気も漂わせている。
地味な衣装がそれを逆に引き立てているようだった。
我が弟ながら、本当に見とれてしまう。全く、こんなのが弟だっていうんだからね。
世の中って、つくづく、不公平だわ。
隣にいる侍従の憧れる気持ちもわからなくはないんだけど。性格は真面目すぎるのがたまに、傷かな。
父上はというと、直衣姿である。
はなだ色の夏直衣の下に蘇芳襲を二枚ほど、重ねている。
下の指貫も薄萌葱色で、少し、若作りをしているかなと思う。
義隆の方がこんな明るい色の衣を着てもいいのにな。
姉としては、それが気がかりだった。
あの子だって、顔はなかなかのものなんだから、もっと、おしゃれしたって、良いのよ。
でも、やっぱり、そういうのにはもの凄く、疎いのよね。
「女御殿、わたしかりもご挨拶申し上げましょうかな。ご機嫌もよろしそうで何よりです。さて、先日、こちらから、内々の御使いがよこされたとのことだそうで。わたしもその時は参内していたものですから、聞いたのは夜も大分、更けてからなのです。一体、何用でよこされたのか、聞かせてはいただけませんかな?」
父上がいつもの仏頂面で、けれど、丁寧にいう。
女房が心得顔で女御様に伝えているのだろう。
御簾越しにひそひそと返事を伝える声がかすかに、聞こえてくる。
父上はさすが、堂々としている。
義隆は女房たちが熱いまなざしを送っているせいか、それが気になるようだった。
顔が上気して、ほんのりと赤みを帯びている。
侍従なんて、そんな様子も見逃すまいと、目の色が変わっている。
そわそわと落ち着かず、義隆は持っていた蝙蝠をぱっと開き、顔を半分、隠した。
その仕草をみて、あたしは気の毒になってしまった。
そりゃ、あの子としてはこんな後宮な来るのも一つの仕事だろうけど。
でも、根がウブだから、たくさんの人たちにじっと、見られているのも恥ずかしくて、耐えられないわよね。
何といっても、あの子はまだ、十五歳なんだし。
「姫君が気に掛かり、一回、後宮へ来られるのをお勧めしてみようと思った次第です。叔父上には急のことで申し訳ないと、反省しております」
女房が優雅に手をついて、述べた。
父上はにっこりと笑った。
「いやいや、女御殿。そんな気を使われなくても、良いですよ。あの子には、昔から、手を焼いておりましてな。なかなか、姫らしい振る舞いわ身につけてくれませんよ。おかげで、未だに縁談がまとまらなきて、困っていた所なのです。いっそ、女御様の女房として、宮仕えをさせようかとも考えていたのですが」
父上は少し、言い過ぎたというように、はっと、口をつぐんだ。
義隆もちらっと、父上に視線を送る。
女御様もあたしが几帳の影にいるので、気が気ではないだろう。
あたしはというと、それはもっともなことなので、申し訳ない気分になっていた。
まあ、父上の本音も聞けたし。
「いいえ、姫君のこと、わたくしといたしましても、気に掛かっていたのです。急な申し出ではあるし、遠慮すべきと思いましたけど。こちらから、呼びかけても良いのではないかとも考えまして」
父上は黙って、それを聞いていた。
義隆が父上を伺うようにして、見てくる。
父上は横目で『答えろ』と合図を送っているようだ。
義隆は少し、嫌そうな表情をしたけど、意を決したように前を向いて言った。
「…女御様のお呼びかけ、姉もさぞかし、喜んだろうと思います。縁談のことでは、父上同様、気にかけておられること、聞き及んでおりました。わたしも姉のことを心配しているのですが」
まるで、紙に書いてある文章を棒読みするような口調だ。
義隆にはそれが精一杯なのだろう。
でも、侍従は、今ではほぅと見入ってしまっている。
「少将殿のおっしゃること、ごもっともでございます。何でも、姫君は『一生、結婚しない』と訴えられたそうですね。本当のことなのでしょうか?」
なんだか、あたしの話題でもちきりになってしまっている。どうして、こうなるの。
「毎日、姉上は父上が説教を始めると、いつもそう言っているんです。おかげで、大喧嘩わする始末で」
義隆は表情が和らいで、くだけた口調で言った。
すると、周りの女房たちがくすくすと、袖で隠しながら、おかしそうに笑った。 御簾の向こうにおられる女御様までが忍び笑いをしていらっしゃる。
女御様はたしなみがおありだから、いいのだけど。
父上は顔を赤らめて、恥ずかしそうにしている。
おほんっと、咳払いをした。
「まあ、そういうわけでしてな。我々といたしましても、あの子が後宮に宮仕えをしてくれれば、少しは女らしい振る舞いを身につけてくれることを祈るばかりです。親としては早く、良い公達に出会ってくれる日を待つことが何よりの日課になりましょうな」
「まあ、大納言様。それは姫君に失礼かと」
女房がやんわりと、注意をしてきた。
「年を取りますと、こんな愚痴も出てくるものでしてな」
父上は機嫌良く笑って、義隆に視線を向ける。
「息子の義隆も今では、立派に成人してくれて、何よりですよ。男の子はそれなりに、気が楽だからいいのだが。女の子となると、そうもいかないものでして。それより、今日は昼頃から、乞興殿の催しで、女楽をこちらでなさると伺ったのだが」
「はい。そうですわ。香子姫様にも琴を弾いていただきたいと思いまして」
「あの子が琴を?それは無理というものでしょう。あの子はもともと、楽のようなものは苦手で。反対に、心配になりますよ」
さすが、親なだけあって、あたしの性分をわかっている。
父上だったら、真っ先に言いそうなことよ。
あたしは我慢しきれなくなって、几帳から、そっと、這いずり出た。
もう、頭にきた。
あれだけ、いわれたら、誰だって、頭にくるに決まっている。
父上、それにかわいい弟の義隆。
あたしがこれだけ、こけにされて、黙っていない性格だっていうのはわかってるわよね?
目にもの、見せてやろうじゃないのよ! あたしは、庇の間の中央辺りへとずかずかと歩いて行った。途端に、父上は大きく目を見張り、真っ赤な顔をしていた。義隆に至っては、呆然としていて、顔は真っ青。
二人とも、扇を取り落としそうなくらい、驚いていた。
「な。香子、いつから、そこに…」
言葉も途切れがちに、絞り出すような声で父上がいった。
「父上たちがここへ来るずっと、前からいたわよ。それにしても、さんざん、あたしを悪者扱いしてくれたようね。確かに琴は、決して、うまくはないけれど。あたしなりに、練習してたのよ。さっきから、無理とか言ってるけどね。あたしだって、箏の琴くらい弾けるんだから!」
そして、弟を見る。 「…それと、義隆。あんたにも、言っておくわ。今度、あたしと父上が大喧嘩をしてると、誰かに話したりすれば。ただじゃあ、おかないからね」
あたしは、それだけの事を言って、ざまあみろと肩で大きく息をした。
ああ、言いたいこといったら、すっきりした。
「ひ、姫様。それに大納言様、少将様。あの、ここはひとまず…」
さっきまで、呆然としていた侍従がはっと、我に返ったように、あわてて、間に割って入った。
父上と義隆は何とか、落ち着きを取り戻し、二人とも礼をする。
すっくと立ち上がり、父上を先頭に退出していった。
それを見送った後、侍従はあたしにいった。
「姫様。お怒りになるのはわたくしにもわかります。ですけど、こういう時はじっと、こらえるものなのですよ」
「ほんに、香子姫はお元気だこと。でも、叔父上と弟君はたいそう、驚かれていたけど。香子姫、女楽の時、あなたは見ているだけでよろしいですよ。わざわざ、お弾きになることもないのだし」
「はあ。その方がよろしいですか?」
「琴を弾くのは姫のご性分には合わないでしょう?ここはわたくしに任せて。姫は局に行っていただきますから。ゆっくり、休んでください」
女御様は心配しないで、というようにおっしゃる。
あたしは渋々、局ー控え室に退がるのを承諾した。
女房の先導で、襖障子と塗籠で、仕切られた小部屋に入った。
ここは女房用のお局なのだ。
あたしは、昨夜、本当にあまり、寝ていなかった。
唐衣を脱いで、畳の上に寝転がった。
そうしている内に、寝てしまっていた。いろんなことがありすぎて、頭が痛かった。