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千の夜  作者: 入江 涼子
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第一章 飛香舎にて

「香子様、大丈夫ですか?何やら、お顔色がよくありませんわ」

心配そうに、侍従が言う。

さっきまで、衣装が重いのと、初めて参内するのとで、ぼうっとなっていたのだ。

侍従の言葉で、はっと我に返る。

がらがらと牛車の車輪の音がしていた。あたしは侍従と共に、中にいた。

「…大丈夫よ。侍従だって、長いこと待たされて、疲れたんじゃないの?」

「いいえ、そのようなお気遣いは無用です。待つこともできなくては、女房は務まりませんもの。急なお申し出でしたから、さぞかし、姫様の方がお疲れだろうと、心配だったのです」

「そう。侍従も真面目な所は相変わらずね」

あたしは笑いながら、言った。

侍従は少し、顔を赤くする。

恥ずかしそうに、顔を扇で半分ほど、隠してしまった。

別にからかうつもりで、言ったんじゃないのに。

そんなに、嫌だったのだろうか。

「…姫様、やっと、お笑いになりましたわね。でも、あの、わたくし…」

顔を赤らめつつ、呟いた。

何を言おうとしているのか、今一つ、わからない。

それでも、徐々にではあるが、牛車は内裏へと進んでいた。 物見窓から、外をうかがってみたら、門らしき物が見える。あそこから、大内裏の中へと入り、進んでいくのだ。

丑寅を避けて、内裏へと続く門の近くに、牛車を停める。

ここからは、侍従の先導で後宮まで、歩いていく。

牛車のままでは、特別に勅許が必要らしい。

女房に下りるわけがないので、直接、徒歩で行くのだ。

大内裏は随分と薄暗くて、竹林や林があるみたいで、さわさわと葉ずれの音がする。

今は夜明け前くらいなのか、空が白み始めている。

段々と歩いて行く内に、飛香舎ー藤壷が見えてきた。



やがて、藤壷にたどりつき、女御様付きの女房が挨拶をしに、簀子に座り、頭を下げた。

「まあ、高倉侍従さん、ご苦労でございます」

まず、侍従に丁寧に挨拶をする。

この藤壷の女房の中では、侍従は典子姉様の乳母の子、つまり、乳姉妹(ちしまい)になるから、一目置かれているらしい。 「香子姫様ですね?よくお越しくださいました。女御様がお待ちかねでいらっしゃいます。皆様が来られたこと、お伝えいたしますので」

さ、こちらにと言って、御簾を巻き上げた。

あたしはそろりと、くぐり、部屋に入った。

中には人があまり、いない。

まだ、明け方近くだし、皆、局にこもってるのかな。

その内、さわさわと女房たちが現れ、庇の間で、立ち尽くしていたあたしを見つけて、座をもうけてくれた。

「申し訳ありません。わたくしたちも、準備で忙しくて。あまり、気が回らなかったようで…」

一人が詫びてきた。 「良いのよ。突然の訪問でこちらが申し訳ないわ」

あたしは、やんわりとねぎらった。


そうしている間に、先触れの女房がやってきて、頭を下げた。

「藤壷女御様、おでましになりました」

その声が合図のようで、御簾を下ろしきっている一段高い居間で人の気配がしたのであった。

とうとう、典子姉様のお出ましだ。

なつかしい、やっと、会えるんだ。

あたしは嬉しくって、扇で口元を隠しつつ、にんまりと笑ってしまった。

「高倉侍従、ご苦労でしたね。あら、そちらにいられるのは…」

御簾の向こうで、典子姉様の声がした。かれこれ、四年ぶりに聞く。

あまり、変わっていないけれど、それでも、昔より、貫禄が出てきたようだ。

いかにも、女御様といった感じだ。

「どなただったかしら?何と、おっしゃったか、皆、わからない?」

あたしのことをおっしゃっているらしい。

ここが姉様の困った所だ。

周りの女房たちは言いあぐねているのか、笑っていいのか、迷っているみたいだった。

「…大納言家の香子です、女御様」

あたしは仕方ないので、言った。

すると、くすくすと笑う声がした。

「そうでしたわね。ねえ、皆。この方は大納言家の大君(おおいぎみ)だったわ。やっと、思い出せた」

面白そうにおっしゃる。

周りの女房たちも、扇や袖で口元を隠しながら、笑った。

途端に、しいんとなっていた雰囲気がぱっと、明るくなってくる。

華やいだ感じもいいわ、ほんと。

さっきまで、緊張してたのが、嘘みたいに体から、力が抜けていく。

「本当に、お久しぶりです。女御様」

すると、姉様はあら、といって、

「そんな堅苦しい挨拶はなさらないでくださいな。昔のように呼んでくださってもよいのですよ」

とおっしゃった。

「そんな。もったいないことでございます。今は女御のお立場でいらっしゃるんですし…」

「そんなこと。わたくしと姫の仲ではありませぬか。名前で呼んでくださってもかまいません」

女御様ー典子姉様はあたしにそう言った。

どう、答えたら、いいのかな。

「もう、御簾なんてうっとうしい。几帳も片づけてしまいましょう。その方がいいわ」

女房たちはいそいそと立ち上がった。

あっという間に、部屋の中はざわめきだした。

几帳は片づけられ、御簾も巻き上げられた。

一体、どうなさったのか。

そう思っていると、さわさわと女房たちは退がっていく。

何か、合図でもあったかのように、女房たちはいなくなった。

皆がいなくなる。

一段高い向こうには、女御様が微笑を浮かべて、座っておられた。

「はあ。本当にお懐かしいです、姉様」

つい、呟いてしまった。

すると、典子姉様は嬉しそうに笑った。 「そうそう、やっと、香子姫らしくなられた。それで良いのですよ。わたくし、堅苦しいのは苦手です」

「そうですか?普通にしていたつもりなんですけど」

典子姉様はふふと、また、笑った。

「そういう事を言っているんじゃないのよ。香子姫とせっかく、会えたのに。後宮ではそんな堅苦しい雰囲気は合いませんわ。やっぱり、明るく、華やかにしていた方がいいでしょう?あなたとお会いするのは、そんな雰囲気がぴったりですもの」

「はあ」

今一つ、姉様に話そうとするのだけど、こんな返事しかできない。

目の前にいる女御様は、四年前よりも品も艶やかさも増していて、ぴかぴかと光り輝くようだ。

それでいて、帝のお妃様でもあるわけだから。

不覚にも、かあっと、顔が熱くなった。ううむ、妃か。

「どうかなさったの?お顔が赤いわ、お熱でもあるのではないかしら」

心配そうな口調で、おっしゃる。

「いえ、そんなことは。ただ、あの…」

言っている間に、顔が赤くなってくるのがわかる。

何で、こんなにあらぬことを考えちゃうわけよ。

そんなこと、考えなくても良いのに。

でも、やっぱり、気になってしまうんだよね、こういうのって。

「本当にどうかなさったの?香子姫、今日はもう、お局にでも、退がられたほうがよいのでは…」

「…あ、はい!あの、大丈夫です。ただ、後宮に初めて来たものだから、緊張しているんだと思います」

「そうでしたの。だったら、いいのですよ。先ほどから、口数が少なくていらしたから、何事かと、思っていましたのよ。そうね、姫をここにお招きしたのはわたくしだったわ」

しっとりと、それでいて、楽しげに仰せになられた。

「あの、女御様」

「何か?」

「退出してもいいですか?あたし、もう昨夜、あまり休んでいなくて。なので、また明日にでも、ゆっくりとお話したいと思います」

はっきり言うと、姉様こと女御様は、少しがっかりなさったようだった。

「退出したいって、そんなにお体の調子がすぐれないのですか?」

「いえ。体は大丈夫ですわ。あたし、後宮に慣れるまでには時間がかかると思うんです。ですから、女御様、ご心配なさらないでくださいな」

一応、女御様にはこれぐらい、申し上げておかないと。

でも、どこまでも、あたしの体の心配をしてくださるのは有り難いけど。

あたし、そんなに子供じゃないんだけど。

姉様には、四歳か五歳ほどのお子さまに見えるのかな?

「姫がそうおっしゃるなら、いいのですよ。何やら、姫があの頃のように思えてきて。わたくし、弟君の左近少将殿とも物越しでお会いしたかったのですけど」

女御様は少し、考えるそぶりをなさった。

そして、こうおっしゃった。

「…ねえ、香子姫。少将殿はお元気でいらっしゃいますか?」

「ええ、弟の義隆だったら、元気にしています。でも、最近はお役職が忙しいらしくて、あまり会ってませんけど」

姉様は途端にほぅっと、ため息をつかれた。

「義隆殿はお忙しいのですか。お体を壊さなければ、いいのですけど」

「大丈夫ですよ。うちの義隆だって、姉であるあたしに似て、元気が取り柄ですのに」

「…そうでしたわね。弟君もお小さい頃から、利発な子だったわ」

笑われたのは良いけれど、すぐにまた、俯きがちになられる。

あたしはふと、気になった。

何で、こんなにも姉様は弟の義隆のことを心配しているのだろう。

気にはなったけど、あたしは敢えて、訊かなかった。



そのまま、しばらく、姉様と世間話をしていた。

すると、女房が簀子 に控えていた。

「女御様、大君にお伝えします。藤大納言様とご子息、左近少将の君が藤壷にご機嫌伺いで来られるそうです。姫様方、どうなさいます?」

少し、意味ありげにいう。

もし、後宮であたしがいるとなったら、父上たち、どんな顔をするか。

弟の義隆はたぶん、知らないだろう。

そんな訳で、あたしは女房に言った。

「…わかりました。後、あたしの姿は見えないようにしてください」

女房はくるりと体の向きを変えると、さやさやと歩き出す。あたしは、藤壷の庇の間の少し、目立たない所、几帳のかげに座った。

侍従が話を聞いたらしく、うまく、几帳をずらして隠してくれた。



やがて、先導の女房がきて、まだ、人の少ない殿舎内がざわめき始める。

侍従が側に寄ってきて、こそっと耳打ちをする。

「姫様」

「侍従?何、どうしたの」

「女房たちがざわめいていますでしょう?おわかりになります?」

侍従がそういうので、あたしは耳を澄ませてみた。

女房たちの騒ぐ声がはっきりと聞こえてくる。

「これがどうかしたの?」

「…実を申しますと、後宮では、弟君の左近少将様が評判になっていますの。女房たちの多くは、少将様がお通りになると、こちらを振り向いてくださらないかと、固唾を飲んで、待っているのですわ。でも、少将様はそう簡単に気をお許しにならなくて」

侍従はさらに、まくし立てる。

「皆、『身持ちがお堅いこと』と、それはもう、噂が絶えなくて。姫様、少将様にはどなたかおつき合いになっている方はいないか、ご存知ではありませんか?」

侍従は好奇心に満ちた表情で尋ねてきた。

要はそれが訊きたかったのか。

おつき合いといったら、裏を返せば、つまり、どなたか、恋人はいないのかってことなのだ。

あの真面目な、いや、真面目すぎて、堅物といってよいくらいだけど。

あの義隆に恋人なんて、いるわけないわよ。

でも、そういえば、侍従はどんな反応をするだろう。

試しにいってみた。

「あの子に、恋人なんていないわよ。もし、好きな人がいたとしても、片思いしているくらいじゃない?」

「そうでしょうか。ですけど、わたくし、気になるのです」

侍従はふと、黙った。

すぐに気配を察したらしく、表情は真剣なものになった。

持っていた扇で口元を隠し、正面を向いた。


さわさわと衣擦れの音をさせて、先導の女房の後に続き、父上と義隆が姿を現した。

几帳のかげにいると、何にも隔てがないのとは違って、これが不便なのだ。

庇の間の中央あたりに、父上と義隆が並んで、座っている。

「藤壷女御様、ご機嫌うるわしく、おめでたく存じます」

義隆が口上を述べる。

普通は年長者である父上が挨拶をするのに。

それにしたって、義隆の姿にあたしは見とれてしまっていた。


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