番外編ある日の一刻(香子姫編)
あの火事から、半月あまりが経った。だが、公達は人々の噂をものともせずに、通い続けていた。
相手の姫君は当年とって、十七歳。本来であれば、とっくに婿を取っていてもおかしくない年齢になっている。だというのに、今まで名だたる縁談話を蹴散らしてきたという過去を持つ。だが、父方は太政大臣家、母方は関白左大臣家でこの上もなく、身分、格式が高いというのは確か。だというのに、未だに独身でいるのはこの姫の勝ち気でお転婆な性分がそうさせていた。
父君は事の外、そのことで頭を悩ませ、弟君も状況を静観するしかなかった。 そんな姫のもとに、通ってきている男がいるらしいという風評が世間で立っていると弟君は知らされる。
最初は半信半疑だったが、日数が過ぎていくほど、彼は不信を募らせていく。「まさか…」という思いはあった。
今日も姫は公達の訪れを待つ。
「仕事で、来る時刻が遅くなります。だから、待っていなくてもかまいません」と、短く季節に合わせて、薄い蘇芳の料紙にはそう書いてある。それはつまり、もしかしたら来れないかもしれない、と暗に指していた。
それでもいい。彼が来てくれるのだったら。文を大事に胸元へ持っていく。
淡いものであった想いが少しずつ、強く激しい情念に変わる日がくるのだろうか。先のことはわからない。けれど、かまわない。誰にもこの想いだけは譲れない。好きな人はたった一人で十分だ。
自分をずっと愛し続けてくれる相手だったら、他には何もいらない。彼女は確信していた。
今まで、いろんな人に求婚されたりしたけれど。私はあの人さえいれば、それでいい。家が落ちぶれていこうとも、周囲から非難されようとも。これだけは私にとっての真実の恋。決して、後悔はしない。今生の別れがくるその時まで、私はずっと、一緒にいるあの人と。
小柄で華奢な少女は固く、貫いてゆこう、とまっすぐに空を見つめた。風がそれに応えるかのように、そっと、優しく吹いた。




