終章
左大臣家の事件が終幕になって半年が過ぎた。
夏が終わり、秋がやってきて。
冬になり、今は暦の上では春になっていた。
年が明けて、あたしは十八になった。
二月ー如月になって、邸に一本だけある梅の花が咲き始めている。
けれど、まだ風は冷たく、寒い日々が続いている。
去年は後宮へ行ったり、弟が病で寝込み、いろいろと大変ではあったけど、今上のご厚意により、麗景殿様方は後宮へと戻られた。
肩身の狭い思いをなさっているだろうけど、ご寵愛は以前よりも深く、仲もうまくいっておられるとのことであった。
源式部がわざわざ文で書いて、知らせてきてくれたのだ。
そんな事を思い出していると、肩をとんと叩かれた。
「…良い匂いがするね。梅でも眺めてたのかい?」
振り向いてみると、にこやかに笑う友成が立っていた。
そう、実はあたしと友成は去年の秋頃に婚約をしたのであった。
父上は守時の兄様か内大臣の若君との結婚を望んでいたのだけど、友成の熱心な説得な折れて、婚約を許してくれたのである。
『…まあ、左京大夫殿は身分や血筋が申し分ないし、わしにとっては姪に当たる方のご子息だからな。それに昔からよく知っているから、東宮様の妃として、後宮に入るよりも安心できる』とか、調子の良い事を言っていた。
「うん。綺麗に咲き始めたなと思って。友成の邸ではどうなの?」
「僕の邸では紅梅が半咲きくらいになっていてね。後もう少しで満開になるんじゃないかな」
友成はそう答えると、あたしの隣に座った。
「…うちは白梅だからね。見かけは綺麗だけど、匂いがしないのが欠点よね」
うつむきがちに言うと、友成がのぞき込んできた。
「もしよければ、うちの紅梅の枝でも贈ろうか?生けて飾れば、部屋の中でも見れるし。父宮にお願いすれば、何とかできると思うんだ」
あたしは驚いて、まじまじと見つめた。 「そんな。枝を折るんでしょう?父宮様に悪いわ」
気にすることはないと言いながら、友成はあたしの手を握ってきた。
「…まだ、東三条は再建の途中だからね。太秦の別邸にまで、持ってくるのはせめてもの僕からの餞別だよ」
火事で半焼してしまった東三条邸にも紅梅と白梅、両方植えられていた。
それも炎で真っ黒焦げになってしまった。
友成はそのことを知った上で自分の邸にある梅の一枝を分けるといってくれたのだ。
あたしはぐっと力を込めて、握り返した。
「いつか、梅が満開になったら。結婚しよう、香子」
ぽつりと口にした言葉。
あたしは呆気に取られて、友成の少し薄めの茶色の瞳をもう一度、見つめてしまう。
「…え。結婚て…」
あたしは困惑のあまり、二の句がつげないでいた。
「もちろん、僕と君がだよ」
いきなり、そんなこといわれても。
答えられず、黙り込んだ。
すっきりとした笑みに言われた事を思い出し、あたしはさらに驚いてしまったのだった。
それから、あたし達は無事に初夜をすませ、三日夜の儀式を終わらせて、夫婦になった。
穏やかに時間は流れていき、友成の妹である基子姫とうちの弟である義隆も翌年に結婚をした。
病もすっかり癒えて、義隆は元気になっていた。
友成と結婚をして二年程が経った頃、後宮から便りが届いた。
高倉侍従からの文であった。
これには、藤壷女御様がご懐妊なさったという事が書かれてあった。
じきに宿下がりをなさり、二条邸へ移られるという。
その知らせには友成も驚いていた。
「…まさか、後宮に入られて六年経って。やっと、ご懐妊とはね。妹の基子や父宮もすごく驚いていたよ」
「そりゃ、そうでしょうね。右大臣の伯父上の喜びようときたら、人目を気にしない程だもの」
あたしの肩にそろそろと手を回すと、ぶつぶつと呟く。
「まあ、その。藤壷様もおめでたになられたし。父宮から、『あれから、二年も経っているのに。まだ、できないのか?』て、直球でいわれたんだよね」
「…で、それがどうかしたの?」
「香子は鈍いなあ。僕らとの間に子が生まれていないのを父宮や大納言様がすごく気にしていてね。最初の数ヶ月くらいは何にも言われなかったんだけど。一年を過ぎた頃から、まだ、おめでたはないのかとせっつかれるようになって…」
最後には黙り込んでしまった。
ちなみに左京大夫から、参議にまで昇進した友成はあたし以外の妻をめとらず、ずっと、このままの状態でいる。
父君が三人もの妻を持って、不幸な結果になったようなことはしたくないのだと言っていた。
義隆もつい、去年の春頃に結婚をして五月程して、早々と基子姫がおめでたになったと聞いている。今は弥生に入り、もう七月目に入ったという。
まさか、兄よりも妹の方が早めにできたのだから、もう一人の兄である宗明中将と父君が大層驚いていたという。
五月ー夏頃になれば、弟の最初の子が生まれる。
「…だから、その。僕らもそろそろどうかなと思って…」
あたしはその言葉にどきりとしたけれど、にこやかに笑った。
友成はあたしの髪をなでる。
梅の花に代わり、山桜の薄桃色の花が咲く中、あたしはそっと目を閉じた。
「…香子、幸せになってね。それが私の願いだから」
生きていた頃、母上がよく言っていた。そよ風が吹く中、あたしはその言葉を思い出しながら、温もりに身を委ねていた。
千の夜 完
「千の夜」はこれにて終わりになります。読んでくださった方々、ありがとうございます。




