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千の夜  作者: 入江 涼子
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第七章 新たな真実

翌日、あたしはあまり眠れないままに朝を迎えた。

女御様や侍従に源式部と友成が調べてくれたことを話そうと思った。

身支度を整えると主殿へと向かう。

すぐに、他の女房達の中で侍従がいち早く気がついて、こちらへやってきた。

「…東の君、来られたのですね」

「ええ。来たわよ」

そう言うと、侍従はほっとしたような表情を浮かべた。

「昨日、麗景殿へ行かれたのですってね。何か、もめ事が起こりはしないかと肝が冷える心地でした」

肝が冷えるって大げさだ。

けれど、彼女にしてみればそうだったのだろう。

「あたしだって、後宮のしかも東宮様のご生母であられるお方の御所で暴れるわけないわよ。ちょっと、実家の火付けのことで知っているという女房がいてね。話を聞きに行っていたの」

「まあ、そうでしたの。それで、何か聞けたのですか?」

「うん。それについて、女御様にも報告をしておきたいから。侍従も一緒にきいてね」

侍従は真面目にうなずいてくれた。

その後、女御様がお出ましになったのを見計らって、犯人のこと、左大臣家にも関係あるらしいことなど報告した。

全てを話し終えると、人払いをしていた部屋の中で女御様の扇がぱちりと鳴った。

「よくぞ、そこまで調べられましたわね。姫のおっしゃっていること、左大臣家のことについては弟の頭中将も言っていました。信濃の女と何かつながりがありそうね」

さすがに、勘が良くていらっしゃる。

「…それで、女御様にお願いがあるんです。東宮様にお会いしたいのですけど」

唐突に言えば、侍従が慌てて声をかける。

「何をおっしゃいます!麗景殿様の息子であられる東宮様に会いたいなど。藤壷様に失礼なことを…」

あたしはその一言で、後宮では左大臣家と右大臣家が対立していることを肌で感じた。

それは入内しておられるお妃方にも影響するということをだ。

帝の元へ一番最初に後宮へ入られて、第一皇子―淳明親王をお生みになり、末は中宮か皇后宮になられるだろうと世間ではいわれている麗景殿様。

父君は左大臣で母君が宮家のご出身。

本名を已子(いし)姫とおっしゃる。

「…別にわたくしはかまいませんよ。東宮様と仲良くされても良いと思います。それで新たな手がかりが見つかるのであれば」

冷静に言う女御様に侍従は唖然としている。

「良いのでございますか、姫様」

「ええ。別にかまわないわ。東宮様にお願いして、極秘で調べて頂いてもよいのではないかと思うの」

にこりと笑いながら、そう仰せになる。とんでもないと反論する侍従をなだめすかし、飛香舎へ東宮様が来られる算段について話し合った。


女御様の御前を退出した後、局に戻ろうとした。

「…君が行く、道の長手を繰り畳ね、焼き滅ぼさむ…」

天の火もがもと優雅に歌う女の声。

こんな宮中で古代の歌、しかも不吉なものだ。

あたしは物の怪なんか苦手じゃないけれど、それでも不気味である。

何だろうと思って、声のした方へ歩いて確かめてみた。

そこには、裳唐衣姿の一人の女が立っていた。

横顔だが、とても美しい女だった。

切れ長の漆黒の瞳。同じく、たっぷりとした黒髪。

白い透き通るような肌。

それでいて、どこか憂いのある表情。

「…左近の桜はいつになったら、花を咲かすのか」

ぽつりと呟く言葉にはっとした。

左近の桜とこの人は言った。

桜の意味はよくわからないけど、左近ときいて、ぴんときた。

この女房、どうみたって怪しい。

けれど、迂闊に声をかければ、逃げられるかもしれないし。

「藤の御方も東の君も邪魔だわ。そうでしょう、中将様」

返事はない。

青い空にむなしく、響くだけだ。

あたしは我慢できなくなって、そろそろと通ろうとした。

「お待ちなさいな、そこのお方」

当然、呼び止められる。

互いに扇を持っていないため、自然と面と向かって話すことになる。

「…あら。この間、源式部さんと話をしていた人じゃないの。確か、東の君と呼ばれていた…」

「式部のことを知っているということはあんたが民部のおもとね」

あたしは、民部のおもとの片腕をつかんだ。

「思ったよりも早く、ばれてしまいましたわね。もう少し、時が掛かるとふんでいたのですけれど。残念だわ」

何が残念だ。

こっちだって、顔をさらして平気で歩いているこの女の神経を疑う。

「さっき、中将と言ったわね。もしかして、火付けをお前にさせたのはそいつなの?」

「…何をおっしゃっているのかわかりませんわ」

首を傾げて、しらをきる民部にあたしのイライラは頂点に達した。

「わからないって何よ。あたし達を焼き殺そうとしたくせしてよくいうわね」

それを聞いた時、民部のおもとは挑発するようにくすりと笑った。

そうしていると、美人だから様になるのが余計に癪に障った。

「左近少将様に用があるのです。あのお方にお近づきしたくってもできなかったから…」

「うちの弟に一体、何の用があるってのよ。命を頂戴するとか言うんじゃないでしょうね」

すると、あからさまに不機嫌な顔になる。

「…まあ、物騒なことを。お命を奪おうというつもりはありません。ただ、権中将様が少し勘違いをなさっていて。わたくしが少将様と文のやりとりをしていると思われていたようなのです。すごく、嫉妬をなさって、手下の男に東三条邸の偵察にゆかせていたと聞きました」

「それで、火付けの犯人をあんたは知っているの?」

あたしが言えば、民部のおもとは嘲りの笑みを浮かべた。

「知っていたらどうなさいます。検非違使にでも引き渡しますか?」

「…引き渡しはしないわ。ただ、あんたがしたのかと思っていたけど。違うみたいだということはわかった」

慎重に言えば、余計に民部の笑みは深くなった。

「あんたは手を貸しただけ。火付けを隠すための囮ね、いってみれば」

簡単にいっても、彼女は何も答えなかった。

「…手下の男にやらせたのは権中将ね」

もう一押しとばかりに口にすれば、民部は頷いた。

面白そうな表情をしている。

「さすがは都でも帝の覚えめでたい少将様の姉君だこと。その通りですわ。あなたや藤壷様が邪魔だとわたくしと会うたびにおっしゃっていました」

こんなすらすらと、事件の顛末を話していて良いのだろうか。

あたしは一抹の不安を覚えた。

絶対だとは思わないけど、中将に裏切ったとして命を狙われないだろうか。

口封じに消されやしないかと心配になってくる。

「…あの方が東三条に火を付けたのは東宮妃に右大臣の姪がなろうとしていることを阻止するために行ったのです。義隆君を巻き添えにするつもりはなかったのですけど」

「…何で、あたしが東宮妃になってはいけないのよ」

「あなたが東宮の男皇子をお生みになれば、次の帝の後見は藤大納言様になられます。権中将様は左の大臣(おとど)の末の姫、妹君を東宮様の妃として入内させようとお考えで。それが駄目だったら、ご自身の北の方との間にもうけられた今年で八つになる姫君をと。どうしても、右大臣の姪である香子姫の入内は面倒なことになるとかおっしゃっていました」

ふむとあたしはその話に合点がいった。つまり、あたしこと香子姫が入内して東宮様の御子をお生みすれば、当然、後見は父上がすることになる。

そういうことになれば、今まで宮中で権力を持ち、栄えていた左大臣家は終わりである。

ますます、右大臣家一派が力を持つことになる。

権中将はそれを警戒して、末の妹君の入内を思いついたのだろう。

だからって、あたしの家を燃やすなんてどうかしている。

「わざわざ、火付けをすることはなかったんじゃないの?他の方法だってあったはずなのに」

「それは権中将様に直接お聞きなさいませ。わたくしもそれのお手伝いをいたしましたけれど。火付けをしたのは左大臣家の下男です。香子姫さえいなければ、物事は順調に進んだのに…」

冷たい眼で見られて、あたしはぞっとした。

民部のおもとは踵を返すと、その場を後にして去っていった。



あたしは源式部に偽物の恋文を送ってもらった。

行き先は麗景殿のとある一室。

民部のおもとの筆跡を真似てもらえないかと頼めば、式部は渋々了承してくれた。

民部の部屋へ行き、こっそりと彼女の書いた文を拝借することにした。

世の中では盗みに入るけど仕方ない。

男手がいるので、友成にそれとなく言えば、こちらも二つ返事で了承してくれた。

権中将からの返事を待っているうちに半日が経った。



さて、来るかどうか。

途中で気づかれて、逃げられるかもしれない。

「けれど、本当に大丈夫でしょうか。東の君お一人で会うなど。危ないですよ」

「大丈夫よ。簀子縁に友成がいてくれるし。何かあった時には大きな声を出すから」

ですけどと式部は心配そうに言う。

最初は嫌みのある女房だと思っていたけど、打ち解けた今となっては味方となってくれていて頼もしい存在になっている。

敵であるはずなのに、すらすらと自分の手の内をみ見せた民部のおもとには首を傾げる点が多い。

囮役となっていたのを見破られたからだろうか。

いや、あたしの勘違いもありえる。

こんぐらがりそうな頭に目が回りそうになる。

「…これから、どうなることやら…」

式部の苦悩する声にはっと我に返った。

「式部さん、大炊の院から御文でございますよ」

女童の声がして振り向けば、女郎花にきれいに結ばれた文が届けられた。

可愛らしい女童の小さな手に握られた女郎花の黄色に少し見とれてしまう。

反対に式部は急いで受け取ると、女童に言い含めていた。

「絶対にこのお文のことを誰にもいってはなりませんよ。そなたやわたくし達にも累が及びますからね」

厳しくいってみせると、女童は逃げ出すように部屋から退出していった。

式部はゆっくりと女郎花に結びつけられた文をはずし、しわを伸ばしながら読み始めた。

〈女郎花あふるる野辺に立ち入れば夢てふものを見るやあらむ

信濃ー東生まれのあなたの大和琴の音をもう一度、聞かせてもらいたいものです〉


(女郎花があふれる程に咲いている野原に立ち入った。そこで、不思議な夢を見ました)という意味の歌が書かれていた。

うちの弟や友成が逆立ちしたって詠めないだろう。

恋歌にしちゃあ、うまく詠めている所が憎たらしい。

「…けれど、困りましたわね。東琴はわたくし、あまり弾けませんし…」

式部はあたしが恋文にけちをつける代わりに東琴を気にしている。

「そんなの、もしよかったら、うまい女房にいって弾いてくれるように頼んだら良いじゃない」

「そういうわけにはいきませんわ。他の女房にいったとしても成功するはずがないですね」

すっぱりと言い切られてしまった。

仕方ない。

友成に弾いてもらおうか。

けど、弾き方で男だとばれる可能性もある。

「そうだ。上手くはないけど、あたしが弾くわ」

「東の君。あなた、本当に弾けるのですか?」

当然、すごくうろんげな表情をされている。

自慢じゃないけど、お祖母様が得意で小さい頃から手ほどきを受けていたのだった。

まずまず、弾けるはずだ。

その後、式部に塗籠の中に入ってもらい、あたしは東琴を用意して座る。

友成の実家から持ってきてもらった物だ。

何でも、練習用に兄君や妹君達が使っていたらしい。

爪を付けて、少しかき鳴らしてみる。

音の調律を行った後で、練習に短い曲を弾いてみた。

すると、男の姿が几帳の隙間から見えた。

「…民部のおもと。いや。諏訪、珍しいね。催馬楽の『道の口』を弾くとは…」

桧扇で口元を隠しながら言う声は少し低めである。

顔をちらりと見ると、いかにも軽薄そうな男であった。

「民部のおもとはここにはいませんよ。中将様」

あたしが声を出すと、中将はえとだけ口にして、固まってしまった。

「民部からは話を聞いたわよ。末の妹君を東宮様の妃にしようとしているとか。それで、あたしが邪魔になって邸に火をつけさせたらしいわね?」

途端に中将は逆上して、大声で叫んだ。

「…な、何をいう!俺はそんなことしていない。確かに、大納言家の香子姫は邪魔であったが…」

「あの女はね、こうもいっていた。『中将様が下男にさせたんだ』って。どうして、あたし達を狙うの」


「だから、俺はそんなことを命じていない。下男が勝手にやったことだ!」

会話は平行線の状態でこれでは埒が明かない。

権中将は踵を返すと、部屋を出て行ってしまった。

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