射干玉その二
今回は一番、短いです。
「…飛香舎の女御様は主上のご寵愛が深くて。ほぼ、独占なさっておいでね」
「そんなことを言っていたら外に聞こえますよ。誰が聞いているのかわからないのに」
くすくすと笑う女の声がこちらの耳にまで聞こえてきた。
恋人同士の睦み合う所をお忍びで聞きにきたんじゃないわよ。
東宮様を通じて、女御様ことご生母のお方に会うために来たというのに。
どうも、人選を間違えたのか。
あたしはこのまま、帰ろうと立ち上がった。
やっぱり、友成と一緒に来るべきだった。
そう思っていると、さわさわと衣ずれの音がして、うつむきがちになっていた顔を上げた。
向こうも気づいたのか、早足でこちらへ来る。
「…あなたは東の君ではありませんか。どうして、こちらに」
その女房は以前、友成と聞き込みをしに行った時に紹介してくれた人であった。
「どうしても、火事のことが気になって。だから来たのよ。それよりあんた、名前は?」
「いきなり、何ですの?性急なこと」
「…あの時、あたしは名乗ったでしょ。友成はあんたのことを知っていたようだけど。女房名でも良いから、教えてちょうだい」
そう言うと、女房はため息をついた。
「わたくしは源式部と呼ばれております」
仕方ないといった調子で名乗ってくれた。
式部は奥から漏れ聞こえてくる声に眉間にしわを寄せた。
「まったく、最近の若い娘ときたら。こんな昼間から殿方と逢瀬を交わしているなんて…」
それにはあたしも同感だ。
中将が女好きだということは今回のことでよくわかった。
式部はさらに機嫌が悪くなるばかりだった。
「あの。そろそろ、ここを離れませんか?ちょっと、居づらいというか…」
「…ええ。わたくしもそう思います。このまま、あなたのお局に行きましょうか」
その後、この場を離れたのであった。
飛香舎までやってくると、式部は少しだけ機嫌が良くなった。
「さすがに時めいておられる所は違いますわね。若い女房たちがここへ来たがるわけだわ」
興味深げに一人で納得している。
あたしは信濃の女が誰付きの女房で、実家にいるのか確かめようと口を開いた。
「式部。唐突で悪いけど、よく聞いてね。信濃の女はどなたにお仕えしているの?」
「…ほんの一月前までは左大臣様の北の方様にお仕えしていたんです。けれど、実家にお帰りになっていた麗景殿様が才気があり、しっかりとした所を気に入られて。女房名を信濃から、父が民部少輔にまで出世をしたので、確か、民部のおもとと呼ばれているそうでして…」
これでやっと、手がかりが見つかった。火付けをしたのがその民部のおもとなのかもしれない。
けれど、そこで一つ問題が生じる。
こんな出入りには厳しく、閉ざされた後宮で火付けができるのだろうか。
もしかしたら、犯人は他にもいるのだろうか。
「…民部のおもとは今も麗景殿にいるの?それとも、実家へ帰ったのかしら」
「そこまでは申し訳ないことながらわかりませんの。また、民部のおもとに親しい女房にそれとなく、探りを入れておきますわ」
真剣な表情で了承してくれた源式部にあたしは礼を言いながら、見送った。
その後、あたしは料紙を取り出すと、鈴鹿宛に文を書いた。それには、火事が起こる数日前から、謎の女が邸の周りをうろついていたこと、その女は左大臣家の姫である麗景殿様付きの女房で民部のおもとと呼ばれていることを書き付けた。源式部という協力者ができたことも知らせた後、最後には民部のおもとの実家に惟政か誰かに頼んで、潜入させるように言いつけておいた。
長々と書き終えた後、あたしは丁寧に折り畳んで、結んだ。わざと、鈴鹿宛というだけにしておいて、名は伏せておいた。
犯人のことを探る以上は慎重にしておいた方が良い。
そう、判断したからであった。
女童を呼び出して、その文を太秦の別邸に届けるように言いつけておいた。
一刻ほどして、友成が局にやってきた。
「香子姫。式部殿から、あらかたの事情を聞いたよ。火付けの犯人が麗景殿様付きの女房、民部のおもとだと。それを裏付ける情報を入手したよ」
低めの声で友成は説明する。
まず、民部のおもとは火事になる数日前から、宿下がり、つまり実家へ帰って来ていたこと。
そして、極めつけは夜中にこっそりと出かけていたらしい事。
忍ぶ恋でもしていたのだろうか。
それで、つき合っている男からそそのかされて、火付けにまで至ったのか。
「…ていうことは、誰かつき合っている男がいて、民部はそいつにうまいことそそのかされて。それで、うちに火付けをした…とか?」
すると、友成は困ったように笑った。
「その線で考えてみるのも良いだろうけど。民部のおもとに恋人がいないか確かめないといけない」
「弱ったわね。これだけの手がかりで民部を探し出すのは簡単じゃないわ」
あたしは腕を組みながら、考え込んだ。仕方ない。
侍従や女御様に頼み込んで、東宮様に会わせていただこう。そして、民部のおもとのことをもっと探らなければならない。
友成はあたしの肩をぽんと軽くたたくと、あまり無理をしないようにといわれた。
すっかり、日も暮れていたので、友成は足早に帰って行った。
夕餉を終えると、あたしは塗り籠の中へ入り込み、翌日の算段を思い浮かべてみた。
まず、侍従と相談をして、女御様にもこのことを話さないといけない。
東宮様も飛香舎にご機嫌伺いに来られるはずだ。
あたしはその機会が来るまでは待とうと決めた。
じっと、闇をにらみつけていたのであった。




