第六章 射干玉
本文にある通り、タイトルは「ぬばたま」と読みます。
射干玉(ぬばたま・ヒオウギの種をさし、色が黒い)
その後、女御様がお出ましになった。
叔母上がいてくれたおかげで、几帳越しでの対面になった。 「…東の君。やっと、戻ってきたのね。まったく、あなたという人は…」
やんわりとたしなめられる。
この場にはあたしと叔母上、女御様の三人だけしかいない。
「女御、わたくしが東の君には注意をしておきましたから。そう、お怒りにならずとも」
叔母上がとりなしてくれる。
けれど、女御様はよけいに怒ってしまった。
「お母様はいつも、この子には甘いのだから。いくら、火事があっても、義隆殿が病になろうとも、勝手に自由に出入りできるなどと思われては心外です!それがどうしてわからないの」
後宮をそのような場所と勘違いされては困るとおっしゃる。
「こちらも二度目までは目を瞑っていました。けれど、三度目はありませぬ。父君の大納言様はあなたを女房とするのは反対なさってはいました。だからといって、これ以上、勝手をするのであれば、局の塗籠に見張り付きで入ってもらいます」
「…え。女御、それはさすがにやりすぎなのでは」
「いいえ。東の君、この子には少し厳しいくらいがちょうどよいのです。そのせいで、義隆殿が随分と心配していたのですから」
あたしはそれを聞いて、固まってしまった。
叔母上も黙ったままだ。
それよりも、あたしのことを義隆が心配していたというのは本当なのだろうか。そのせいで倒れたっていうこと?
「女御、今のは聞き捨てなりませんよ。義隆殿はお役目が多忙なために疲れが溜まったようなもの。それを東の君のせいにするなどと…」
「お母様、でしたら、今回の火事はどうご説明になるのです。もしかしたら、お父様や叔父上に恨みを持つ者の仕業かもしれません。わたくしはそう思っています」
「…まあ、今は落ち着きましょう。こんな所で口げんかをしていても仕方ないわ」
あっさりと、叔母上は肩をすくめながら終わりを告げた。
その後、あたしは女御様に今度勝手に後宮を抜け出すような真似をすれば、謹慎することを約束させられた。
仕方ないので、承諾する。
叔母上もそれは自分の力でもどうすることもできないとおっしゃっていた。
大人しく、局へと退出したのであった。
あたしが戻ろうと渡殿を歩いていると、ふと、覚えのない香りが鼻をかすめた。 一際、さっぱりとした独特の薫衣香の主を探してみると、すぐに見つかった。
「…ん?そなたは」
こちらを振り返ると、どことなく典子姉様に面差しが似ている。
明子の叔母上にもということはだ。
「頭中将様ですよね?わたしのこと、覚えておいでですか」
「何故、俺のことがわかった?」
小声で返してきた。
「…だって、渋みのある侍従の香に丁子なんか混ぜたりするのって、守時兄様くらいでしょ?」
「なっ、失礼な。お前に言われたくない」
むっとした顔であたしをねめつけてきた。
「それよりも、ちょっと聞きたい事があるの。今、良いかしら?」
そういうと、守時兄様はため息をついた。
「…聞きたい事?どうせ、くだらぬ話だろう」
仕方ないので、小声で用件を手早く口にした。
「火事のことについて聞きたいの。一体、誰がそんなことをしたのか。突き止めて、ふんじばってやろうと思ったの。それには情報を集めないといけないから」
「勇ましいことをいうな。だが、火事について、調べてどうしようというのだ?」
冷たい表情をする兄様にあたしは袖をつかんでいた。
「お願い!教えてくれたら、兄様のいうことを何でもきくから。弟が寝込んでいる以上、大人しく待つなんてあたしにはできない」
必死に頼み込むと、守時兄様はぼそりと呟いた。
「…春の宮。麗景殿に行け。そこの女房に詳しくきいてみるんだな。それと、東三条邸を検非違使に調べさせたら、寝殿、主殿の裏側に松明と人形が発見されたらしい。松明は真っ黒焦げになっているのからして、それが放火に使われたということだろうな」
袖を放すと、兄様はすたすたと歩いて行ってしまった。
それを見送ると、あたしは一度、局へと戻った。
いきなり、訪れても追い出されるのはわかっている。
だとしたら、藤壷女御様に頼んでみようか。
そう思いもしたけど。
結局、あきらめた。 後、頼れるつてといったら。
あたしはだめもとで麗景殿へと向かった。
その途中で懐かしい匂いがして、振り返った。
「東の君ですよね?」
ぼそりと呟かれて、すごく驚いた。
そこには友成がいた。
「…友成…」
しっと声をあげると、片手で口を塞がれた。
「ここでは誰が聞いてるかわからない。僕のことは大夫と呼んでくれ」
こくりと頷くと、友成は塞いでいた手を放した。
「…それで?どちらへ向かわれていたのですか」
「麗景殿です。東宮様にお目通りをと思ったのですけど」
それを聞いた途端、ものすごく驚かれた。
「東宮様?何で、あなたが」
「頭中将様に教えて頂いたんです。もし、よろしければ、お通しください」
「…一介の女房が簡単にお会いできるような方ではない。それでも行くつもりなのですね?」
ええと頷く。
すると、友成は先を進んだ。
「だったら、行こう。東宮様は無理だと思うけど。側仕えの女房であれば、話を聞いてくれるかもしれない」
小声で言うと、歩き出した。
あたしも後を追った。
しばらくすると、弘徽殿だろうか。
みたことのない建物があった。
登華殿、貞観殿の南側の簀子縁を歩いていく。
「…ここが宣耀殿。麗景殿はすぐ隣だ」
「よく知っているのね。もしかして、よくここに来るの?」
すると、友成はこくりと頷いた。
「麗景殿様は母君が先帝や先々帝の弟宮の姫なんだ。左大臣様の北の方でいらしてね。その方が僕のいとこなんだよ」
そうだ、思い出した。
友成の父君の兵部卿宮様は先帝の同母弟でいらっしゃる。
三代前の帝の第五皇子で今の帝の叔父君なのだ。
だから、友成は今上ー帝の従兄弟でもあり、母宮のお血筋でいっても、はとこ同士。
東宮様は同じくはとこにあたり、遠縁の親戚だ。
「じゃあ、麗景殿様は無理でも、女房の誰かに声をかけて、協力してくれるように頼むしかないわね」
そういうと、友成は少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「…あいつには悪いけど。義隆に心酔してい女房も多いんだよ。この際だから、義隆の名を使わせてもらおう」
彼がそう口にするのを呆気に取られながら、見つめる他なかった。
その後、友成はあたしを簀子縁に残して、殿舎の中へと入っていった。
「まあ、左京大夫様。こちらへ来られるとはお珍しいこと」
甘さたっぷりの声で出迎えているのが外にいるあたしの耳にも入る。
もしかして、つき合ったことがあるのだろうかと勘ぐってしまう。
「実を言うと、あなたに聞きたいことがあるのです。教えてくださったら、左近少将にもそれとなくお伝えしておきましょう」
単刀直入にいってみせている。
すると、どう思ったのか、その女房はこう答えた。
「…左近少将様に?あのお方に…」
「ええ。少将殿もこちらの麗景殿に来られるかもしれません」
押しの一言がきいたのか、女房はうれしそうに、
「でしたら、私も協力させて頂きますわ!宰相中将様や少将様が来てくださるのでしたら」と、勢いよく返事をしてきたのであった。
その後、友成はあたしが藤壷の女房であること、東三条邸ー大納言の縁の者であることを説明してみせた。
それを聞いた途端に女房はじろりと怪訝そうに視線を向けてくる。
「…飛香舎の女房には用がありませんわ。とく、立ち去りなさい」
いくら、大納言様の縁者だからってねえと辛辣に言われる。
「あら。飛香舎の縁だからって追い出す気なの?心が狭いのですね、麗景殿様のお付きの方というのは」
こちらも嫌みで返してやる。
「追い出すとは無礼な。心が狭いのはそちらでは?」
「そう。あなたがそう言っていたと少将様に知らせれば、どのような反応をするのでしょうね」
「…なっ、小娘が知ったような口をきくものではない。用があるのはそちらの大夫様だけ…」
あたしは友成の腕をつかみ、後ろへ下がらせる。
「わたしも用があったからここへ来たのです。東の三条邸が火事になったのをご存知でしょう。その火付けをした輩が左大臣家に縁があるときいたのよ。だから、こちらへ参ったのです」
それを耳にした女房は呆気に取られたように目を大きく見開いた。
友成はやれやれというように手を額に当てた。
「…そのような事を知っておられるということはあなたはただ者ではない。一体、あなたは…」
「藤壷様付きの者です。東の君と呼ばれているわ」
きっぱりと言えば、女房は驚きの表情を浮かべる。
「東の君?」
首を傾げている女房に慌てて、説明をした。
「彼女は女御様の従妹なんだよ。お行儀見習いも兼ねて宮仕えをすることになってね。東三条は実家に当たります」
「まあ、藤壷様のおいとこですって?!東三条邸は藤大納言様のお住まい。そこが実家ということは…」
ついには黙ってしまった。
そして、ふいに顔を上げると詰め寄ってきた。
「あなたが大納言様の御娘なのはわかりましたわ。けれど、何故、左大臣家や麗景殿様を疑われる必要があるのです?」
あたしは答えに窮した。
友成はあたしの肩をつかんで、後ろに追いやる。
「…検非違使の調べによると、火事のあった頃の数日前から一人の女が邸の周りを徘徊していたとか。心当たりはおありですか?」
「…まさか、あの娘が?」
女房がぽつりとこぼした言葉にあたしはぴんときた。
「あの娘というのはどういうことですか?」
冷静に問う友成に促されるように女房は自分を抱きしめながらいった。
「信濃かどこかの生まれの鄙つ女です。昨年から宮仕えをし始めたところだとか。名を何というのかはわかりませんけれど」
「わかりました。信濃ですね」
頷いて、友成は女房に礼を述べると麗景殿のお局を出た。
その後、あたしは友成と別れると飛香舎へ戻った。
じっと、考えてみる。
単独で行動していると危険な目にまた遭うかもしれない。
怖さはあるけど、火付けをした犯人をさっさと捕まえなければ。
唐衣を脱いで、几帳に引っかける。
(それにしても信濃の生まれの女ねえ…)
名さえ分かれば、探し出す事も可能だ。 少しは聞き込みをしなければ、友成に遅れを取ってしまう。唐衣を再び着直すと、引き戸を開けて外に出る。
梨壷へと向かったのであった。
東宮様の御所にもたくさんの女房がいる。
その中で協力してくれそうな者を見つけたら、楽にはなる。だが、その考えが甘かった。
すぐにあたしは迷ってしまった。
とぼとぼと歩き回っていると、後ろから声をかけられた。
「…そこの者。何をしておるのだ?」
聞き覚えのある低い声。
あたしはすぐに振り返った。
「あなたは…」
驚いたように言う彼は宰相中将であった。
「どうして、こんな所にいるのですか?」
「…それはこちらが聞きたいわ。あなたの方こそ何で、ここに?」
あたしが言い返すと中将は気まずそうに頬をかく。
「何でといわれても。これから、東宮様の御所へ参るところですが」
「だったら、あたしも連れて行ってください。東宮様の御元へ」
中将は呆気に取られた表情で黙ってしまった。
あたしたち二人はしばしの間、見つめあった。
中将はふうと小さくため息をついた。
「…わかりました。仕方ありませんね」
そう言いながら、静かに歩き始める。
あたしもそれに急いでついて行く。
東宮様を通じて、麗景殿様に会うことができるかもしれない。
こんな閉ざされた空間の中で出来ることを考えれば、聞き込みをして情報を集めることくらいだ。
中将は麗景殿に着くと、簾をからげて中へ入っていった。
あたしは簀子縁に座って待つことにした。
ざわざわと風が吹いて、木々の葉ずれの音がする。
その間にも声がもれて聞こえてくる。
ひそひそと何を話しているのかよくわからない。
それでも、我慢してじっと座り続ける。




