揺れる想いその二
久方ぶりの更新です。
「侍達や駆けつけた検非違使によって、邸の火は治まってな。寝殿と義隆の居所の東の隊屋の一部が燃えただけですんだのだ。おまえのいた西の対屋は炎上は免れている」
いや、善哉と老人のように言う父上にあたしも笑った。
だとすると、あの時、あたしがいたのは寝殿ということになる。
西から南まで走ってきたのだから、相当な距離になる。
よっぽど、義隆やあたしの安否が気になったのだろう。
鈴鹿はあたしや友成がたどり着くまで、果敢にも邸中を火事の中、走り回っていたのだ。
それに小夜を逃がすために柱の下敷きになった若葉のこともある。
「…父上。それじゃあ、これで失礼します。お体を大事にしてね」
あたしはそれだけ言うと、立ち上がった。
父上はお前の方こそ気をつけてな、と言って、からからと笑った。
父上の部屋から出ると、あたしは早速、自分の居所へと戻った。
小夜に文を書く用意をさせると、御座にすわった。
早速、文机に向かい、友成宛にしたためる。
〈どうしても、あなたと話し合いたいことがあります。訳は後で説明します。では、私は待っています〉
という簡単なものだった。
それを届けてくるように言い、あたしは立ち上がった。
今度は弟の番。
胸中でそう呟きながら、東の対屋へと急いだ。
「…香子様。来られたのですね」
衛門が小声で囁いた。
こくりと頷いてみせる。
僧侶の経を読む声が耳に届いた。
どうんと鳴る太鼓の音。
勤行が催される中、沈痛な表情を衛門はしている。
「わたくしに何か、お聞きになりたいことがあるとか。何でしょう?」
「…そうね。あんたに尋ねたいことは二つあるわ。まずは火事のこと。邸は半焼ですんだらしいけど。義隆が先頭に立って、指揮を取ったって本当なの?」
「ええ。そうです。まだ、微熱が残っていらしたのに。兄の惟政と侍たちに火を消すように命じて。大納言の殿を庭へと引っ張り出されたり。それはもう、すごいの一言に尽きます」
あたしはそれ、火事場の馬鹿力ていうのよねと内心、思った。
「二つ目は義隆の容態。今はどうなの?」
問いかけてみると、衛門は遠くを見るような目をした。
「熱は下がっています。ただ、お体が弱っておいでなのです。枕も上がらぬくらいでして」
そういうと、衛門は小さく、ため息をつく。
あたしはその後もその場に居続けた。
半刻ほどはいただろうか。
気丈な衛門には歓心する。
泣いたりせずに、静かに御仏に祈りを捧げている。
もうそろそろ、頃合いかと思って、膝立ちになって、几帳のそばへと寄った。
「…帰ってきたわよ。なるべく、早めに目を覚ましてね」
訳の分からないことをぼやきながら、義隆の無造作に置かれていた手を握る。
自分でも、すぐに起きてくれるとは思っていない。
それでも、手を額に当てると、つうと涙がつたう。
「様子を見に来るの遅くなってごめんね」
ぽつりと呟き、すぐに戻ってくるからと言い残して、部屋を出た。
高倉侍従があたしの部屋へとやってくる。
東三条の火事を独自に調べて、手がかりを見つけてやろうと考えていた。
後宮に戻った後で従兄にあたる頭中将ー女御様の弟にもあたる守時の兄様や友成と話し合おうと決めている。
少しでも、情報を集めるために。
「父上と義隆の様子を見てきたわ。約束通り、後宮へ参ります」
そう、口にすると、侍従は穏やかに笑った。
「あなたのことを女御様がお待ちかねです。行きましょう、東の君」
侍従は後宮での二つ名を呼んだ。
あたしの手をしっかりと握ると、そのまま、簀子縁に出る。車宿りにまでたどり着いた。
停められていた牛車に早速、乗り込む。がたんと音がして進み出した。
「…ねえ、侍従。いいたいことがあるの」
「何でございましょう?」
「今回の火事のこと。あたし、それを調べようと思っているの」
「東の君?!それは危険ですわ。お止めになった方が…」
「ううん。本気よ」
ですがと言う侍従から、手を離した。
「まずは、頭中将である守時兄様から話を聞いて。友成とも会うわ」
えと聞いて驚く侍従をよそにあたしはこれからどうするかを考えた。
検非違使別当と友人関係にあるらしいからという理由もある。
犯人とすれば、あたしと義隆、どちらかに恨みを持っているか。
父上を恨んでいてやったのか…。
手がかりを持っていそうなのが従兄の頭中将。
右大臣の伯父上も入れておこう。
素早く、思考を巡らせていると、牛車が停まる。
「…侍従様。着きましたが」
「わかりました。今すぐ、おります」
侍従が応えると、簾をあげて下りる。
夜が更けゆく中、あたしたちは内裏を目指して歩き始めた。
「香子殿。今回も後宮を出てしまったそうですね。弟君の病で何かあったの?」
着いて早々、女御様を待っていると、几帳のかげにいたらしい叔母上がひそひそと問いかけてきた。
「…東三条邸、実家が火事になって。その知らせを受けて、こちらを出たんです」
「まあ。火事ですって?」
恐ろしそうに、口元を袖で隠した叔母上は眉間にしわを寄せる。
「それで、藤壷を出て戻ったら。左京大夫様と出くわして。わたし付きの女房一人を助けてくださったんです。一緒に火事の現場を駆け回りましたけど」
「…よくもまあ、やりますこと。あなたまで燃えている邸の中へ入ったの?」
叔母上は呆れたように言った。
「ええ。そうですけど」
それには頷いたのだった。
「お父君の忠継様や義隆殿は大丈夫だったのかしら。あなたが来たとなったら、さぞかし驚かれたでしょうね」
嫌みたっぷりに言われてしまう。
「無事だったわよ。父上なんて、わたしが丁寧に言っただけで、笑ってましたから。弟は疲れが残っているせいで寝込んでましたけど」
叔母上は驚いたように目を見開く。
「もしかして。あなたがすぐに来なかったのは…」
「父上や弟の様子が気になるから、侍従に一日、待ってもらっていたんです。そしたら、遅くなってしまって」
髪を洗っていたことは黙っておいた。
侍従にも軽率なと言われたのだ。
秘密にしておこう。
「そうだったの。女御様も大層、悩んでいらしてね。あなたがいなかった二日間、主上がしきりに清涼殿にお召しになられていたのよ」
「…え」
あたしは驚いてしまって、ぽかんと口を開けてしまった。
「そんなに驚かないでちょうだいな。大臣ときたら、『これでご懐妊なされば、権力は私の手に!』とか言って。後できつく、注意をしておきましたから」
あの方も懲りないわねと明子の叔母上は呆れたように笑った。




