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深海  作者: jun0001
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2.「51」

 思えば、この歳までいろいろな人に迷惑をかけてきてしまった。特に、家族。妻と娘だ。自分で言うのもなんだが、私は愛情表現が巧くなかったと思う。家族の事を想う気持ちはしっかりとあった。その為に四十年以上働いてきたのだ。しかし、その事に頑張りすぎたのかもしれない。

 三年前に孫が生まれた。その頃には娘夫婦とは疎遠になっていた。毎年送られてくる年賀はがきの家族の写真だけが、私の知っている娘夫婦の姿だった。娘のそばを離れようとしないその女の子は、どこか生まれたばかりの頃の娘を思い出させた。もう会うことも無いだろうと、同時に悲しい気持ちにもなった。


 そう、六年程前。娘が結婚した。その半年前に、恋人を連れてきた時の事は今でも思い出せる。正直に言うと、とても好青年だった。今はそんな青年を選んだ娘の事も誇り思うが、その時はそうではなかった。断固として、結婚に反対したのだ。

 その時娘は二十歳になったばかりだった。実家暮らしではあったが、家事やアルバイトもこなしてくれていて、近所からも自立している娘さんが羨ましいという声も聴かれた。とても誇らしかった。娘だけでなく、ここまで育て上げた自分自身もだ。その為に我武者羅に働いたのだ、娘を立派に育てるために。

 だからだろうか、娘が恋人を紹介されたとき、彼がどんなに真面目で、立派で、娘の事を大事に想っていようが関係なかった。多くの時間を犠牲にして育てた娘が目の前からいなくなる事が耐えられなかった。今までの苦労が水の泡になるような感覚もあったし、これから先何の為に生きていくのかという不安もあった。それが見当違いである事も分かってはいたが、突然のこと過ぎて、事実を咀嚼して飲み込む前に拒絶してしまった。

 まだ学生だった事もあって、社会人になるまでは自分がきちんと育てたいという気持ちもあった。実際彼らにはまだ学生だからという理由で反対した。

 しかし、本心は違う。その時の私には娘しかいなかった。12年間娘を男手ひとつで育ててきた。母親がいないという環境でも、何一つ不自由なく暮らせるようにと。至らない事も多かった。どうしても仕事で手が離せない時は自分の両親に頼む事もあった。妻の両親は早くに亡くなっていて、頼れる人はそれくらいしかいなかったからだ。


 それでも娘との約束は何度も破った。仕事でやむを得ないことが幾度と無くあった。しかし、娘を育てる為と、仕事を優先させた。何度も悲しまれ、何度も怒られ、何度も失望され、私は何度も謝った。しかし、普段の関係は悪くなかったし、大きくなるにつれて謝る回数は減っていった。娘が大人になって仕事でどうしようも無いという事を理解できるようになったこともあるし、交友関係が広がって私といる時間が減った事もある。

 次第に時間がすれ違うようになったり、何泊か外泊で顔を合わせない事も多くなった。それでも私の誕生日や父の日には、きちんとプレゼントを用意してくれたり。時々晩御飯を作ってくれたり。仲が悪くなったわけではなかった。素直ないい子に育ったと思う。

 そういえば娘が高校1年になった頃。一度彼氏を連れてきた事が会った。いかにも遊んでいる風貌で、髪は少し脱色してあり、その時はつけていないようだったが、耳にはピアスの穴らしきもの開いていた。シャツを全部ズボンから出しており、そのズボンも腰に引っ掛けるようにずり下がった履き方をしている。話し方は思ったほどチャラチャラしていなかったが、どうしても好きになれないタイプだった。

 その時は、あんなのは止めたほうがいいんじゃないか?と伝えた覚えはあるが、どうせすぐに別れるだろうとそれ以上は強く言わなかった。その時は言われた娘も嫌な顔をしていたが、案の定1ヶ月と持たなかったようだった。もし、長く付き合っているようなら何か言っていたとは思うが、出来る限り娘の意思は尊重したかった。


 明確に反抗期というものを迎えた記憶は無いのだが、中学生の時に一度反発された事がある。携帯電話はまだ早いと思い、高校生になってからだと説得したが、周りがみんな持っていて自分だけ遅れてしまうのが嫌だという事らしかった。どうも怪しいサイトや出会い系などという危ないイメージが先行していたので、物の分別が今よりついた高校生になってからという意見は変えなかった。一時間の口論の後、一週間口を聞いてくれなかった。流石に堪えた私は、直近のテストで高得点が出せたら買うという約束にした。後日、見せられた答案は、数学の84点を除いて、全てが90点以上だった。負けたにも関らず妙に誇らしい気持ちで、その次の日曜日に娘と携帯電話を買いに行った。

 娘が習い事をしたいという時、旅行に行きたいという時。あれが欲しい、これが欲しいと言われたとき。ある程度の節度は持っていたが、出来る限り望みは叶えてあげていたと思っている。初めての彼氏だって、いい顔はしなかったが、積極的には別れさせようなどという事はしなかった。

 娘は、絶対に承諾してくれるだろうと思っていたのだろう。見た目も好青年だったし、娘の中の私は、大概の事は承諾してくれる父親だったかもしれない。


 しかしその時、私は娘の期待を大きく裏切った。今まで築き上げてきた信頼すらも揺るがしてしまう程に怒った。

「学生という身分で結婚しようだなんて、親に育ててもらった有り難味が分からないのか。まだまだ半人前なんだし結婚は許さないからな!」

 娘も学生という理由が建前であることは分かったのだろう。だから、建前で本音を言わない態度にも苛立ったのかもしれない。そして悲しかったのかもしれない。娘は今までに見た事もない表情で、私を睨み付けた。

 今のいままで水の中でぼんやりとした思い出に浸っていた感覚だったのだが、何故か、その時の娘の涙が入り混じった声がはっきりと思い出された。

「お父さんに今まで育ててもらった事を有難くないなんて思ったことは無い!!私の事を大事に想ってくれてるのも分かったし、男親一人で頑張ってくれてるのも分かってた!!それなのにどうしてそんな言い方をするの?学生のうちは結婚しないでって言われるのは覚悟してたけど…。そんな事言われるとは思わなかった!」

「俺はお前を立派に育て上げて、幸せに送り出すためにここまで育ててきたんだ!お前の為に仕事をして、お前の為に時間を割いて、どれだけ苦労したと思っているんだ!まだ未熟なお前をそんな男と結婚なんぞさせられない!急いで結婚したって、いい事なんか無い!近所からもいろいろと言われるに決まってる!」

 違う。そんなことが言いたいんじゃない。そんな男だなんて思っていなかった。ただただ娘を奪っていくようで、好きになれなかった。近所の目なんかどうだっていい。どうしても娘に離れて欲しくなくて、思ってもいないことまでも無理やり理由にしていた。感情に任せて勝手に口から出てくる言葉を、一方の別の冷静な自分が傍から悲しそうな表情で見ていた。

 娘は涙が止まらなかった。先ほどよりも強く私を睨み付けて反論した。

「お父さんの苦労に報いるためにずっと側にいないといけないの?近所の目なんて気にしているのはお父さんだけでしょ?私の気持ちはどうだっていいの?お父さんがただ満足したいだけじゃない!」

「言いすぎだ…!」

 彼氏が娘を睨んで止めようとしたが、それを振り切ってボロボロ涙を流しながら娘は続けた。

「今までずっと、感謝してきたけど。本当は、私がどんなに約束しても絶対に仕事のほう優先させてたのだって、お父さんの都合だったんじゃないの?私なんかより仕事の方が大事で、周りの目を気にして!お母さんが死んじゃった時だって

すぐには病院に来なかったじゃない!涙一つ流さなかったし!私達より建前のほうが大事なんでしょ!」

「そんなわけないだろ!」

 思わず机を拳で思い切り叩きつけていた。それを見た娘はさらにしゃくりあげながら泣いた。そして、少し怯える様に私の拳を見つめながら呟いた。

「こんなことなら、お父さんよりお母さんのほうが良かった…」

 生まれてから死ぬままで、一番胸が痛くなる言葉だった。どんなナイフで刺されるより、深く心を抉った。何か言おうとしても何も言葉が出なくなった。

 その時娘の横にいた彼氏が娘の頬をひっぱたいた。娘はびっくりして彼氏のほうを向いた。涙目になっている彼氏が、娘を真っ直ぐに見ながら言った。

「どんなに酷い事言ったか分かってるのか!?さっきのがお父さんの本心だと思うのか?本当に大切だったから。何よりも大事だから、感情的になってしまうことだってある!それが分からない訳じゃないだろう?」

 娘は大粒の涙を堪えながらイスから立ち上がり外に飛び出した。それを見た彼氏は、私に「でしゃばってすみません。追いかけます」と会釈しながら娘を追いて出て行った。

 あんなに泣きじゃくる姿を見たのは、妻が死んだとき以来だったと思う。自分でも感情的になりすぎたと後悔した。娘の彼氏の前であんな怒り方をして、さらには娘を泣かせてしまい、貶してしまった彼氏に擁護された。とても複雑な気持ちではあったが、娘が彼を選んだ事は間違いではなかったと思えた。

 私だけではなく、娘も感情的になり過ぎた。お互い普段触れなかった事で口喧嘩をしてしまったことで、とてつもなく大きな溝が出来てしまったように感じた。

 結局、後日結婚は認めたが、溝は埋まる事は無く、家で顔を合わせるとぎくしゃくしてしまっていた。どちらも、顔を合わせても会話するという事も無く、どうも居心地が悪かった。何でもないときに、娘のお母さん方が良かったという言葉が蘇ってきて胸が締め付けられた。

 結婚に伴い、彼氏と同棲するといいだした時も素直に承諾した。結婚の承諾で既にそのつもりだったが、何よりこの空気が耐えられなかった。私が大事にしてきたものは、あの一日で離れていってしまったのだ。そんな関係のまま離れたので、ろくに連絡もすることなく時は過ぎた。

 心配ではあったが、それ以上にあの言葉が重過ぎて、娘の事を深く考える事も減った。娘も同じ気持ちでいるのか、連絡は年賀状だけになっていた。孫が生まれた事も、年賀状の写真で知った。会いたいという気持ちもあったが、その資格は無いと思っていた。どうしてあの時、頑なに反対してしまったのか、今でも悔やんでしまう。同時に、妻が生きていたらどうなったのだろうかとも思う。

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