05 女子高生とスタンガン
「さて……さっさと帰るか」
戦線からひとり離脱した春樹は雑木林を抜け出て校舎に行き当たった。そこから壁伝いに帰ってもよかったのだが、大和や紫や他の一年生に見つかるのも面倒だったので、窓から校舎内に侵入することにした。都合よく開いているところが一ヶ所だけあった。
雑木林のほうでは今まさに銃声が何発も響いていた。あまりのろのろしていると誰かに目撃されるおそれがある。春樹はすばやく窓に飛び込んだ。
ここまでの春樹の計画は全てうまくいっていた。銃の部品を使って手錠を外すこと、林之介を出し抜いて一人になること、眼鏡にバレないように撤収すること、全てうまくいった。
ただし、問題があったとすればその飛び込んだ先だけだった。春樹はそこで一人の女子生徒とばったり遭遇して、その女子生徒は途端に悲鳴を上げた。
「な、ななな……、なんで男子がこんなとこに……!?」
「やべ……。ここ女子トイレだった……」
「そうよ女子トイレよ! あんた男子でしょっ、なんで入ってきてんの!? しかも窓から!」
女子生徒は叫ぶようにして言った。恥ずかしがっているのか怒っているのか、あるいはその両方なのか、彼女の顔は真っ赤だった。二つに分けて垂らした髪、いわゆるツーサイドアップにまとめた髪の毛が狂った振り子のように過敏に揺れていた。
女子生徒の短めのスカートからのぞく太ももは細く、色白で、それでいて健康的だ。きりりと整った眉にしたたかな瞳。そのぞくりとするような目つきは、こちらをじっと見つめたまま視線を外そうとしない。激昂さえしていなければ、見てくれはきっと美少女なのだろう。
「すぐ出ていくからギャーギャー騒がないでくれ」
「ちょ、ちょっと! こっち来ないでよ変態!」
春樹は今さら外へ戻るわけにもいかず、トイレの出入り口まで歩き出した。このトイレの出入り口は一ヶ所しかないので、自然とその女子生徒の前を通らなければならなかった。一歩近づくたびに彼女は「変態っ、こっち来んなこの変態っ!」とけだものを見るような目で春樹を罵っていた。
「だから別に何もしねーよ。この馬鹿……」
「って、きゃああ!? あんたのそれなにっ、銃!?」
「ああ? これはただのエアガンで……」
「うそ! そんなこと言ってあたしをおどして乱暴する気なんでしょっ、エロ本みたいに!」
春樹はすっかり誤解されてしまったようだ。
女子生徒はそこで懐から何かを取り出して、構えた。護身用のものらしいが、なんとそれは拳銃だった。
「なんだお前もサバゲー部の……」
と春樹は一瞬言いかけたが、どうも違った。銃について色々と見知っている春樹だが、その女子生徒の構えた銃は全く見当もつかないようなものだった。
なぜなら、それは〝テーザー銃〟という護身専用の武器だったからだ。実銃でもエアガンでもないものだが、撃たれたら気絶する程度に危険なシロモノである。要するにスタンガンだ。
「ちょっ、撃つなやめろっ!」
春樹の制止も無視して彼女は容赦なく引き金を引き絞った。
パーン!という大きな炸裂音が響いて、春樹の肩より少し上の、背後の壁に小型の注射器のような、乾電池のようなものが白煙を上げて突き刺さった。それはテーザー銃専用の、電力と放電装置を内蔵した〝気絶する〟弾丸だ。
どうしてこの女子生徒がこんなに危険なものを所持しているのか。いやそれよりも、まずはこの相手の凶器をどうにかしなければならないと春樹は感じた。彼女が次弾を装填しようとしていたからだ。ちなみにテーザー銃は一発ごとに弾薬を取り替えなければ撃てない。
その隙をついて春樹は詰め寄った。
「お前もサバゲー部員なのか知らんが、その銃は洒落になってねえ。放せ!」
「ちょ、触んないでよ変態っ、ド変態! あたしはあんたみたいな男が大っキライなのよっ、この超ド級変態!!」
テーザー銃をめぐって二人は取っ組み合いになった。どうしてこんなことになった? それはわからないが、春樹はとにかく女子生徒が無理やり引き金を引こうとするのを必死に押さえ込もうとした。
すると、そんなときだった。
ピピー!という警笛の大きな音がどこかから聞こえた。
春樹がそれに驚いていると、すかさずその場に三人ほどの女子生徒がずかずかと入り込んできた。そして真ん中の代表らしい生徒が半歩前へ進み出て、言った。
「こちら風紀委員です。ここ北校舎一階女子トイレ内にて悲鳴と銃声のようなものが聞こえたため、風紀の取り締まりに参りました。揉めているようですので仲裁に入らせていただきます」
春樹は突然の出来事にどうしたらよいかわからなくなっていた。
その間にまた相手の女子生徒が春樹を振り払って銃を構えようとしたので、二人の取っ組み合いが再開された。
すると再び、ピッピー!という警笛が吹かれる。
「その銃のようなものを所持している女子生徒は速やかに抵抗を止めて下さい」
「はああ? なんであたしが悪いみたいになってんの!? この変態がいきなり乱暴してきたのよ!」
「おい俺は乱暴なんてしてねーだろ。お前が急に変なもん持ち出すから……」
ピッピッピー! 三回目の警笛が吹かれた。
「お二人はまず、それぞれ学年・クラス・お名前をおっしゃってください」
風紀委員は有無をも言わさぬ態度で迫った。
「……あ、あたしは一年一組の東堂桐花! そんでコイツが変態の強姦魔よ!」
桐花という女子生徒は春樹の顔面に向けてビシッと指を差した。
「いやだから……」
「そちらの方、お名前をどうぞ」
「……はぁ。一年二組、立花春樹だ」
「はい、東堂さんと立花さんですね。まず立花さん、あなたはここが女子用のトイレだということはご存じですね? なぜ侵入したのですか」
春樹はちょっと考えてから、簡潔に述べることにした。女子トイレに押し入ったという容疑を何とかして晴らすための、苦肉の策だった。
「このトイレへ来たのは……急いでいたからだ。やむを得なかった」
「うそ、そんなのうそよ!」
桐花は烈火のごとく猛反発した。
しかし桐花が冷静さを欠けば欠くほど、風紀委員は逆に落ち着いて対応していた。中央の代表者は両脇の二人と二言三言交し合ったのち、春樹のほうを向き直って言った。
「立花さん、次からは男子用のトイレでするようにしてくださいね」
春樹の件はなんとか水に流された!
後ろの風紀委員たちがひそひそと話しながら明らかに眉をひそめていたが、その程度で済むならマシだと春樹は思うことにした。いちいち訂正してサバイバルゲームのくだりを説明するのも面倒である。
「ちょっと、まさかお咎めなしだっていうの?」
「いえ、そういうわけではありません。ただ東堂さん、あなたの方にも問題がありまして」
「な、なんだっていうのよ……」
風紀委員が冷徹な態度を取ると、途端に桐花はたじろいだ様子をみせた。桐花の目線はどこか宙のほうを泳いでいた。いたずらが露見した子どものような、さも何かやましいことがあるというような、わかりやすい感じだった。
「あなたが持っているその〝拳銃のようなもの〟は、もしやスタンガンの一種ではありませんか? もしそうだとすればこれは銃刀法違反にあたり、風紀違反どころの騒ぎではなくなります。……まぁ、私どもでは本物かどうかまでは分かりかねるのですが」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 銃だったらそいつも持ってんでしょ?」
「だから俺のはエアガンだって言ってんだろ。これはサバゲー部とやらの貸出し品だよ」
「はい、確かにそのお話は委員会のほうでもうかがっております。本日、野外戦闘競技部は新入生のための体験会を行うと……」
新入生のためのなんて生易しいものではなかったけどな、というのを春樹は心の内でぶちまけた。
「東堂さん、ものによっては警察沙汰の事態です。その拳銃のようなものをこちらに寄越してください」
風紀委員は桐花に詰め寄った。
桐花の銃はおそらく本物だ。女子高生である彼女がどうやって入手したのかはわからないが、それが国内法に抵触したものであることは間違いないだろう。最初の一発目を見て春樹は確信していた。あれはエアガンというレベルを超えた危険なものだった。もし命中していれば、気絶していたか、最悪は心臓麻痺なんてことにもなっていたかもしれない。
その頃、事件を聞きつけた野次馬たちがトイレの出入り口付近に集まってきていた。「ねぇ何があったの?」「なんかスタンガンを持ってる子がいたらしいよ?」などと口々に話している。どうやら春樹が女子トイレに侵入したことよりも、桐花が危険な凶器を持ち歩いていたということのほうが大きな騒ぎになっているようだった。確かに女子トイレに侵入したくらいならいたずらで済まされるが、凶器を持っていたとなればそうもいかない。特にそれが銃という〝いかにもなもの〟であれば、なおさらだ。
「さぁ、東堂桐花さん。速やかに銃を渡してください。でないとほんとうに通報をしなければなりません」
「う……。だってそんな、これは……。あたしは別に悪いことなんて……」
桐花の声は観念するかのようにだんだん小さくなっていった。風紀委員のうちの二人が人払いをしようとしても野次馬の人だかりは引く気配がなかった。そのざわつきの中に桐花は埋没していくかのようだった。
これを放っておいたらもっと面倒なことになるな、と春樹は思った。
はあ、とため息をついて、口を開いた。
「……なぁ風紀委員さん、そろそろほんとうのことを言うよ」
「はい? なんでしょうか」
「実はそのキリカって奴も俺と同じで、サバゲーをしてたんだ。んで、トイレは非戦闘区域のはずなんだが、ついどっちかが先に手を出してバトルが始まってしまった。まぁ、こんな校舎の中でやってたなんて知れたら怒られると思って、なかなか言い出せなかったんだよ」
「……ということは、東堂さんのスタンガンも模造品というわけですか?」
「ああ、そうだ。っていうかそもそもテーザー銃は外国産のもんだろ? そんなのを高校生が密輸入なんてできるわけねーよ」
「……ふむ、なるほど」
と言って風紀委員の代表は少し考え事をするようなしぐさを見せた。それから野次馬を押さえつけようと躍起になっている後ろの二人とまた二言三言取り交わし、頷きあい、そして振り返った。
「考えてみれば確かにそうですね。全く、最近のエアガンは本当によくできていて困ります」
春樹の落ち着いた説明に風紀委員は納得したらしかった。そして懐から手帳を取り出して何事かをさらさらと書き付けた。事の顛末だろうか。とにかく問題はないと判断されたようだ。桐花のテーザー銃の件はうまくごまかしが利いた。
「では、今後はこのような場所でクラブ活動をしないようにしてください。それでは」
そう言って風紀委員たちは引き上げていった。「なんだ、サバゲー部だったのか」、「あいつらしょっちゅうドンパチやってるからな~」と、野次馬も次第次第に散っていった。春樹が女子トイレに侵入したという件もついでにうやむやになったようだ。
他の生徒もいなくなり、残されたのは春樹と桐花だけになった。桐花はむすっとしていて、春樹を疑う目つきは相変わらずだった。口を尖らせて、不満をぶちまけるように言った。
「ちょっとあんた……。なんなの、どういうつもりなの」
「別に。俺はこれ以上、面倒事に巻き込まれたくないだけだ」
春樹はその桐花を放って、そ知らぬ顔でトイレを出ていこうとした。
すると、そこで一人の人物がふっと立ちふさがった。なんとそれはあの大和だった。本来なら今頃は裏校庭のどこかにいるはずだが、どうやら先ほどの野次馬の中に紛れ込んでいたらしい。予想外の大和の登場に春樹は驚いて「げっ、メガネ……」という言葉が口から漏れた。
そして桐花もまた男子が女子トイレに入ってきたことでどぎまぎし出した。春樹と大和をきょろきょろ見比べるのに連動してツーサイドテールがわなわなと震えた。
「ははは。ハルくん、今のは全部聞かせてもらったよ」
「メガネ……。なんでこんなとこに……」
「ハルくん。君、被弾判定装置つけっぱなしでしょ? それは緊急時のために発信装置が内蔵してあって、本部で居場所がわかるようになってるんだよ」
「そういうことか……。ならこいつは返すよ」
春樹は二の腕に巻かれたHDDを外して突き返した。だが、それを大和は受け取ろうとしなかった。
「ハルくん。君はさっき風紀委員の子たちに『サバゲーをしてた』って言ってたよね?」
「う……」
「ならちゃんとやってもらわないと、部長として君の虚言を黙認することはできないなァ」
大和はいつも通りの柔らかい笑みをみせて言った。もし大和が風紀委員に告げ口をすれば、あるいは風紀委員がサバゲー部の部長である大和のところへ確認に来たとすれば、春樹のついた嘘はすぐにばれるだろう。そして春樹はお咎めを受けることになるだろう。春樹の身の平穏は大和に握られているのだ。この眼鏡、なかなかに鬼畜である。
「それに君もだ」
大和がキリっと眼鏡のふちを持ち上げて、桐花のほうを振り向いた。大和が生殺与奪を握っているのは何も春樹だけではない。
「なっ、なによ……」
「君の〝それ〟が実にヤバいシロモノだということは僕にも分かるよ。見逃すわけにはいかないね」
眼鏡ごしの視線が桐花を咎めるように貫いた。桐花は目を伏せて黙りこくっていた。先ほどまで春樹にはぎゃんぎゃんと威勢のよかった桐花も、正論を突かれると何も言い返せなかった。
だが、大和はそこで意外な提案を持ち出した。
「ただし、君も実際にサバゲーに参加してくれるというのであれば、〝そういうことだった〟と僕は黙認しよう」
「……は、はあ? なんであたしがそんな……」
「君がどういう経緯でテーザー銃なんて持ってるのか知らないけどね。さっき春樹くんに撃ったとき、外したよね? うちの部に入ってくれればちゃんとした使い方も教えてあげるよ。それとも君、もうどこかの部活に入部届けは出しちゃったのかな?」
桐花は答えなかった。その無言を大和はNOと受け取った。
「それじゃあ二人にはすぐに部室まで来てもらおうか」
春樹も、そして桐花もそれに従う他なかった。
読まなくてもいいあとがき?
『ミリタリーコラム ~本編とはあまり関係ないミリタリー知識~』
05.テーザー銃――〝電極射出タイプのスタンガン〟
テーザー銃|(Taser Gun)はスタンガンの一種です。スタンガンというのは電気でビリビリバチバチするアレのことですね。テーザー銃はそのノーマルなスタンガンとは違い、見た目も拳銃によく似ています。そしてその見た目どおり、電極を発射することで離れた目標に電気ショックを与えることができます。アメリカのテイザー社が開発したものが有名であるため、このようなタイプのスタンガンを指して俗にテーザーや、テイザーと呼びます。
作中では桐花が使用しています。注射針のような弾丸を飛ばしていますが、実際のテーザー銃は弾を飛ばすのではなく、ワイヤーでつながれた電極を射出します。電極というのは針みたいなものですね。その針を相手の皮膚にぶっ刺して(ある程度の衣服は貫通します)、ワイヤーを通して電流を流します。作中に登場しているテーザー銃はそのワイヤーがなく、完全に独立した電極を撃ち出すタイプなので、かなりの創作が混じっていることになります……。
この続きは、章終わりのまとめにて。